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公園型複合施設の「公園型」ってなに?

複合施設というのはよく聞きますが「公園型」の名称についてどのような意味はあるのですか?

甲佐町には、子どもたちが自由に遊ぶ公園が少なく、以前より住民の悩みの一つでした。そこで、プロジェクトメンバーを立ち上げ、まずは公園の存在意義について議論を重ねて、以下の3点にまとめました。

・気軽というより意図もせず誰もが利用できる場所
・何か目的があっても、なくてもいける場所
・利用する人の年齢や性別、お金を持ってるかなど全く関係ない場所

その一方で、最近の公園には“禁止事項”がたくさん羅列してあったり、都市部では入場が制限されたり、柵で囲まれて入りにくかったりする公園もあります。せっかく自費で公園を作るなら、自由で開放的な本来の公園の姿に近いものを作ってみたいなと。


このことが、複合施設のコンセプトやルールになったのでしょうか?

「そうです。」
複合施設のコンセプトには「みんなが自然体で過ごせて、多様性の化学反応が生じる場」を掲げています。“自然体”が公園の本来の特徴だという想いから、コンセプトに加わった言葉です。いろいろな人が交じり合うため、そこで化学反応が起こってしまう。ただ、化学反応を起こすために集まるのだと「頑張りやさん」の集まりにもなりかねないため、化学反応は目的ではありません。自然に“生じる”ことがあってもなくてもいいのです。

公園のルールとしては、「絶対のルールを作らないこと」というヘンなルールがあります。禁止事項が多い公園がある中、「ルールを作らない」ということをルール化しました。


ルールがないといろいろな問題が発生すると思うのですが?

「ハイ、想定しています。」
子どもが木を登ってケガをする。友だちと喧嘩する。意見が合わない使い方をしている人同士がもめる。使い方が危ない、うるさいといったことは日常茶飯事で起こるかもしれません。でも、こういう反対意見と出くわすのが、必要なことではないかなと思うのです。
一生涯、反対意見に出会わずに生活することはできません。ある意味、反対意見にぶち当たり、それを乗り越えていくのが人の人生。それが“ルール”をつくることで安易に避けてしまっているのではないかと。反対意見をもつ人とも対峙して、年齢や個人的背景に関係なく対話する。そうして、当事者同士で妥協点を見つけていく。理想かもしれませんが、そんなことができる空間になったらスゴイなあと思っています。

理想論に聞こえて、そんなことがうまくいくの?

「そうですね、やっていける自信があるかといったら分かりません。」
危険を回避し、衝突は避ける、その方が無難であることは間違いないでしょう。おそらく、自治体が作るような公園ではそうせざるを得ないかと。しかし、今回作るのはプライベートな公園です。無謀でもチャレンジできる環境だと思っています。

トラブルを野放しにするつもりではありません。見た目は自然豊かな公園ですが、最新のIT技術をフル活用する予定です。ネットワークにつながる防犯カメラを設置し、誰でもインターネット上で見ることができるようにします。いつでも誰かが、その行動を見ているかもしれない空間になります。
また、無料Wi-Fiが使用でき、そこには利用者からの投稿や届いた声が閲覧できる掲示板を準備しています。いろいろなクレームやそれに対して対話した結果をオープンにしていきます。過去にも同じようなトラブルがあった場合、その時はどうやって対処したのかを参考にすることができるようにします。


「公園型」に定義はあるのですか?

既にさまざまな団体からも問い合わせがあり、同じように「公園型」を名乗っていいかと。商標登録しようとした時期もあったのですが、どうやら「公園型」という抽象的な概念だと取得できないと言われてしまいました。なので現実的には自由に使用することができますが、私たちの想いとしては、以下の項目が正規の「公園型複合施設」の定義だと考えています。

・敷地内と外の間に柵やフェンスがなく、人々が自由に行き来できる
・「やっちゃダメ」や「やりなさい」のルールを強制していない
・目的をもたずに、誰もが、ただ立ち寄ることができる

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