ここに河終わり、海始まる
通勤で普段乗っている電車の終点までいってみたことがありますか?
東京に暮らしていた時。まだ今のようにいろんな私鉄が相互乗り入れしていなかったシンプルな世界だったころ。
目黒と蒲田の間を結んでいた目蒲線は15駅というシンプルな路線をいったりきたりしていたので、どちらの終点にも用事に合わせていったことがあった。
東京と横浜を結ぶ東横線とて同じこと。渋谷駅も桜木町の駅もしっかり終点で線路が終わっていた。
終着点というのにはなんとなくロマンがある。
函館のあのすてきな空間も、終着駅にあったっけ。
♢
このチューブ(地下鉄)の終点って、どんなところなんだろう。
西ロンドンに暮らす私にとって、地下鉄とは、オクスフォードサーカスやピカデリーサーカスのあるセントラルロンドンに行くための手段。
そこを越えるといっても、せいぜい東ロンドンの始まりをかじるくらい。シティ空港やオリンピックスタジアムあたりが私にとっての「ロンドンの東の果て」だ。
西側にはヒースロー空港や外食や友達に会いにいくリッチモンドの町があり、親しみが強い。
でも、セントラルロンドンにいくときに「この電車はUpminster(アップミンスター)行きです」と車内放送で聞く場所が、いったいどんなところなのか、ちょっと気になっていたのだ。
♢
日本がゴールデンウィークを迎える5月あたま。
イギリスは5月第一月曜が祝日で連休になる。
そうか、この週末は連休だっけ。
ちょっとここのところ、仕事でいろいろなことが勃発していたので、それを思い出したのは先週の木曜のこと。オフィスに出社するため地元の駅でチューブを待っていた時だった。
パリに行く電車は結構な値段になっていたし、ウェールズに顔をみにいこうと思ったらトレーシーはデートがあるという。
だったら、ロンドンでできる小さな冒険をしてみよう。
あの謎の終着駅、アップミンスターに行ってみようじゃないか。
土曜の朝8時半。
ガラガラの車内に乗り込んで、出発進行。
そしてチューブは、低予算ホテルが立ち並ぶアールズコート駅を過ぎ、博物館が立ち並ぶサウスケンジントンを過ぎ、どんどんと混みあっていく。
ビクトリア駅付近でピークを迎えた乗客の数は、しかし、ロンドン塔のあるタワーヒル駅を過ぎるとまたふたたび減っていった。
そして、ウェストハムを過ぎる。
私にとって未踏のエリアにいよいよ突入だ。
そして、全車両を通じて、乗客が10名もいなくなったころ。
東側のゾーン6。アップミンスターに到着した。
朝10時になっていた。
おおよそ1時間半のチューブ旅。距離にして50キロほど。
ふうむ。
アップミンスターで何ができるのか調べようと思う前に、地図で自分がとても海に近いところまできていることに気づいた。
そう、ディストリクト線はテムズ川に沿うように西の上流から、東の下流に向かって走っているので、もう少し行けば河口になるのだ。
ここからバスとか電車があるのかな。
と、同じアップミンスター駅から、その名もSouthend on Sea(サウスエンド・オン・シー)という町まで電車が出ていることが分かった。
しかも向かい合わせのプラットホームからだ。
が、しかし。
日本のパスモのようなオイスターカードのシステムは、たいていゾーン6まで。なので、たとえ向かい合わせのホームでも、一回チューブの改札を出てから、鉄道会社のチケットを買いなおさないと、べらぼうな違反金を取られてしまう。
次の電車は3分後だったけど、改札までいって、切符を買いなおして、同じプラットホームに戻ってこられるか。
♢
間に合わなかった。
グーグルは10分後の電車に乗れといってきたけれど、待つよりも、その前にホームに入ってきた電車に乗りたくなった。
間違ってたって、別に急ぐわけでも、予定があるわけでもない旅だ。
そしてすぐ、その路線はグーグルの提案から大きく外れたルートをたどり始めた。
テムズ川にむかって。
♢
車窓から海岸線にヨットクラブ、そして遠方に大きなクルーズ船やタンカーがみえてきた。
私は2週間前、走り続けだったアムステルダム出張の帰りに飛行機からみた景色を思い出した。
1泊でいったものの、2日目の午後でもトラブルが解決せず、会議室にこもったまま秘書さんにチケットを最終便に変更してもらう羽目になった。
迎えのタクシーを玄関に待たせ、ギリギリまでイタリアやスペインと電話会議し、セキュリティも出国審査も空港中ゼイハアしながら走る。
そして、グーグルのいうゲートに走りついたら、行先にロンドンヒースローの文字がない。
そう、秘書さんが買いなおしたチケットはロンドンシティ空港行きだった。
どちらも騒音対策でテムズ川に沿っていくものの、おそらく着陸態勢に入るルートがヒースローとシティでは違うのだろう。
フランスから北海を越え、テムズ川の河口をたどり東ロンドンに向かって下降していく機内からみる景色は、いつもとは違う新鮮なものだった。
そうか、あそこを今度は地上からみているんだ。
そして、到着したサウスエンド・オン・シーは古き良きイギリスのビーチタウンだった。
ブライトンやサウザンプトンなどよりコンパクトで、でも、埠頭には遊園地。そしてビーチ脇にはカラフルな小屋がたつ。いかにもの景色。
ただ、そのいかにもの景色を特別なものにしているのは、私のなかで「うちの裏をながれている川が、ここにたどり着く」という感慨だ。
電車のなかから、最後の数駅にわたってテムズ川の最後の数キロである海岸沿いに小さな集落がいくつもあるのが見えた。
せっかくだから、散歩がてら2-3駅分を歩いて戻ってみようかな。
そう考えながら目で海岸を追っていると、そこだけたくさんのシーフードを売る店がならぶ集落があった。
ここに立ち寄ろう。
目的地が定まった。あとは歩くだけ。
海岸沿いに1時間半ほど。ぶらぶらと、途中ベンチに座って河口をすべるようにわたっていくタンカーなどを見て休憩も取りながら、のんびりと青空とおひさまの祝福を楽しむ。
そしてやってきたのはLeigh on Sea (リー・オン・シー)という集落だった。
それまではどちらかというとカフェやアイスクリームショップ、ドーナツ屋などが続いていたのだが、ここにきた途端、海岸沿いにしっかりパブとシーフードレストランが立ちならぶ。
電車で見かけたあのお店は、どこなのか。
左右を見渡しながら、歩いていくと、あった!
軽い行列ができていたその店は、いかにもイギリスの海岸町で売っているメニューを置いていた。
まずは、イングランドの海岸でいちばん見かけるCockle(コックル)。私は小さいアサリなのかと思っていたが、どうやら日本語ではザルガイと呼ばれる貝らしい。そしてこれまた定番のCrayfish(クレイフィッシュ)、ザリガニとはいえ味はしっかりしていてもはや小さなロブスターだ。さらに酢漬けのAnchovies(アンチョビ)と、Rollmops(ロールモップス。
これは薄切りの玉ねぎをニシンでくるくるとロールして酢漬けにしてあるもの。
他にもカニや茹でエビ、ロブスターなどが並べられていた。
4種選んで10ポンドという一人用のシーフードプラッターと、4ポンドの茹でたエビで合計14ポンド。
以前書いたように為替レートをもちこまない主義なので気持ちとしては1,400円。シーフードの高いイギリスの観光地で、これだけたっぷり乗ったプラッターならまずまずである。
ところがこの店、アルコールは置いていない。
おそらくライセンスを取っていないのだろう。
他の人はどうしているのかと見まわすと、みんなビールのパイントグラスやワイングラスを持っている。
どうやらお向かいのパブとの協業関係がなりたっているらしい。そんなところも地元色があっていい、のだけれど、なにせ私は一人なので、お皿を放置したままパブの中にはいけない。
むむむ。悔しいけれど、とにかくプラッターをいただこう。
混雑するテラス席のなかで、4人掛けのテーブルに一人で座っているイギリス人男性がいたので、相席させてもらった。
と、そのひとが、なにか携帯で打ち込み始めた。と、パブからお姉さんがオーダーを取りにやってくるではないか!すごい、地元民はわかってる。
「私もオーダーしていいですか?」
このチャンスを逃すまいとお姉さんにギネスを頼むと、なんと、その地元のおじさんがウインクしながらまとめて支払ってくれた。
「どこからきたの?」
この前書いたような会話をしていたら、その人はサウスエンド・オン・シー生まれで、イギリスの国内を移ったあと、故郷に帰ってきたくなって戻ってきたのだと教えてくれた。
こんな素敵なところが故郷なのか。
そんな偶然の出会いで会話が弾む楽しさも、久しぶりに味わって、とっても楽しいひとり遠足となった。
そしてもと来た旅路をたどる。
不思議なことに、一回やってきたルートを戻るときは、行きよりもずっと早く到着した感じがする。
ふたたび路線図を見上げると、行きには未知だったその場所がどんな景色のところだったか目に浮かぶ。
これだけ旅気分を味わって、パスポートもいらず、往復20ポンド足らずの交通費。そして帰宅したのはまだ日が明るい夕方5時。
猫の夕飯を逃すこともなく、テムズ川が流れゆく先をこの目でしっかり見ることができた、とても素敵な日帰り旅だった。
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