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そうです、ヴァージニア、サンタクロースはいるのです

東京にいる友達から、iMessageのグループチャットにメッセージがやってきた。

「ね、サンタクロースのこと、いつまで信じてた?」

なんでも、小学生4年生になる娘のななちゃんが、学校の図書館で「サンタクロースっているんでしょうか」の本を偶然みつけてしまい、母親である彼女に訊ねてきたのだそうだ。

そう、あの

Yes, Virginia, there is a Santa Claus. 
(そうです、ヴァージニア、サンタクロースはいるのです)

1897年、ニューヨーク・サン新聞 社説

の一節で有名なあの本。

あなたは、サンタクロースをいつまで信じていましたか?

子どもの頃、私の家にはサンタクロースは来なかった。

「ああ、あれはね、仏教徒のおうちにはこないのよ」

母は手を忙しく動かしながら、目をこちらにむけることもなく、あっさりといった。
あれは、小学校低学年のころだったろうか。

それまでに、サンタクロースを信じるような「起きたらおもちゃが!」という経験がなかったから、信じるも何もなかった。サンタというのはティンカーベルやババールと同じ洋モノのキャラクターだと思っていた。

しかも。

その質問をした年のクリスマス、だったと思う。
クリスマスイブの夜更けに、そーっと姉と私が使う子供部屋のふすまが開いた。
母親が手作りの人形を枕元において、そしてそっと出ていった。

母にしてみたら、そんな質問をした、クリスマスにおもちゃをもらったことがない娘たちを不憫に思えたのかもしれない。

でもね、お母さん。
サンタクロースは北極とかに住んでるガイジンさんなはずなんだよ!
こんな明らかに私のスカートの端切れと同じお洋服をきたお人形さんをガイジンさんのサンタさんがくれるはずないし。
それに、私が欲しいのは任天堂のドンキーコングのゲームウォッチだし!

友達とのメッセージのやり取りで、東京にいる二人が「小学校までだったかなあ」などとやり取りしていることが羨ましかった。
こっちのヨーロッパ人ならともかく、日本人の、しかも同世代でもサンタなんてハイカラなものを、当時彼女たちのご両親は頑張っていたんだなあ。

でもね。

今は、サンタクロースって、やってもらうよりも、自分がやるほうが、圧倒的に楽しいと思うのだ。

新卒で入った会社には、シングルマザーの派遣さんがいた。
彼女の娘さんはそのころ小学校3-4年生だったろうか。
ちょうどいま、私の友達が経験しているような「同級生たちはもうサンタを信じてないけど、絶対にいると信じている」ゾーンを通過中だった。

「もう私の字だとばれちゃうし、それにかっこよく英語でカードがついてたほうがいいと思うのよ」

ある日、そうお母さんである派遣さんがお弁当を食べながらいった。
そして、私はサンタさんになった。

筆記体でクリスマスのメッセージを書きつけ、サンタクロースより、と署名する。
ああ、今年もそんな時期になりましたね~などといいながら、その後アメリカに行くまで5年間、私はサンタさんだった。

その後アメリカの中学校と高校で日本語を教えるようになった。
クリスマスを控えたある日、先生同士の間で「シークレットサンタ」というイベントのお知らせがやってきた。
参加する先生や職員たちの名前を箱に入れて、くじ引きし、その人に5日間、だれからかを告げずに、バレないように、プレゼントをあげるというもの。
私がひきあてたのはあまりよく知らない事務のおばさんだった。だから、彼女の好みも何もわからず、いい匂いのキャンドルなどでごまかしてしまった。けれど、誰が送り主かバレないように早朝の職員室にいき、彼女の机にプレゼントを置くというだけでも、なんだかとってもドキドキして楽しかった。

ロンドンは北緯51.3度にある。
日本最北端の宗谷岬は北緯45.5度だ。

それは、つまり、猛烈な、冬の日照時間の短さを意味する。

今年の冬至、12月21日の日照時間は、

ロンドンが7時間49分(日の出8:03、日の入り15:53)で、
東京は9時間44分(日の出6:47、日の入り16:31)だ。

特に、朝起きて活動を始めなくてはならない時間にまっくらだというのは、実に意欲をそぐ。

まだロンドンに来て4-5年のころ、在ロンドン10年以上という日本人の女性が「やっぱり何年たっても、どうしても、冬が来るたびに辛くなって日本が恋しくなっちゃうの」といって、日本に帰国していった。
しっかりした仕事をもち根を張って暮らしていても日本に帰っちゃうのかと驚いたけれど。今となっては、あのときの彼女の気持ちが、本当によくわかる。
そのくらい、この国の深く暗い冬は、重い。

食べものも、友達をあたらしく作ることも、家さがしも、転職も。
この10年ちょっとの間に、ヨーロッパで暮らすということにすっかり慣れた。
けれど。
冬の暗さと、夜の長さにはいっこうに慣れることができない。

そして、だからこそ。
そんな冬の、ほんとうに、ほんとうに、日が短くてつらいピークのタイミングにあわせて「クリスマス」というイベントがある意味がよくわかる。

長い夜をキャンドルやイルミネーションで飾り立て、青々とした香りを家に運んでくれるモミの木やリースを家に飾り、ごちそうやプレゼントをワクワク待ち焦がれるんでもなかったら、正直、

ヨーロッパの冬、やってらんねーよ。

なのである。

そして、それは、ハヌカでキャンドルをともしたり、ディワリで花火を上げるのにもつながると、個人的には思う。

そして、思ってみたら、それは日本がやはり冬の厳しい時期にお正月というイベントを設定し、松飾りで青々とした緑の息吹に思いをはせ、ごちそうやお年玉にわくわくするのと同じことなのだ。

真冬の、まっくらな中で、やがてぜったいにめぐってくる緑の息吹を思う気持ち。それは、残念ながら、人工のツリーではどうしたって伝わらない。

ロンドンにやってきてすぐの頃、「クリスマスに家で一人なんてぜったいにダメダメ!」といって、ウインザーやウェールズの友達が家族ですごすクリスマスに招待してくれた。

まだ子供たちが小さかったウインザーの友達の家では、寝ないと言い張る子供たちをがんばって寝かしつけたあと、
暖炉の前に置かれた「サンタさんのためのウイスキー」を飲み、
「サンタさんのためのミンスパイ」を半分食べ、
「トナカイのためのニンジン」を一口齧った。

20年以上も前、小学生の女の子に英語でカードを書いたときみたいに、それは実にワクワクする時間だった。

そして翌朝、子どもたちはまず一番に暖炉の前に行く。

「あ!食べてあるよ!トナカイもきたね!」

目を輝かせて齧り掛けのニンジンの皿をもち、小躍りしている。

サンタ役、悪くない。

そんな彼らと同じくらいに興奮しながら、モミの木の下に置かれたプレゼントを、家族みなで開けあった。
ギリギリになって泊りに来た私にも、友達一家はしっかりプレゼントを用意してくれていた。

それは、私が、東京時代に、「お正月は家でひとりだ」という韓国人の友達を実家に呼んで、みんなでおせちの説明をしながら年越しをしたのに似ている。

厳しい冬を、乗り越える先人の知恵は、宗教だのなんだのを越えて、そこにある。
それは、家族で過ごす時間。
おいしいものを取り囲んで、家を飾って、笑顔になる時間。

そうです、バージニア、サンタクロースはいるのです。
サンタクロースは、愛や人への思いやりや、献身が存在するのと同じくらい確実に存在します。

そう。
だれかがだれかを思う気持ち。
こんなに確かな、
世界中変わらないものは、
ほかにない。

お母さん、仏教徒のうちにはサンタはこなかったけど。
サンタのかたちじゃなくっても、
あったかい気持ちが、ほかのおうちと同じようにくるんだね。
あの夜のお母さんが、それだったんだ。

コロナのせいで、今年も日本には帰れないままの年末年始だけれど。
でも、大丈夫。
だって、気持ちはちゃんとわかっているから。


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