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キセキのハガキ

ロンドンに引っ越してきたのは、当時のボスが「東京からリモートで仕事するのはダメだ。このプロジェクトの肝は、顔をみて業務プロセスを腹を割って話し合うところにあるんだから」と云ったからだった。

でも、ふたを開けてみたら、ロンドンに住んでいた過去12年のうち、3分の1くらいはロンドンにいなかった。

ボスが間違っていたわけではない。
ドイツを皮切りに、南欧、北欧、アジアパシフィック、インド、中国、北アメリカ、東欧、そして南米と、マーケットのひとたちの顔をみて話し合うため、私たちのチームは旅してばかりだったからだ。

               ♢

学生の頃から、旅行が大好きだった。

「またどこかへ行っていたんだって?お母さんに聞いたわよ。いつもいろんなところを飛び歩いていて、うらやましいわ」

脚が弱った母方の祖母のところへ海外旅行のお土産をもって遊びにいくと、いつもそういわれた。
私も時代が違っていたらもっといろんなところを見て回りたかったわ、と。

「じゃあ、代わりに今度から、外国に行ったら必ずおばあちゃんに写真のついた絵ハガキを出すね」

私はそう約束した。祖母が自分の家にいながら、少しでも海外旅行の気分をあじわえるように。

そして、それから必ず、どこにいっても祖母あてにハガキを書いた。

              ♢

それから数年後、私は大学の春休みを利用して旅行にでかけていた。
「アメリカに行ったというのに、まったく連絡がつかないのよ」と祖母のところに遊びに行った母がこぼしたらしい。

「あら、確か昨日、『パリにいます』って絵ハガキが来てたわよ」

祖母が状差しから取り出したエッフェル塔のハガキを見せられた母。
アメリカに行ったはずの娘が、なぜかパリから、呑気に、そして律義に祖母へ絵ハガキを送っていることを知り、喜んでいいのか怒っていいのか、一瞬本気で悩んだらしい。

「パリって一体どういうことなの?そもそも聞いたら、おばあちゃんちには、違うところに行くたびにこまめに絵ハガキをだしているらしいじゃないの。ニューヨークからもロンドンからもパリからも来たわっておばあちゃんは嬉しそうだったけど、だったらうちにもちゃんと連絡いれてきなさいよ」

こうして、旅行先からハガキを送る先に実家が加わることになった。
それは20年ほど前、パソコン通信という限られた世界でインターネットが使われていたころの話。
まさか、その後、こんなに世の中が便利になるとも思わなかったし、いろんな国を旅することになるとも思ってもいなかった。
メールがあろうがFacetimeができようが、それでも、世界から実家への絵ハガキの伝統は、ずっと続いている。

               ♢

1)その街のシンボルとなるものが写ったハガキを買う
2)日本までの送料がいくらかかるのか調べる
3)切手がどこで買えるか調べる
4)投函がどこでできるか調べる

難しいリストにはみえない、かもしれない。
けれど、いろんな国には、いろんな事情があるものだ。

たとえば、日本。
日本に帰省している間、ロンドンの友達やアメリカの家族にはがきを送ろうとしてびっくりするのは、日本では富士山や渋谷の交差点といった観光名所のはがきを街角でサクッと気軽に買うことが意外と難しいということ。
買おうと思うと高級なケースに入った10枚組だったりして、結構な値段がする。もっと気軽なやつを売って欲しいのになあ。

たとえば、インド。
切手も郵便局も普通に存在するらしいけれど、とにかくニューデリーの交通渋滞といったら数キロ先にいくのに車で1時間かかる。歩けばいい?そもそも道らしい道がない。
仕方なく、ホテルのフロントに頼んで出してもらったが、郵送料として言われた金額があまりに安くて(1枚10-15円相当だったと思う)本当に届くのかドキドキだった。ところが、意外なことに1週間後には東京の家族に届いていた。意外とやるじゃん、インド。

たとえば、シシリア島。
友達の実家に遊びに行って、よし!と村の雑貨屋でハガキを購入(不思議なことに南ヨーロッパの村ってどんなに小さくてもおらが村の絵ハガキを売っている。たいてい何年もお店にいたねという感じで色褪せてるが、それも味があっていい)。
しかし、友達に聞くと「うーん、郵便局ねえ。何時に開くのかなあ。とりあえず土日は閉まってるんだよね」というあいまいな返事。そして、実際とても曖昧な営業時間だった。あれって郵便局をやってる家族の都合で決まってるのかも。
諦めかけた3回目の挑戦でようやく切手を買うことができた。そしてイタリアのエアメイルはとても高い。

そういう意味では、イタリアが例外で、ヨーロッパの国はほとんどスムーズにハガキも郵便局も見つけることができる。
昔はポーランドなど社会主義時代の影が残る国だと、郵便局で切手を買うのに2時間待ちなんてザラだったけど、今はそういうこともなくなった。
嬉しいけど、ちょっとさみしい。

社会主義国といえば、キューバのときは大変だった。
キューバにいったのは、プロジェクトが南米にまで到達した4年ほど前のこと。
メキシコで行う会議の前に、せっかく遠くまで行くからと休暇を調整してキューバに立ち寄ることにした。ちょうどチームにキューバ人がいて、いいところだと何度もいわれていたからだ。
インターネットの限られたキューバでは外国からの予約手配が非常に困難なところを、運転手や小さな村の宿泊など助けてもらい、ハバナだけでは終わらないプランを組んだ。

観光収入に頼る島だけあって、ハガキを買うのは問題なかった。
けれど、郵便局が、というか、なにもかもが(外貨両替のできる銀行とか、インターネットにつなぐための通信カードを売る店とか、そもそもインターネットの電波とか)が大都市にしかない。大半をハバナから遠く離れた村で過ごしたので、このまま郵便局には出会えないかもとドキドキだった。
郵便局のポストに投函できたときには、感激のあまりその写真を取って実家に先にメールで知らせるという、本末転倒の行動をしてしまったくらいだ。
1か月後に無事届いたと聞き、ある意味驚いた。
世界ってちゃんとつながってるんだな。

さらに難関だったのは、パナマ。
ハガキは観光地になっている歴史街区で買うことができる。しかし、切手を買いたいとホテルのフロントにいうと「郵送物があるならばFedExを手配します」という返事。いえ、えっと、これ仕事のじゃないので、ゆっくりのんびりのやつでいいんですが。

しかたなく、会議に同席していたパナマオフィスの同僚に相談すると

「え、郵便?だって絶対に盗まれちゃうから、そんなの使う人いないよ。手紙ならメールするし、モノならFedExだし」

目をまんまるにされてしまった。
なんと!
そもそも暑すぎて郵便を家のポストまで届けるという発想がないという。
そういえば、それはアブダビに行ったときにもいわれたっけ。酷暑の国には郵便配達というコンセプトがなく、自主的に取りに行くという風土に根差した共通のやり方があるらしい。

結局、ハガキを持ち帰りロンドンから投函した唯一の敗北記録の国となった。

               ♢

同じ中南米でも、コロンビアには少なくとも郵便局があった。郵便局と呼ばれない、郵便局が。

ボテロ美術館で買ったはがきに「キューバ、メキシコとまわって、今はコロンビアの首都ボゴタにいます」としたためて、ホテルのフロンドデスクに相談しようと降りて行った。

「日本まではがきを送りたいんですけど」

フロントデスクにいた、ひげを蓄えたホテルマンが、やや困惑した、ように見えた。

「ええと、国際郵便でしたら、FedExもDHLも手配できますが」

うむ。なんとなく知ってる展開だな。

「いえ、まったく急ぐ郵便物じゃないんです。普通の郵便局で時間をかけて届くやつでよくて、というかそっちがむしろ希望で…」

「でも、きっと届きませんよ。途中でなくなるか、盗まれます」

パナマとキューバとメキシコを経験したあとだったから、なんとなく予想していた回答だった。
とりあえず、これは家族の伝統行事みたいなもので、あえてハガキを送ることに意義があること。封筒でもないただの絵ハガキだから、きっと盗まれる恐れはないと思うこと。届くかどうかのドキドキも含めて、東京の家族が心待ちにしていることを説明する。

「わかりました。うちのホテルは空港に近いですし、472はおそらくあると思います」

手元のパソコンで検索を始めたホテルマンに思わず疑問をぶつけた。

「ふぉーせぶんつー?」

「そう、472です。ああ、どうやらうちのホテルから一番近いのがみつかりました。タクシーを呼びますか?」

昔、名探偵ホームズに813の謎っていうのがあったけど、472って一体なに?

                ♢

会社の出張規定として、中南米滞在中は会社が手配した運転手付きの車か、あるいは私的移動の場合は乗降の記録が残るUberにしか乗ってはいけない、市街を流しているタクシーは使用禁止ということになっていた。

しかも、よく見ると、その謎の「472」は、ホテルから歩いて30分ほどのところにあるようだ。明るい昼日中、しかも空港近くの産業道路沿いだ。Tシャツに短パンというお金のなさそうな格好ならば、まさか危なくないだろう。
よし、歩こう。

こうしてボゴタ空港から都心へのびる産業道路の脇を、携帯にダウンロードした地図を頼りに歩くことにした。

プップー。
横を走っていくタクシーが砂埃をあげつつ、客引きしようとクラクションを鳴らす。
それをしっかり無視して、前だけを見て、ぼこぼこ穴だらけのスペースを行く。

ようやく、右手に、それらしい建物が目に入った。
建物の壁に大きく描かれていたのは、コロンビアの地図に十字に走るラインと4>>72のロゴ。
分かった!4度と72度は緯度と経度なんだ。郵便局がおそらく民営化して、新しくつけた会社名。ポストオフィスって呼ばなくしちゃうところがすごい。

謎が解けて嬉しくなった私の目に、同時に、建物の中で待つものすごい数の人たちの姿が目に入った。
まいった。
時間はたっぷりあるから、中で待つのは構わない。でも、いったいどういう秩序で順番待ちしてるんだろう?
喧嘩を売ったと誤解されるのを承知で、窓口に強行突破するかと覚悟を決めたとき、追い越して云ったおばさんが番号札を取るのが見えた。
いいぞ世界共通、番号札システム!
そこにあるのは、たぶん郵便と、たぶん銀行と、最後はわからないなにか。その3つある選択肢から、郵便ぽい匂いのするボタンを押して札を取り、待つことしばし。

「68番!」

私の番がやってきた。
天井までプラスチック板で囲まれたお兄さんの後ろには同じくらいの高さで山のように郵便物が積まれている。
やっぱり庶民はDHLなんて高いし使わないよな、なんてことを漠然と考えながら、片言のスペイン語で

「Para japón por favor.(日本まで、おねがいします)」

と絵ハガキを差し出した。

私の顔、絵ハガキ、引き出しの中、そしてコンピュータ画面をぐるぐる見ながら、お兄さんが何か早口で言った。

えっと、もうこういう場面で使えるスペイン語の単語はみんな使い果たしました、許して。そんな気持ちでニッコリする私。

ああ、絶望的だといった風にお兄さんはドラマチックな表情を作って声のボリュームを上げた。
たとえ音量が変わっても、スピードが遅くなっても、突然私のスペイン語力が上がったりはしない。
申し訳ない気持ちと、ここまでせっかく歩いてきたのだから、諦めるのはいやだという意地で立っていた私は、なんとなく背中に視線を感じて振り返った。
そこには次の順番を待っていた推定69番のお母さんが6歳くらいの少女と共に立っていた。

「お父さん呼んできなさい」

お父さんという単語が耳にはいった。
ドキドキした。
なにしろ麻薬やら誘拐のイメージもある国だ。行列を遅らせるガイジンに文句を言いたいとか?なんか大ごとになっちゃうのかも?
そう思っていたところに、やや緊張した顔で白Tシャツにジーンズのお父さんが現れた。その表情に、こちらもつい緊張してしまう。

「¿Inglés? (英語?)」

と、訊かれた。私はSi(はい)とスペイン語で答えた。
そして、その瞬間、お父さんと私にサッとその郵便局中の目が集まった。
お父さんがほっとした顔をした。ふう、よかった。英語なら何とかなる、とでもいう風に。
そうか、私の顔だちをみて、日本語や中国語しかできず英語が通じなかったらどうしようと心配したのかも、と気がついた。

お父さんは透明な板の向こうのお兄さんに話しかけ、振り返って英語で私にいった。

「はがきには、切手を貼りたいか?いま、この郵便局には切手の在庫がない。だから、切手がいいなら受け付けない。でも、消印と値段のシールなら受けられる。それでいいか?」

なんと、お兄さんは日本への観光絵ハガキをみて、切手の在庫を切らしていることを心配してくれていたのだ。
その思いやりに嬉しくなりながら「sin problemas (問題ありません)」とスペイン語で返した。
お兄さんも、お父さんも、そして郵便局の待合スペース中のひとの表情が柔らかくなった。

娘は、かっこよく英語を操りながら、この困った日本人観光客を危機から救った父親を、やや頬を紅潮させて誇らしげに見上げていた。
お父さんがさっきより柔らかい表情を浮かべながら英語で私にいった。

「日本人なんですか?ボゴタを楽しんで帰ってください」

そして、娘を見ながら

「日本人なんだって。ほら、英語は大事だっていったろう」

とスペイン語でいい、微笑んだ。

私はありがとう、ありがとうとスペイン語と英語で繰り返し、郵便局中の人の暖かい視線を感じながら、建物を後にした。

翌日、会議の前に、ボゴタオフィスの同僚にこの話をすると、

「それは貴重な経験をしたわね。私なんて最後に郵便局を使ったのはいつだか思い出せないくらいだわ。でも、もしそのハガキが、盗まれも、なくなりもせず日本にまで届いたら、それは奇跡ね」

と笑った。

ボゴタからのはがきは、それから3か月後、やっぱりもう届かないのかなあと諦めたころ、東京に届いた。
それをボゴタオフィスの同僚に話したら「すごおおおい!奇跡よ!奇跡!それは日本がコロンビアにサッカーで勝つくらいのね」といわれた。

ハガキは無事に届いたし、その翌年のワールドカップで日本はコロンビアに勝った。

奇跡は、起こる。

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