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【エッセイ】日本の人の心は過激でオリジナル

「アホな….!」と、
情動(比較的急速に引き起こされた一時的で急激な感情の動き)にまかせて発してしまったが、頭の回る人たちが頑張って会議して考えたものに対しての失礼な物言いを、反省的な思考でもう一度、読み返してみる。

ライブハウス・ライブホールにおける 新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン

観客の発声については基本的な感染対策を徹底した上で、通常の会話の音量を上回らず、一曲あたり総演奏時間の25%程度までと定められている。

つまり、ライブ中の一曲の間にお客が口ずさんで良いのは25%まで。3分の曲ならば45秒間。それが長いか短いかはそれぞれの感じ方によるが、そのように数値化しなければライブという非日常空間を作れない文化が異様さを感じてしまう。うん、僕のネガティブな感情を引き起こす。

マスク着用にしてもそうで、ここまでマスクに過剰な装着意識をもつ民族いるのだろうか?スペイン風邪の時も同じだったようだけど。国際日本文化研究センターの磯田さん曰く「(スペイン風邪の時は)個人個人の判断。あたりを見回しながら曖昧なまま(マスク着用が)終わっていった。」らしい。100年前から、やると決めたら徹底してやり過ぎる文化は変わっていない。

しかし、ちょっと逆の目線から照らしてみると、ここまでマスクなり感染予防を自分の意思に縛られず他者から決められたルールに悉く委ねられる文化、それを民族性というと大袈裟かもしれないが、日本人って色々と限度超えてやりすぎるなあということが多々ある。アニメの背景の緻密な描き込みなどは群を抜いている。そうしてみると変態的な過剰さにむしろポジティブな感情すら湧いてくる。

人はマネをすることで心が育まれるという明和政子氏の理論を正面に置くならば、他者の目線や気持ちを感じ、同調的な行動を上位に置く民族性の中に、日本には長い時をかけて心が育まれる環境や文化があるのではないだろうか。いや、ありすぎるから過剰に他者からの目を気にする風習になっているのではないだろうか。
その過剰さが、かなり面白くてぶっ飛んでいる文化を生むこともある。日本の文化って昔からすごく過激でオリジナルなんだよ。と、ひとまず良い方向に解釈をしてみた。


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