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How are you?

「グッモーニン、クラス、ハーワーユー?」
「ファインサンキュー、アンドユー?」

中学校の英語の授業はいつも先生への挨拶から始まった。

ご機嫌はいかがですか?
なんて、入院しているだれかをお見舞いにでもいかないかぎり、日本語の世界であまりつかうことはない気がする。

くわえて「元気です、ありがとう」なんて応える場面、どう考えたって不自然じゃない?

そう思っていた。

初めてアメリカにいったとき。
すれ違う人たちが、口々に
"Hi, how are you?"
といってくることに気づき、「うわあ、ガイジンさんて、本当にそう訊くんだ」と思ったものだ。

中高6年間の刷り込みというのは恐ろしいもので、そう訊かれると、反射神経的に「ファインサンキューアンドユー」しかでてこない。
考える前に塊になって自分の口から吐き出されてしまう。
それでいいんだろうか?

「あのさ、変なことを聞くんだけど」

アメリカに着いて数週間が過ぎたころ、スティーブにきりだしてみた。
その語学研修プログラムには、ボランティアのチームリーダーがついていた。
そのほとんどは、過去にアメリカから他の国へ留学したことがある現地のアメリカ人で、スティーブもその一人だった。
だから、ネイティブはどう思って使っているのか、笑わずに教えてくれると思ったのだ。

「ハワユ―ってみんな云ってくるじゃない?でも、あれって本当に相手のようすを知りたいの?」

だって、こっちがファインサンキューって返している間にもうすれ違っちゃってたりするんだよ。
私の返事なんて聞こえてないと思うし。だったらなぜ訊いてくるのかわからない。

私の質問は、スティーブだけでなく、周りにいたアメリカ人たちを一瞬考えこませた。

「ふうむ、そんなこと、考えたことなかったなあ。確かに習慣で声をかけてるっていうのはあると思う。けど、誰もかれもにいうわけじゃないし。うーん、なんていうか、親しく思ってる気持ちのあらわれっていうか。」

「そしたらね。みんなは、なんて返すの?機嫌悪かったら、悪いっていっていいわけ?」

笑いを含みながら、スティーブはいった。

「ひひひ。日本の学校ではさ、fine thank youって習うんだろ。参加してる日本の学生がみんなあんまりにも同じ返事するから、訊いたことがあるんだ」

ちょっと恥ずかしくなった。
そうです、お題目のようにとなえて中高6年間過ごしてきたんです。

「いつも同じ返事しなくたっていいんだよ。
そうだなあ、気分良かったらpretty goodとか、そんなでもなかったら I'm OKとか。機嫌が悪いとか、病気なんだ、なんてことはさすがにいわないけれど、それなりに伝わるようにはいうかな」

そうなのか。

考えてみると、スペイン語でも「Hola, ¿qué tal?」(こんにちは、ご機嫌いかが?)というのはまるで一つの塊のようにセットになっている。
フランス語の「Bonjour, ça va?」(こんにちは、ご機嫌いかが?)も同様だ。
西欧文化では、挨拶の一環として、相手のようすを尋ねるのはあたりまえなのかもしれない。

私はファインサンキューを卒業し、いろいろな返答のバリエーションを身に着けた。

Pretty good! (最高!)
I'm alright.(大丈夫です)
Doing well, thank you.(うまくやってます、ありがとう)
So so...(まあまあですね)

そして、少し冗談めかしながらも、最近私がよくいうのは
I'm surviving.
だ。

そう。
なんとかやってます。どうにか生き残ってます。

だって、新しい職場は、本当にサバイバル状態だから。

今年の頭、ロックダウンの中、サラリーマン人生最短の20か月で会社を辞めて、はて、この後どうしようか、と考えた。

コロナは自分の親がだんだんと年老いてきているのだという現実と、自分が地球の反対側に住んでいるのだという事実を突きつけてきた。
だから、仕事環境が嫌だったのもあるけれど、ここで一回日本に戻って、親と時間を過ごしたほうがいいのかもしれないと思ったのだ。

しかし、変異種がつぎつぎとあらわれ、国境が開放される日はますます遠くなり、こんな風にただ家でネコと過ごすんだったら、やっぱり自分がこれまで経験したものを使いながら、どこかの組織に貢献するべきな気がしてきた。

そして、新しい仕事を始めたのが今年の6月のこと。

出社初日。
この人となら、お互いの専門エリアを補完しあってやっていけそうだと思って入社をきめた、その上司が、初めて顔をみた直後にいった。

「私、おととい、辞職願をだしたの」

えっ。
どういうことでしょう?

加えて「あなたはとても優秀だから、私の仕事なんてこなせるだろうから、後任はこないの。チームをよろしくね」といわれたときの騙された感ったら。

話が違う、と辞表をだそうか。
いや、そんな簡単に投げ出すのはどうか。
いろんなことが頭をめぐっているうちに一か月がすぎ。

気持ちが次の仕事にいってしまっている上司からは、まともな引継ぎもなく。

そして、数週間後、チームメンバーがもう一人辞職願を出した。

え?6人でやるはずの仕事を、4人?

そして、3か月が過ぎた先週、3人目の辞職願がやってきた。
もう笑うしかなかった。

アガサクリスティの推理小説じゃあるまいし。
そして誰もいなく…なるのか?

朝7時から夜11時までパソコンの前に座り続け。
へろへろと小雨のなか自転車を漕いで、水たまりで滑って青あざを作り。
あまりに疲れすぎて呂律が回らず。

精神的にも、肉体的にも、疲労困憊と思っていたとき。

製品担当のトップとの週一回の面談で、こういわれた。

「How are you?」

続けて、彼はこういった。

「製品供給のプランや、イタリアのセールスの状況や、たくさん話さなきゃいけないポイントがあるのははわかってる。
でも、まずは、いちばん大事なことからきくよ。
How are you? 
きみはどうだい、大丈夫かい?」

この時ほど、このシンプルな三語の文章が、心にしみたことはなかった。

どの部署も、マーケットも、みんな自分のしてほしいことを投げてきて、
まだ会社に入って3か月だとか、不完全な引継ぎしかうけてないなんて言い訳は許されないまま、必死に駆けずり回っていた私に、これ以上グッとくる言葉はなかった。

かっこよく、強く、大丈夫ですよと答えるべきなのか、一瞬迷いが走ったけれど、返事をしようと自分の喉からもれてきた音が、もうすでに湿っていた。
いや、さすがに泣くのはないだろ、と自制したけれど。

「ありがとうございます。だれも本当の意味でHow are youと尋ねてくれたひとはいなかったので、訊いてくださるだけで本当に救われます」

湿ったままの声で、ようやくこたえた。

そうか。
これが、How are you?なんだ。

授業の最初の儀礼の挨拶でも、すれ違いぎわの声掛けでもなくて。
ちゃんと、相手の状況を受け止めようと思って質問するときの。
しっかりと重みのある。
あなたのことを気にかけているよ、というメッセージ。

その返事が愚痴であっても、嬉しいニュースを分けあうんであっても、どんなものもしっかり聴くよという姿勢。



そして。
だからこそ。

その会話をきっかけに、自分自身も、「How are you?」を大切にいおうと心にきめた。
仕事の相手でも、友達でも。
いつもコーヒーを買うスタンドのお兄ちゃんにも。

だって、あなたのことを気にかけているから。
どんなこともちゃんと受け止めようと思っているから。

So, how are you today?
あなたはどうですか?大丈夫ですか?


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