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うちのお父さん

ずいぶんと昔の事なのに、夢に出てくる父はいつもあの頃のまま。
久しぶりに夢に父が出てきたので、今日は父との思い出でも書いてみようと思う。

私の父はとても仕事熱心で真面目な人だった。
いつも朝早くから夜遅くまで仕事の為、平日は朝早く支度をして出ていく父を見送るか、遅く帰ってきた父の音を布団の中から聞く位だった。

休日になると、ゴロゴロしていることが多いが、スイッチが入ると、一緒にキャッチボールをしてくれたり、買い物に連れていってくれたり。
父と行く買い物は、母に頼まれた必要なものの他に、いつも余計なものが入る。
そして私と弟のお菓子もいつもよりひとつ多くても許される、それが嬉しかった。
父が気分がのったときに作る豚汁も大好きだった。

家族で父母の実家に帰るときは決まって父と寝るのは私、弟が母と寝た。
なぜか家族で出掛けるとき、父と私がペアになることが多かった。
私は父の温かくてフワッとした大きな手が大好きだった。いつも自分から父の方へ行ったし、それが当たり前だった。思春期に父を嫌がった覚えも思い当たらない。

誕生日になると父は忘れずに、必ず何かを買ってきてくれる。そのチョイスはペンや本、ノートなどいつも真面目な父らしいものだった。
一番覚えているのは赤い色のシャープペンシル。中学生や高校生が自分では買わないような高価な素材感があった。

ひとつ今でも申し訳なく思っているのは学生時代の彼氏に手作りのマフラーを贈ろうと編み物をしていた時、父は自分のために編んでくれているものだと思っていたらしい。
そんなのなんとも思わない年齢だった私は編み終わったら即彼に渡し、涼しい顔。
その頃の父の気持ちになると、胸が締め付けられる。
パパにも編んであげるねー!なんて言いながら編むことはなかったと思う。

優しい父だが躾には厳しく、怖い父の部分も沢山あった。
父に対してはふざけすぎてはいけない。
心の中の鉄板事項だった。

...書き出したらとめどなく出てくる父との思い出、とても1回では書ききれないからここら辺で、次の機会に。

いつも優しくて仕事熱心、強くて厳しいところもある私から見たら無敵の父。
病には勝てず、私が18歳の時に他界してしまう。

お見舞いに行くといつも、私にお茶を入れさせ指導したり、リンゴの剥き方を誉めてくれたり、時には自分不在の家庭において私が母を手伝っていることに関して労いのお手紙つきのお小遣いをくれたりもした。

今では告知が当たり前だが、その頃は告知しないことが当たり前だった。
うちも希望を失わせないため、告知はしなかった。だから今でも本当の気持ちはわからない。
きっと勘の鋭い賢い無敵の父は全部わかっていたのかもしれない。

家庭に帰ること、帰れないこと、どちらも感じながらせめぎ合いながら、最後まで私に色々と教えてくれていたのかもしれない。
ずっと守られていたし、家族を、私を大切に思っていてくれていたことはいつも変わらず感じることが出来た。

父が居なくなってから随分と時間が経った。
年数が過ぎるうち、大好きだったから忘れないよう思い出すようにしていた温かい大きな手も、表情も、声も少しずつ薄れていってしまう。

でもそんな時、忘れた頃にふと夢に父が出てくる。
夢の中の父は忘れかけたもの全てがリアルでそのままで、夢であることが分からなくなる、そしてもう一度思い出させてくれる。


夢から目が覚める度に、父が近くに来てくれていたことを感じる。

夢の中の父が笑っていたか、不機嫌でなかったかによって、今の自分の行動を省みるようにしている。

今もずっと見守られている事を感じている。

今日は久しぶりにそんな日だったから思いの外長文になってしまった。
やっぱりお父さんが大好きだ。

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