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「リゴレット」考

リゴレットの原作である
ユーゴーの戯曲「享楽の王」では
フランソワ1世と
彼に仕える宮廷道化師トリブレがモデル
…というより登場人物そのものになっている。

フランソワ1世といえば、
ミラノ公国を占領し
イル・モーロを失脚させた人物として
塩野七生の著作で紹介されている
ルネサンス期のフランス国王。
イタリアの覇権をかけて
神聖ローマ皇帝カルロス5世と互角に戦ったり、
ダ・ヴィンチをフランスに招いたり、
アメリゴ・ヴェスブッチのスポンサーだったりと、
なかなかにすごい人物だったようだ。

ヴェルディはこの戯曲を
原作通りの形では
オペラとして上演することができず、
舞台の設定をフランスから
イタリアのマントヴァに移した。

登場人物であるマントヴァ公爵も
道化師リゴレットも、
呪いをかけるモンテローネも、
全ては架空の人物ではあるのだが、
あえてマントヴァ公爵のモデルを
実在の誰かに求めるとするならば、
おそらくはフェデリーコ2世であろうか。

※ ※ ※ ※ ※

マントヴァの領主が侯爵(Marchese)から
公爵(Duca)に昇格したのが1530年。
ちょうどその時期のマントヴァ領主が、
ゴンザーガ家のフェデリーコ2世である。

このフェデリーコ2世は、
先代のフランチェスコ2世と、
これまた塩野七生で有名になった
イザベッラ・デステとの間に生まれた、
いわば
「ルネサンス時代のサラブレッド」のひとり。

イタリア各地の領主が戦争と政略に明け暮れた
ルネサンス時代の領主の例に漏れず
フェデリーコ2世もまた様々な政略を行う。

まず最初に彼は、
モンフェラート侯の跡目を狙い、
彼の娘と結婚。
だが、跡目を狙おうにも
肝心のモンフェラート候が壮健で、
当分は死にそうにもない。
相続の潮目がないと判断したフェデリーコ2世は、
侯爵の娘との結婚を無効にし、
今度は皇帝カルロス5世の伯母と結婚。
この結婚により彼は皇帝から公爵位を授爵する。

ところがその後、
長生きすると思われていたモンフェラート侯が
事故であっけなく死んでしまう。
それを知ったフェデリーコ2世は、
再びモンフェラート候の娘との婚姻を画策し、
皇帝に金を摘んで皇帝の伯母と離婚。
更に、彼が求婚していた侯爵の娘が
このタイミングで病死するという逆風が吹くが、
彼は諦めず、死んだ娘の妹と結婚し、
遂にモンフェラート侯の座も手に入れたのだ。

北の大国神聖ローマ帝国のハプスブルグ家との
婚姻により公爵の位を得ながら
戦争に至ることなく平和裏に婚姻を解消し
モンフェラート侯の娘と結婚することで
より現実的な侯爵領を手に入れる・・・
見事な婚姻外交という他ない。

・・・もっとも
そのほとんどは、母であり
マントヴァの摂政でもあった
イザベッラ・デステの
外交手腕によるものだったそうだが。

(写真はティツィアーノ画「フェデリーコ2世」、Wikipediaより)

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