見出し画像

ロックダウンコーヒー

2020年3月10日。
夕方5時過ぎのメールでいきなり「明日以降、ヨーロッパオフィス在籍で可能な人は、全員、伝達するまで自宅勤務」という連絡がやってきた。

リモート勤務自体はなにも新しいものではない。
前の会社では、上司はオーストラリアのメルボルンの自宅から、同僚はほとんどがロンドンのオフィスに来ていたけど、一人はマイアミの自宅から仕事をしていた。
自分も、家を離れられない事情があれば、気軽にリモート勤務を選んでいた。

しかし、その後ずっと1年間、みんながリモート勤務する世界がやってくるとは、その時予想もしていなかった。

私はふだん自転車で通勤している。
それは、日本から引っ越してきたときに、私の東京仕立ての脳みそが、この街の「だいたい、たぶん」という時刻表に耐えられなかったからだ。
だいたい15分おきどころか、待てど暮らせど姿の見えなかったバスが、25分後に3本続けてやってくるなんてことが日常茶飯事のロンドンなので、「だったら自分の足を使ったほうがよっぽど到着予定が読める」と自転車通勤し始めたのだ。

会社が自主的にリモート勤務を指示してから数週間後、イングランド政府もロックダウンを発表した。
この時のロックダウンのレベルは「健康な市民は、外に出るのは食料品の買い物、通院など必要最低限の外出のみ。外での運動は一日一回のみ。自宅で働くことができるひとたちは、リモート勤務すること。同居しない人と会うのは1人まで、それも屋外で2m以上距離を保って」というものだった。

普段は運動といえばヨガくらいしかしないのだが、それが屋外にでる唯一のチャンスとあらば、活用しないわけにはいかない。
最初の日の朝こそ通勤するような気持ちで自転車を走らせてみたが、どうにもしっくりこない。でも絶対ランニングなんてしたくない。
そこで、朝の散歩に切り替えた。

私には同じエリアに住む仲良しのウエールズ人がいる。
彼女はまだ私が東京オフィス勤務だったとき、ロンドンの本社から上層部とともにやってきて会議をしたメンバーだった。
お互い双方の唯一の女性参加者だったこともあり、仕事の後に食事をしたりして仲良くなった。

「とうとうロンドンに転勤なのね。だったら、私が住んでいるエリアにいらっしゃいよ。いいところよ」

12年前、右も左もわからない私に、そういってくれたのも彼女だった。

「近くに住めば、お互い助け合えるものね」

助けてもらうのはガイジンである自分なんだろうと、そのときには思っていた。

イギリス、という国は存在しない。
イギリスの正式名称は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」で、その連合王国(United Kingdom)は、イングランド、スコットランド、ウェールズそして北アイルランドからなっている。
経済的パワーはロンドンを有するイングランドが圧倒的に強いが、それぞれの国(Country)はそれでもかなりの独立した自治権をもっている。

したがって、今回のパンデミックにおいては、それぞれの国の感染状況ごとに、対策はそれぞれ異なっていた。

「もしかしたら、このままだとウェールズに行けなくなっちゃうかもしれない。だから、今夜ロンドンを出ようと思っているの」

そう彼女がFacetimeで連絡してきたのは、ロックダウンになって、それが緩和されたり、また厳しくなったりした後の夏の日のことだった。

前の年、彼女のお母さんに二回目のがんの転移がみつかった。
本当だったらラグビーワールドカップのウェールズ対オーストラリア戦を見に東京に行くことになっていた。
彼女の両親と甥を含めみんなで一緒に日本に行こうという計画は、そのため、私一人の帰省に変わった。

ロックダウンのルールは、「年齢、既往症、障害などで弱者にあたるひとびとは、いっさい家をでないこと」というものだから、お母さんは春以降、病院と家以外は外に一歩も出ることなくお父さんと二人でウエールズの実家で暮らしていた。
三人姉妹の次女である彼女は、なにかあったときに母親のもとにすぐ駆けつけることができるようにと、自分が感染しないよう厳しく外出制限をしてロンドンで暮らしていた。

しかし、日に日に増える感染者数、そして死者数に、それぞれの自治府は近いうちに国をまたがる移動を制限するとみられていた。つまりイングランドとウェールズ間の移動ができなくなる。
彼女はそれによって母親の顔が見られなくなることを避けるために、その前に実家に戻ろうと考えたのだ。

私は、そうだね、そのほうがいいよと答え、なにか必要だったら合鍵で家の様子は見るからと約束した。

彼女はその夜、私の家の道路に車を停め、2m以上離れた車内から手を振って、250km離れたウェールズへと去っていった。

「たぶん、相当郵便物が溜まっていると思うのよ」

Facetimeで彼女がいった。
予想通り移動の制限が発令され、それは結局解除されないまま数ヶ月が過ぎようとしていた。

画面で見ても彼女はやつれているように見えた。
リモートで中東とのプロジェクトを続けながら、父親と交代で看護しているという疲れもあるけれど、なによりも「いい年して両親と、しかも外に出てはいけない状態での暮らしが続くのは思いの外ストレスなのよね」と彼女は云った。

「まさかここまで移動禁止が続くと思わなかったから、どこかの週末にでもロンドンに帰れると思ってたんだけどね。で、郵便も溜まっていると思うし、ちゃんと天窓とか閉めてきたとは思うんだけど、なにしろ慌てて出てきちゃったでしょ。もしよかったら、様子を見てきてもらえないかしら」

彼女の家は、うちからまっすぐ歩けば15分ほどだが、テムズ川沿いの遊歩道を通っていくとだいたい30分ほどの距離にある。

「いいよ。朝の散歩のルートをちょっと変えればいいだけだし、そういう理由があれば、散歩をさぼらなくなるからね」

私はそう答えた。

「ああ、川沿いの道を行くのね。そしたら、もう一つお願いがあるんだけど」

いったい何を頼まれるのか、ドキドキした私に、彼女が続けた。

「うちの駅の横にね、1年くらい前にできたコーヒースタンドがあるのよ。ロックダウンが始まって閉店を余儀なくされちゃったけど、この前から飲食店は持ち帰りの営業を許されるようになったでしょ?だから、再開してるんじゃないかと思うの。すっごい気持ちのいいボーイズがやってるんだけど、ビジネスが大丈夫なのか心配なのよ。テムズからうちに抜けるついでに、様子を見てきてくれないかしら」

お母さんがそんな状況でも、自分が看病で疲れていても、家の近所にあるコーヒー屋の経営具合が気になってしまう。
そんなところが実に彼女らしい。そう思いながら、もちろんだと引き受けた。

確かに新しい。
プレハブのコンテナボックスでできた売店のようなコーヒー屋。
その前にはウォータルー駅行きの電車に乗る前にコーヒーを買っていく数人の客がたたずんでいた。
なかなか流行ってるな。遠目に見ていると、常連客が多いのか、みんな和やかにやり取りを交わしてはコーヒーを手に去っていく。
なんとなく、その「常連さ」を突き破るのには気が引けて、跨線橋の上から写真を撮り「営業してるし、なかなか流行ってるよ」とメッセージを送った。

期待をよそに、ロックダウンは解除されることなく続き、日はどんどん短くなり、気づけば、朝のテムズ川岸には霜が降りるようになっていた。
朝いちばんの会議がない日は時間と気持ちにゆとりがあるので川沿いの道。コーヒー屋の前を通って跨線橋から友達のフラットに行き、郵便を回収し、その写真を送信ついでに彼女とチャットを交わす。
そうじゃない日は急ぎ足で近くの公園をぐるりと回る短いルートという習慣が、いつの間にかできあがっていた。

寒い。

その朝、コーヒースタンドには珍しく誰もお客さんがいなかった。
寒いし、立ち寄ってみようかな。

「ラテ、エクストラホットください」

友達の代理のような気持で、彼女がいつも飲むコーヒーを頼んでみた。

東欧系、30代くらいに見えるコーヒー屋さんがミルクを温めている間に、この近所に住んでいる友達がいること、彼女は母親の看護のためにウェールズに帰省していること、ロックダウンのせいで当分ロンドンに帰れない彼女にこのスタンドのことをみてきてほしいと頼まれたこと、を話した。

「そうなの?それは嬉しいなあ。じゃあ、彼女の代わりに常連さんプライスだ。20ペンスはおまけ。2ポンドでいいよ」

できあがったラテのカップを差し出しながら、コーヒー屋さんはにっこり笑った。

私はもともと、休みの日は家から一歩もでなくて平気な引きこもりOK気質なので、ロックダウンも、そんなにつらいとは思わなかった。
ネコが一緒にいてくれたことも大きかった。

けれど、平日はビデオ会議が朝から晩まであったから感じなかっただけで、考えてみたら、朝の散歩で顔なじみになった犬の飼い主と交わす「グッドモーニング」以外、誰かと仕事じゃない会話をするのは久しぶりだと気づいた。

誰かとおしゃべりを交わすという、単純な、これまで意識しなかったことが、どんなに人間らしく、貴重でありがたいことか。

寒い朝のかじかんだ手に、その温かいカップはぬくもりをくれ、飲み込んだラテはもっと深いところで私の何かを温めてくれた。

そうやって、週に2-3回はそのスタンドに立ち寄るようになった。

イギリスを襲うパンデミックの波は収まることをしらず、死者が10万人を超え、ワクチンのニュースに色めき立った私たちをあざ笑うように今度は変異株が現れ、それを警戒したフランスそして他の国々が次々とイギリスからの移動を禁止するようになり、そんな混乱のなか、気づいたら2021年が始まっていた。

「いつもの、だよね」

いつの間にか、オーダーを伝える必要もなくなっていた。
久しぶりにお客さんのいない静かな朝。

「今日はいいよ。店もちだから」

牛乳を温めながらダミアンがいった。
ポーランド出身で、幼い息子を含めた家族はみんなコロナ禍をさけて母国に帰したのだという話もきいていた。

「え?なんで?」

思わず訊き返してしまった。

「なんでって、なんでさ。いつも来てくれてるからに決まってんだろ」

ダミアンはぶっきらぼうにちょっと頬を膨らませて続けた。

「うちのスタンプカードは目に見えないんだよ。それになかなか貯まりもしない。だから次のチャンスはきっと夏休みのあとだよ。それまでちゃんと来てくれよ」

「えー?いつの間にか常連の椅子を取られちゃったわね」

友達は笑いながらいった。
それは、コロナで何度もスケジュール変更がされながらも、お母さんの放射線治療がようやくすべて終わり、がんの影が消えた、という嬉しい報告の会話でもあった。

「そうだね。まあ、ロックダウンが終わって、自由が戻ってきたら一緒にラテ買いにいけばいいじゃん」

私は返した。

自由が戻ってきたら。
その時には、ラテのカップを手に跨線橋の上にいって、一緒にお祝いの乾杯をしよう。
2m以上近づいて、マスクもなしで。

この記事が参加している募集

私のコーヒー時間

いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。