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安心できる居場所があれば背伸びだって怖くない!古見さんはコミュ症です 感想後編


今回は後編。

最終的に私が感じたメッセージは、

"安心できる居場所があれば、挑戦だって怖くない!"

ということ。

そう感じた理由を説明する前に、
やや脱線だと感じるかもしれませんが、
私のモットーについて、書きます。

私は、

"どんな根性論も正論も、安定した心の上でしか成り立たない。
心が救われて初めて、人は頑張る事ができる。"

という考えを持って、生きてます。

心の強さや在り方は、人それぞれ違います。
置かれた境遇も、人によってバラバラです。

それなのに。

たいていの人は
「みんな頑張ってるんだから」なんて言って、
根性論を押し付けたり、
「こうするといいよ!」なんて、
聞かれてもいないのに正論を語ります。

例えばあなたが、
引っ込み思案で上手く喋れず、学校に友達が1人もいないとします。

そこで親に相談したとして

「そんなんじゃ社会に出れないよ?今のうちに話す努力しよう!頑張ればいつか克服できるよ!」

という根性論や

「まずは挨拶から始めたら?」

などという、頑張る事を前提としたアドバイスをされたら、どう思いますか?

私なら、「そんなこと分かってる!それが出来ないから苦しいの!」と感じて、もっと追い詰められると思います。

こんな時に大切なのは、心に寄り添い、ありのままを認めてあげる事なんですよね。

「寂しいよね。1日長いのに、毎日学校行って偉いね。無理に友達作ろうとしなくていいんだよ。帰ったら私といっぱいおしゃべりしようね。嫌な時は休んでもいいからね。どうとでもなるからね。」

そんな風にして
まずは、"心を安定化"させることが最優先だと思います。

心が安定して初めて、
頑張ろうと思えたり、アドバイスに耳を傾けようと思えるのです。

(これは頭の中でのモットーで、現実は正論ぶつけちゃうタイプです苦笑)


ここで
ドラマの話に戻ります。

1話〜4話あたりまでの古見さんは、基本的に筆談での会話を貫きました。
周りもそれを責めず、「ずっとそのままで良いよ」という、優しい空気を出してくれていました。

それは今作に、

"人並みに喋れる"がゴールじゃない、
"自分らしい形で人と関われる"方法を見つけるのが大切だ。

というメッセージが込められてるからだと思います。

まさに、前編でまとめたテーマですね。


しかし古見さん、
5話以降、少しづつ"喋る"ようになりました。
7話8話なんて、ほとんどノートの出番がありませんでした。

どうして喋れるようになったのか。

それは、

"心が安定"したからです。

ずっと友達が欲しいと思い続けていた古見さん。
只野くんという友達第一号が出来たものの、どう接して良いのか戸惑っていた古見さん。
悩みながら、少しづつ自分の気持ちを書いて伝えられるようになった古見さん。
万場木さん、なじみくん、片居くん、成瀬くん、
彼らと友達になり、いつの間にか「100人分の友達ができた気持ち」になれた古見さん。

そんなこんなで、
あの黒板に書き殴っていた負の感情は、いつしか彼女の中からすっかり消えてなくなりました。

これからは失敗しても、恥ずかしい思いをしても、只野君達がいてくれます。
いつでも笑って、受け入れてくれます。

古見さんには、"安心できる居場所"が出来たのです。

安心した気持ちでいられるから、やっと、頑張る勇気が湧いてきたのです。

只野くんの言う

「うまくできなくてもいいんじゃないかな

うまくやろうとして
もしも何か嫌な思いをしたって

そういう時のために
友達っているんじゃないかな」

という言葉。

これが全てですね。



人は"頑張らなくていい"場所ができて初めて、"頑張る"ことができるのです。

まずは1人でもいい。

"背伸びの必要ない友達"を作りましょう。

最初から1人で頑張る必要はありません。

安心できる居場所があれば、自然と頑張れるようになりますから。

頑張らないの先には、頑張れる世界が待ってくれてますから。


そんな事を考えた最終話。

本当に、あたたかくて優しい、素敵な作品でした。

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