自分自身を責めて、変わりたいと願っていた自分へ向けての手紙

さっき教育書を読みながら、あんなアクティビティや、こんなアクティビティが子どもの言語教育のためにできるかもというような発想がたくさん生まれた。

そうした中でふと、特別支援学級で自閉症の子どもの担任をした時のことを思い出した。

教員として2年目の年。教員一年目は本当にやることがほとんどない生活を送っていたから、実質教員としての経験がない2年目の教員時代。私は、自閉症の子供の担任を受け持った。その子は重たい自閉症をもった6年生だった。言葉を交えてコミュニケーションをすることも、その子の興味関心を探して話を広げようとしても、まるで距離を縮められなかった実感があった。

修学旅行が近づいた時、僕はその子がハプニングを起こさないように、ハプニングを起こしてしまってクラスの子どもに嫌われてしまわないように、何をしたら良いか考え計画書まで作った。お母さんも修学旅行について心配していた。だからこそ、何事もない修学旅行になることを願い、考えていた。教頭先生にまで、計画書を見せて、無事な修学旅行になるようにと考えていた。

しかし、その子のよさを認めず、信じることができず、自分自身のことも信じることができず、勝手に不安になって、結局苦しめていたのは自分自身だったと思った。

修学旅行で、僕の尊敬する、ぽっちゃり体型の女の先生と自閉症を患っているYくんが一緒に並んで歩いていた時のことだ。

Yくん
「うーうー。ぷしゅー。きゃきゃきゃ。やまもーとなーー。キャキャキャッ」

ぽっちゃり先生
「もー。Yくんったら。そんなことばっかりして。。なーってなんやねん!こんにゃろ。あー笑った!ねーねーYくん。ここにゴムあるんだけどちょっと見える?見えないの?いやいやあるんだって。先生には見えてるよ。ちょっと伸ばすからね。みててよ。いくよ。のばしてみるよ。あーこわい、ちぎれたらどうしよう。。あ、あ、これいじょう伸ばせない。見えないの?ほらここにあるしょ。もう伸ばしたくない。。こわいこわいひきちぎれるー。だめだよちぎったら。ほらYくんもさわってみな!」

Yくん
「ひひ。」

ぽっちゃり先生
「だからそんなにひっぱったらちぎれるって!こわいこわいもうやめてーーー!」

ちなみにゴムなんていうのは本当はない。
独特な世界の面白さを一緒に楽しみながら、ぽっちゃり体型の女の先生は、まるで漫才師のような掛け合いをYくんと繰り広げていた。それを見ていると自然と笑みが溢れ、笑ってしまうほどだった。

周りにいる通常学級の子どもも僕自身も、ぽっちゃり先生とYくんの漫才のような掛け合いに夢中になり、一緒に笑っていた。

Yくんはすごく幸せそうだった。その先生と一緒にいる時、Yくんは本当に楽しそうだった。僕もその先生のようになってその子を楽しませたかった。しかし、うまくできないことの悔しさと、その子への申し訳なさが自分の中に育っていき、自分自身に対する失望ばかりがでてしまっていた。

そんな特別支援の担任の先生だった。しかし、尊敬するその先生に
「あなたがいなかったら私も、絶対に生徒たちと一緒に学び合うことはできなかった。ありがとう。」
「中島先生の努力は本当にすごいよ。できないことはあたりまえだよ。最初からできる人なんて誰もいないから。大丈夫だよ。」
「Yくんは本当に面白いよね。何であんなに面白いんだろうね。」

その先生の子どもを愛する姿勢、教育に対する姿勢、時には保護者とも言い争いをして、家庭訪問も毎日行ってしまうような、子どもを愛することのできる先生だった。本当に尊敬できる人だった。
その先生と一緒にまた一緒に仕事がしたいと思った。
そんな先生にたくさん僕は出会ってきた。心から尊敬できる先生に会って、そんな先生になりたかった。何度も泣いて、何度も自分に失望して、去年は学級崩壊もして、怖くて怖くて学校に行けなくて、3月に先生を辞めた。そして今オーストラリアでワーキングホリデーをしている。

今の自分が、不安で仕方がなかった自分に言えること。
ハプニングなんて意外とおこらないし、ハプニングはむしろ積極的に起こした方が子どものためになるんだよ。怪我したって、傷つけたって、死んでないならそれは学びの最大のチャンスなんだよ。ダメな時は周りに頼れ。自分の頑張りを子どもも周りも見ている。できないことを責める人は自分が思っているよりもいない。

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