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note初めて一年経っちゃった。〜ツイ廃辞めてnoteに引っ越してみて〜

note始めて一年経っちゃったんだって〜!びっくり。

めでたいめでたい。

私がnoteやり始めた理由って「自分の心の筋トレのため」で、今もそれは変わってません。

心の筋トレっていうとあまりにフィーリング過ぎて意味わかんねって感じなんだけど、要するに「文章にすることで自分の考えや感情を客観視して、尚且自分で文章を通して物事を判断する力をつける」という行為をnoteという場を活用してやっていきたかったわけです。

そういう決意を持ってやってきて一年経ってみたわけだけれど、結構個人的には自分の言葉を公開する決断と、自分の言葉を公開しない決断の両方が出来てきたんじゃないかなと思う。(とはいえ公開して消してるのもいくつがあるけど)

さて、ここでちょっとだけ昔の話をさせてください。

私は2年くらい前までめちゃくちゃツイッター廃人でした。なにか物事を呟かないといられないくらい廃人極まっていて、裏垢は私の愚痴と鬱のツイートで埋まりまくり、150文字のギチギチした空間の中で自分を言葉で切り刻んでた。

リアルで手首が切れないから、自分の言葉で自分の心を切り刻むことしかできなかったってのが本当のところなんですが。

でも、ある時からそういう空間から脱したくなったり、もっと自分の言葉を客観視するような場が欲しいと思うようになって、それからは裏垢も身内と繋がるためのTwitterも全部辞めてしまいました。(他にも辞めた理由は色々あるんだけどまたそれは別のところで語ってるのでよかったら読んでね。)

そして、Twitter辞めて数ヶ月だったところでnoteという場所に引っ越し、「ころモっころ五郎」という名前と共にまっさらな状態から言葉での表現を始めてみてからは、言葉による自傷行為は格段に減った。

なるべくnoteでは「嬉しい、楽しい、素敵」をモットーにして明るい話題に努めてるおかげでもあるんだけど、noteではTwitterと違って脊髄反射で言葉を公開するという行為をせずに「自分の言葉に対して熟考する」という行動が多くなったからでもあると思う。

それにnoteっていっぱい書けるからね。ズラズラ文字書いてるうちに病んだ気持ちとかイライラが落ち着いてきて、公開する前に「もーいいや。」ってなるのもすごく良い点。Twitterだと脊髄反射で愚痴書いて公開して滅茶苦茶死にたくなること多かったから。

Twitterは何気ない呟きができる場所としてはきっと良いところではある。だけど、私はその「呟き」を自分を殺す為の凶器として使っちゃいがちだったし、基本的にTwitterという場との相性が最高で最悪だったなと感じる。

とにかく、noteに引っ越してきてからは病みツイとかしなくなって空気美味しく吸えるようになったのでHAPPYってことでした。(とはいえたまに病みブログ書いちゃうんだけど。)

note初めて一年経って劇的に何もかもが変わったってわけではないけれど、意識改革とかにはなってきたなーとは思ってます。

これからもnoteライフ楽しんでいきたいし、がつがつ
自分の言葉の表現を磨いていきたいです!

というわけで本日はそんな感じで〜!


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