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Eurovisionのおもいで

ユーロビジョン・ソング・コンテスト(Eurovision Song Contest)はヨーロッパに住む人なら誰もが知る、年一回の国対抗歌合戦である。

いまでこそ、そんなふうに知った顔で書いているが、11年前、ロンドンに引っ越して5か月目に、突然、紙とペンそして集金袋をもった隣のチームのジェシカがやってきて、

「で、明日の決勝はどの国の優勝に賭ける?」

と訊かれたときの私は、きっと鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていただろう。

「ええーっ?知らないの?そうなんだ、日本では放映しないのか」

同じチームのグラハムが簡単に説明してくれたものの、デスクの周りでは、私は置いてきぼりで、やれ今年はドイツだ、いやいやスウェーデンだだのと会話が続いている。こんなの常識だよな、とでもいうように。
ふむ。そんなに大ごとなの?

その年は観た記憶がないので、おそらくクエスチョンマークを抱えながらも観ずにやり過ごしたのだろう。
実際にテレビでその歌合戦を目にしたのは、その次の年のこと。
ルールも仕組みもさっぱりわからない。
わからないながらも、横に座っているアイルランド人に質問しつつ、観ているうちに、そのお祭り騒ぎっぷりに私はどんどん引き込まれていった。

予選を勝ち抜いた25もの参加国が、それぞれ一曲ずつフルコーラスで歌を披露するのだから、かなりの長丁場の番組だ。正直いくつかの楽曲はまったく趣味が合わなかったし、ずっと集中できていられるわけもない。
けれども、そもそものコンテストの歴史や、裏話を聞きながら、そしてなによりもBBCのコメントをしているコメディアンの突っ込みがあまりに辛辣でいかにもイギリスのドライユーモアだったのが面白く、時間はあっという間にすぎていった。

「え、なんでロシアがでてるの?」
「アゼルバイジャンってヨーロッパなんだっけ?」
「アルメニアってどこにあるの?」

このヨーロッパ国別対抗歌合戦は、そもそも第二次世界大戦後の復興期に、欧州放送連合に加盟している放送局がすべて参加し生中継を実施することで、最新技術を試すという目的でスタートらしい。
数か国で始まった大会も、放送連合に加盟する国が増えるに従い、当然規模が大きくなっていく。
そして、欧州という名前ながらも、放送連合の加盟国は電波の範囲だかの関係で、EUなどよりも、もっと幅がひろいので、結果としてイスラエルやロシアなども参加できるらしい。

「そもそもさ、ABBAが世界的大ヒットグループになったのも、ユーロビジョンに出場して、優勝したからなんだぜ」
「アイルランドの最初の優勝はさ、1970年でさ。結構何回も優勝してんだ」
「優勝すると次の年のコンテストを主催しないといけないんだけど、お金がかかるから放棄しちゃったりして、イギリスが代わりにやったりしてたんだよ」

観ているそばから、いろんなエピソードが飛び出す。

画面でもいろいろな国がそれぞれの「これこそ、おらが国!」とばかりにさまざまな特色をだして歌っている。

長い髪にミニスカートの美人歌手がひらひらと歌い踊る国。
ハードロックでがんがんに攻める国。
しっとり暗めのバラードを歌い上げる国。

まるで、駆け足でヨーロッパや近隣国を訪ねていっているようでとても楽しかった。

そしてそれは、自分が頭の中で切り離していた世界地図を、ぺたぺたとくっつけて地球儀のイメージに変えていくようでもあった。
それまでの私は、西ヨーロッパの地図、東ヨーロッパの地図、中東の地図といったように、それぞれの地域を勝手に分断させていたけれど、当然ながら、それらのエリアはみな地続きで繋がっている。
それを再認識させられた。

歌を聴くだけのコンテストのはずなのに、なんだか自分の世界観をためされているような不思議な時間でもあったのだ。

やがて、すべての歌手が歌い終え、投票時間がやってきた。

そう。この歌合戦のいちばんの肝は、最後に視聴者の電話投票と審査員の投票を合わせて優勝が決定するというところ。

たとえばキプロスはギリシャ、モルドバはルーマニアといった仲良し国の「忖度」投票が丸出しだったり。
あるいは、自分の国には投票できないというルールがあるがゆえに、逆に他国に多くの労働者を輩出している国は電話投票が有利に働いたりする。

それだけでなく、投票結果を発表する各国中継のひとの衣装やアクセント。

いろんな意味で、ヨーロッパの今が、かいまみえる。

こうして、毎年5月に行われるユーロビジョンは私にとっても風物詩となった。

フィンランド人とドイツ人のカップルの家で、お国自慢の料理をもちよりながら、ウォッカやらビールやらお国自慢の酒を飲みつつ応援合戦した年。

イングランド人、スペイン人、ウェールズ人、ドイツ人とロンドンのパブの大スクリーンで優勝国に賭けながら観戦した年。

メキシコに出張中、ひとりきりでネット観戦しつつ、パソコンでポーランドにいる友達とチャットして観た年。

この10数年の間にいろいろな思い出ができた。

なかでも、いちばん印象的な出場者といえば、2012年にロシア代表として出場したBuranovskiye Babushki (ブラン村のおばあちゃんたち)だ。

まさに「その国の文化や言語をぶつけて勝負しにくる」出場者の典型的な例だろう。
音楽のアレンジはあれども、民族衣装で素朴に歌い踊るおばあちゃんたちの姿、そして、「稼いだお金はブラン村の教会を再建するためにつかう」という話にもグッと来てしまった。
映像にもあるのだが、観客の若者たちが温かくおばあちゃんたちの歌を受け入れる様子がすばらしい。

結果は惜しくも2位だったのだが、その年優勝したスウェーデン代表Loreen(ロリーン)のEuphoriaという曲は圧巻で、十年近くたったいまでもラジオで流れるほどだから、仕方ない。

そして、もうひとり。
私にとってユーロビジョンの象徴のような存在。
それは、カメラが寄って、歌手の顔が映し出された瞬間、おそらくヨーロッパじゅうが息をのんだ(と、私は思った)、2014年オーストリア代表で優勝したConchia Wurst (コンチータ・ヴルスト)だ。

歌声、そして楽曲、そして彼女の美しさ。
すべてが圧倒的だった。
その後、ネットで、オーストリア代表に選出された直後から論争の的だったこと。
「反ヴルスト」のページが作られるほどだったこと。
ベラルーシの情報大臣がベラルーシ国営放送はオーストリアの登場シーンをカットすべきだと発言し、ロシアも放送を見送るのではないかといわれていたことを知った。

そう思うと、歌いきった最後に彼女が言う「ほんとにありがとう」のことばはさらに重い。

しかし、反ヴルストの声をはねつけるように、会場とテレビの前の観客たちを魅了し、その年の優勝をさらった姿は、多様な価値観が存在するいまの世界を象徴しているように思えた。

他のすべてと同じように。
2020年のユーロビジョンはキャンセルになった。

そして、今年。
2021年のユーロビジョンは2019年の優勝国であるオランダで、ソーシャルディスタンスとCOVID検査の管理のなかで開催された。

直前スタッフに陽性者がでたアイスランドが会場に来られず録画で参加。
また2019年の優勝者も陽性で出演キャンセルという内容だった。

が、それでも、こうやってひとびとが再び集うことができることの喜びを、テレビで見ているだけでも、感じられる3時間だった。

世界がみんな同じになることなどない。
みんな同じであるべきでもない。

いろんな価値があり、
いろんな思想があり、
いろんなひとびとがいる。

そんなことを、年に一回、歌声に載せて再認識させてくれるこのイベントが、このあとも開催され続ける平和な世の中でありますように。

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