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無痛分娩メリット・デメリット#02

普通分娩も経験した私が比較してみました


辛かった長男の出産

吐きづわりもひどく、後期つわりもキツく、季節は夏。いよいよ予定日となる。

「赤ちゃん頭大きいし、まったく予兆もなさそうだから誘発しよっか!頭大きいし!お母さんも身長大きいから大丈夫だとは思うけどね!」という主治医が"頭大きい"を2回も言ったことに不安しか抱けないまま誘導入院。

これが地獄だった。

大部屋に入院したものの、周りの妊婦さんは後から来て次から次へと先に産みに行く。もう何巡したかわからない。大部屋の主と化す私。

朝から陣痛誘発剤の点滴による数分間隔の擬似陣痛は起こるので、夜に針を抜かれるまでの丸一日はほぼずーーーっとお腹は痛い。

無意味だと思いつつも本陣痛へつながることを祈りながら、痛くなったら紙に時間記入。間隔を測り続ける。文字にも狂気が宿りはじめる。

これが5日間続いたのです。

誘導入院5日目突入

お世話してくれるスタッフも、いい加減生まれてーはよベッド空けてーいつまでここおんのーと言わんばかりのイラついたような曇った表情。

院内を練り歩いてみたり階段昇り降りしてみたり。悲しくて当時の夫に泣きながら電話をかけた思い出。

帝王切開にさせたくないスタッフの執念も感じつつ、バルーン入れて子宮口をひろげる処置。これが痛くてどうしようもなく気分が悪くて、トイレで吐いて動けず呼び出しボタンを押す。

仕方なくバルーンは抜いてくれましたが、今にも深いため息の出そうな医師の顔。ごめんなさい。ごめんなさい?もっと希望や喜びに満ちた気分で出産を迎えると想像してたのに、私、申し訳なくて謝ってる???

悲惨な分娩

すでにおめでたい出産とはほど遠い、重たい空気の中迎えた6日目の早朝。やっと自力の陣痛が来た。

そこからはもう七転八倒。ほぼ分娩台に乗っていられず、床を這いずり回り、尿意が来てもトイレなんて行けず、赤ちゃんより先に母親におむつ使用。上からも嘔吐。

病院じゅうに響き渡る咆哮の末、子宮口ほぼ全開を悟ったのか、私は急におもむろに分娩台によじのぼりだし、周りを戸惑わせた。野生の本能か。

「破水してないねーさせるねー」と言われるやいなや、医師の手が奥の奥まで突っ込まれグリグリグリ!っと膜を破る。何かが弾けると同時に、こんなことが麻酔なしにしていい医療行為として認められてるなんておかしいと思った。骨ごとバラバラにされる感覚。死を覚悟した。

そして自分だけ優雅に塩サバ定食で腹を満たし、余裕の表情で分娩室へ戻ってきた当時の夫。顔を近づけての生臭い声援に殺意がわいた。

お腹の中で熱々に焼かれた特大スイカサイズの鉄球が、ドックンドックン波打ちながら全身を爆破させようとしている感覚が休みなく全身を襲う。

ラストスパート、いきみ地獄。残り0のHPで全力でいきめと。不可能すぎて涙も出ない。

「赤ちゃんの頭見えてきたよ〜今こんくらい!」から何度も何度も死ぬ思いでいきむ。「今どんくらい!?あと何回!?」とタメ口の私。「今ね、こんくらい!」と助産師さんの作った丸のサイズがさっきと同じでブチギレる私。

「厳しそうやな〜切るわ〜」ジョキッ!が麻酔なしって今思うとすごい。人口破水も、会陰切開も、なぜもっと早くしてもらえないのか、なぜ限界まで泳がすのか、拷問部屋か、そんなことを頭の片隅で考えていた。

意識朦朧、なにひとつ幸せも感動もない、死に直面する恐怖に支配され、夕方前、3590gのビックベビーが生まれた。

幸せなお産とは一体

涙は出たが感涙ではなかった。「やっと拷問が終わった」という安堵と、産んでもなお襲う後陣痛の痛みと、本気で死ぬんじゃないかと感じた恐怖による涙だった。

意味がわからなかった。もちろん出産の痛みの予備知識は実母からも聞いていたしある程度心得ていたが、この痛みに耐えることに何の意味があるのか理解ができなかった。

痛い思いをしたから可愛いし大切に育てるんだという考え。私もそういうもんなんだと思っていた。無痛分娩で次男を産むまでは。

おそらく、痛い思いをしたから愛情がわくのではない。「"あれだけ痛い思いをしたから可愛いし大切に思っている"と思わなきゃやってられないほどの痛み」が正解に近いのではないか。自分をそう納得させないと、受け入れ難い痛みだからなのではないだろうか。痛みは「無い」に越したことはないのではないか。あくまで個人的意見。

内科、外科、歯科、あらゆる手術は麻酔を使うのに、なぜ出産だけは麻酔がデフォルトではないのだろう。

あの長男出産から13年後、次は無痛と決めたはものの、可愛いと思えなかったらどうしようという新たな不安を抱え、私が実際に体験した硬膜外麻酔分娩での次男出産体験記は次回に。

つづく






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