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まかろんを買いに

我が家の猫は、隙間フェチのようだ。

小さい頃から、テレビの裏が大好き。ケーブルの間をかいくぐって潜っていっては、画面のしたからそこだけ白くなった前脚の先をだす。

子狐はその光がまばゆかったので、めんくらって、まちがった方の手を、――お母さまが出しちゃいけないと言ってよく聞かせた方の手をすきまからさしこんでしまいました。
「このお手々にちょうどいい手袋下さい」
(「手袋を買いに」新美南吉)

たとえば、庭掃除をしようとドアを開けておくと、その反対側に回って、またしてもドアと床の隙間から、白い前脚の先をだす。

いつも、あの幻想的な絵本の一場面を思い出す。

長い長いロックダウンの末に。
いいかどうかはともかくとして、イギリスは高いワクチン接種率を理由にほとんどの規制を解除した。
ロンドン市長は(イギリス首相と対峙する労働党の市長ということも少なからずあると思うが)いまだに安全は確保されていないとして、公共交通機関を使うときにはマスク着用を義務づけているが、まあ、自主性重視のこの国のこと。乗客の2割くらいはあごマスクかまったくマスクをせずにシラッと乗っている。

去年のクリスマスには国境閉鎖されたフランスとも、ワクチン接種2回が済んでいる証明があれば渡航前テストは不要。帰国後の簡易テストのみで行き来ができるようになった。

ヨーロッパのトップは「やっぱり人間は顔をみないと」タイプなので、さっそくあちらこちらのオフィスを訪ねている。
と、思ったら、リーダーシップ会議をパリでやるといってきた。

久しぶりのパリ。
最後にいったのはまだコロナは中国のもの…と思われていた2年前の冬だ。

朝から晩までの会議が二日半続き、最終日は4時の解散。
ホテルの上の階と下の階を行ったり来たりするだけで、フランスにいるなと思うのは、エレベータの階数通知の声がセクシーな鼻音でフランス語を話すときくらいだった。

ああ、夜7時過ぎのユーロスターに乗る前に。せめて、せめて。

メトロを乗り継いで、
手ぶくろならぬ、
マカロンを買いに。

しかも時期はクリスマス前。
このタイミングならばピエールエルメでフォアグラ味のマカロンが出ているかも。

そんな話をランチどきにしていたら、フランス人の同僚が

「いやいや、オレが好きな店のマカロンを食べてみてくれ。絶対ピエールエルメより旨いんだ!」

といいだした。

現地人の「こっちの店の方がオレは好き」と言う情報は大好きだ。

バルセロナのチョコ。
ナポリのピザ。
ミュンヘンのビール。

有名なのはあそこだけど、いやいやワタシのお気に入りはこっちなの。

私もそういって、初めて東京出張に行ったスペイン人を「マルノウチラインに乗ってトラノモンだからね」と泊まっていた新宿のホテルから播磨屋まで朝日揚げ購入の冒険に送り出したことがある。

なになに?
どこどこ?
教えて、おしえて!

こうしてユーロスターの時間まで限られた中、がんばって2軒のお菓子屋さんをめぐり、合計15個のマカロンを買った。

ただそれだけのこと。

でも、ここ何ヶ月もずっとロックダウンという言葉に閉じ込められていた上に、
出張でホテルに閉じ込められていたあとだったので。
カバンの中にそっと忍ばせた、美しい色とりどりのマカロンは、
「自由」とか「解放」の象徴としてひっそりと輝きを発しているようで。

ロンドンに戻って、濃いめの緑茶と一緒に楽しんだ時、いっそうの悦びを口の中に届けてくれた。

今度は、ただ楽しむだけに。
またパリに行きたいなあ。
マカロンを買いに。


いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。