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暮らすこと

「おれ、フランスに住んでたんだ」
もし誰かがそういったら、どのくらいの期間を想像しますか?

私が「住んでいた」と表現するのは1年くらい暮らしてからだろう。
学生時代、アメリカに3か月くらい行ったけれど、ホームステイしたとか滞在したとかであって、「住んだ」とは言わない。

でも、英語のネイティブスピーカーは、3か月、いや1か月くらいの滞在だったとしても「Live」という言葉を使うことが多い。
冒頭はイングランド人のケビンが言ったセリフ。さらにきくと、仕事がらみで毎回3-5週間フランスに行ってはイギリスに戻る暮らしを半年したことを「住んだ」と表現したらしい。
別の友達も長めの旅行で1か月くらいどこかにいたら、「住んだ」という。
英語の「住む」は、短めな期間でも使うということなのかもしれない。

「どこから来たの?(Where are you from?)」
そう訊かれたら、どう答えますか?

私は、状況によって答えを変える。

空港の入国審査であれば、飛行機の出発地である「ロンドン」。
だってパスポートを見せてる以上、出身地が日本だとわかってるはずだもの。

でも旅行先で訊かれた場合、一瞬なやむ。
たいていはシンプルに「私は日本人ですよ」とだけ答える。
アジア人の顔を見て、どこの国か知りたいのかなと思うから。

10年ほど前出張でニューヨークに行ったとき、イタリアンバルに立ち寄った。
入ってすぐのところにコーヒーを立ち飲みできるカウンターがあるような、ちゃんとイタリアぽいバル。
数人のお客さんをさばいていたバリスタのお兄ちゃんは私に背中を見せていたけれど、肩越しに

「次のお嬢さん、注文は?」

と訊いてきた。私は

「アメリカンコーヒーを一杯お願いします」

とあまり考えずにいった。
いいながら、あれ、そういえばアメリカではわざわざアメリカンコーヒーなんていうんだっけと思いつつ。

と、お兄ちゃんは、ザッと勢いをつけて振り返って私のことを凝視して

「今の、きみ?」

といった。
英語が通じなかった経験がたんまりある私は、そんなとき、英語圏で仕事をしている自分をすっかり忘れ、あの英語を聞き返されてモジモジした学生時代の自分に戻ってしまう。
しまった、また通じなかったのか。

私のオーダーと顔をリンクさせたお兄ちゃんは、ここであの「あなたはどこから来たの?(Where are you from?)」という質問を私に投げた。

日本人です、という私の回答に、返ってきたのは意外な反応だった。

「日本人はみんなアメリカンアクセントの英語を話すし、アメリカ人だったらそんな丁寧な注文の仕方をしないよ」

ああ、そういう驚きだったのか。
私は、そもそもは"東京出身"だけれど、今はロンドンに"住んで"いて、出張でニューヨークに"来て"いる、という長めバージョンの回答をした。

それを聞いて納得したお兄ちゃん。
ふふん、そういうことだったのかという顔をして、ヨーロッパ的なおいしいコーヒーを、アメリカ的な大きなカップになみなみ注いでカウンターに出してくれた。



どこからきたのか、というのは意外と深遠な質問だ。

住んでいるところ、ともまた違う。

それに、人によって、心のよりどころは出身地でも居住地でもない場所だということもあるだろう。

先日、移住という言葉をどう使うかというnoteを興味深く読んだ。
移住。
住む場所を移る、というその言葉は、数ヶ月いたくらいでは簡単に使えない気がする。

会社の転勤でイギリスに引っ越し、労働ビザで働いていた間、一度部門閉鎖でリストラ対象になったことがあった。
その会社に勤め続けられなければ国を出なくてはならない、という危うい自分の立場を痛感させられた。

永住権を取って転職をしたあと。
ようやく、自分の判断でこの国にいるか決められるという喜び、誰かに依存することなく自分の力で住む権利を勝ち取ったという嬉しさがあった。
スポンサー企業やら、婚姻関係やらにしばられない、これは私が勝ち取ったこの国に住むことができる権利だ、と。

けれど、やっぱり、なんというか移住したと言い切れず、国境の塀の上から両方に脚をだらんと垂らして座っているような気がする。

海岸線を越え、濃い木々の緑が飛行機の窓から見渡せるようになると「ああ日本に帰ってきた」と思う。
同じように、雲を越えてテムズ川沿いにレンガの家が立ち並び赤いダブルデッカーが走りまわる様子を見下ろすと「ああロンドンに帰ってきた」と思う。
そして、まっ平らな地平線にコーンと大豆畑が広がり、たくさんの湖が散らばった様子をみると「ああミネソタに帰ってきた」と思う。

どこにも住んでいて、どこにも移住していない、そんな感じ。

それが寂しいことなのか、喜ばしいことなのか。

笑顔で迎えてくれる人が、そこにいる限り、それは嬉しいことなんだと思う。


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