雀のメモ帳 手帳が売れているそうだ
予定表のデジタル化
会社を起業した2002年頃、Web上に昔のサイボーズみたいな、つまり手帳みたいな予定表を作り、メンバーに書き込んでもらっていた。iモードにも対応していた。
機能的には後にクラウドで優れたものが出てきたが、この簡単な機能だけの予定表を令和になっても使っていた。途中でCGIプログラムが古すぎてWebに対応しなくなったが、使うのは数人程度なので、適当に直して使い続けた。
スマホ予定表の欠点
だからスマホの予定表に抵抗はない。でもスマホの予定表は目覚まし時計と同じ、ただ予定を知らせるだけだ。手帳を開いて起こる思考の広がりはない。それがスマホの最大の欠点だ。つまり全体を俯瞰出来ない。
本屋や図書館で本棚を俯瞰していると思考が広がる。一方スマホを検索、スクロール、これでは一つの情報しか得られない。それは致命的な欠点だと思っている。人は長い間、自然の中で生き抜いていた。だから広く見ることで情報を得る。目の位置もそのように発達している。その方が得意だ。そして頭も働く。人間にとってデジタル端末への親和性は、パソコン>タブレット>スマホだろう。
縄文時代は1万年を越える。T時代スマホ時代は20年、この程度で人の特性が変わることはない。
手帳の利点
現役時代、打ち合わせを手帳に書き込み、随時気づいたことを追記し、最後に内容を整理しながら、パソコンに打ち込んでいた。そこでの打ち合わせ内容の反芻が大切だ。特に設計打ち合わせや、工程管理においてはその場のメモだけをデジタル化してデータで送ってくるが、それを信じるほど甘ちゃんではない。気づかない落とし穴がよくある。
何を言いたいのか、つまりデジタル化し恣意的に綺麗にした文章だと、嘘が本当に見えることもある。手書きの汚い文字のレポートに真実があっても、中身の無い綺麗にレイアウトされたアウトプットを人は選択する。
曲がった美味いキュウリより、真っ直ぐでも不味いキュウリが売れる。それと同じだ。デジタル化されたモノを盲目的に信用していると信じられないミスが起こる。
CAD設計の現在、線を引くというよりオブジェクトを組み会わせる。手で線を描かないからミスが分かりにくい。手書きだと1日仕事を2時間で終える。その時間しか図面を見てないと、間違いがスルーされる可能性は高い。
「AIがチェックするからいいのだ」
まぁ引退した自分には今更どうでもいいけど。色々方法はあるのだろう。
使っている手帳
私は字が汚い、でも手帳を使う。後で判読するのが自分でも難しいくらいの悪筆だ。しかし懸命に考えるので、その点は良いのかも知れない。
使っている手帳はT社の手帳だ。昔の仲間から毎年もらって、30年間使っていた。これは最後の1冊、2021年の手帳だ。記念に取ってある。
会社を解散して引退後、憧れの高橋書店の手帳を使っている。3年目になった。今や通院の予定が多く書き込まれている。仕事をしている頃、空白の手帳が仕事の予定で埋まっていくと悲しくなった。今は空白だらけだ!
それも悲しい。
安藤忠雄さんの手帳
過去、安藤忠雄さんと仕事をしたことがあって、安藤さんの持つ手帳を見たことがあった。とにかく書き込みが凄かった。隙間がない。それだけ多忙だったのだろう。
安藤さんの手帳の中身はない(個人情報)。その代わり安藤忠雄さんのサインが幾つかあった。これはアートだ。
直島の写真を幾つか
AIで手書きサインが可能か?
どうだろう。
まず手書きのサインを覚えさせる。次に筆跡、筆圧、癖を読み取る。これはセンサーを使うのか?
サインの揺れを生成するアルゴリズムを考える。後はペンを使うロボットを作ればいい、かなり大がかりだけど出来る。
目的を問われたら、これは人を騙すためだろう。こんなことも今は人間がデジタルに歩み寄っているから可能になる。
人が目視してサインすればいいことだ。仕事しろよ人間と思う。
養老孟司先生が言う。
「AIが人間に近づいているのではなく、人間がAIに近づいている」
その通りだと思う既に人間の自然感は壊れていると思う。
シフティング・ベースライン
ラブレターくらい手書きでお願い。そんな歌がある。「いいと思います」