大学1年の終了

私は筋ジストロフィーという年々全身の筋力が低下する難病を患っている車椅子の大学1年生だ。

私は大学入学前は支援学校という、いわば障害者だけの社会で暮らしてきた。しかし大学進学を機にその生活は一変し、健常者が大多数の社会に身を置くこととなった。

難病、障害というハンデを抱えながら、大学という新たな世界に足を踏み入れることはとても不安があった。特に不安だったことは、周囲の学生との関わり方である。支援学校では障害に対する理解は初めからあったが、大学ではそれが無い状態からスタートということになる。
その中で本来の悩みすぎる性格とも相まって
「どのような距離感で関わっていくべきか?」「障害のある私を見れば相手が戸惑ってしまうのではないか?」 という不安を常に抱えていた。

しかし、今では実際1年過ごしてみて不安に思う期間の方が短かったように思える。

私が思っていた以上に周りの学生は、障害という部分を気にしていなかった。もちろん初めから理解があったわけではないが、自分の口から説明をすると話にしっかりと耳を傾けてくれ、できない部分には手を差し伸べ、極力、活動に参加しやすいように手助けをしてくれた。

1年を通してバリアを貼って、距離感を遠ざけていたのは自分の方だということに気がつき、目が覚めたような感覚になった。それからはためらわずに人に頼るということが少しできるようになり、関わり方もわかってきた。

これらのことから障害についての理解はお互いに歩みよる姿勢が大切だと学んだ。世の中では、障害のある人に対して障害のない人が理解を深めて、障害者が暮らしやすい世の中にしていくという風潮があるように思う。しかしそれは真の理解とはならないのではないだろうか。やはり障害者側もどこに支援が必要か、具体的に説明する力を持っていなければならないと感じる。これらの相互作用が真の理解につながると個人的には思う。


人に頼るということは簡単なようで難しい。
そして他人に迷惑をかけるんじゃないかと気を使いすぎてしまうと、余計に人に頼ることはできなくなってしまう。障害があれば尚更である。

申し訳なさを感じることは悪いことではないが、ごめんなさいと伝えてしまうと自分も相手もあまり気持ちはよくない。やってもらったことに対してはありがとうと感謝を伝えることで、良い関係性を築けるができるのだと思う。

ごめんよりありがとうを増やしていけるように自分も意識していきたい。

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