見出し画像

Naoshima アートの旅 ダラスから直島へ

*東京深大寺の街アート タヌキのショウタイム。
東京郊外、八王子辺りでは熊(ツキノワグマ)も目撃されている。
当然、他の野性動物も郊外に出没している。
人が減り、空き家が増えていけば更に自然回復して、野生動物は増えくるだろう。

では直島へのアートな旅を時系列で話そう。

直島 アートな旅
香川県 直島、私がここへアートを見に行ったのは、もう、かれこれ20年近く昔だ。安藤忠男建築事務所から案内が来て行ったので、安藤忠雄さんとお会いしている。

始まりは2000年問題
マイクロソフト、UNIXなど全てのコンピュータが誤動作し世界が混乱する。
今思えばバカバカしい2000年問題とかがあった。
会社は大騒ぎして、1999年12月31日、社内泊して世界の終わりに備えたが、
23階の事務所の窓から朝日を眺めただけだった。
同じように泊まっていた他の部署の人達へ、新年の挨拶。
「おめでとうございます」

2000年問題
コンピューターシステムやコンピューターを内蔵した機器が、西暦2000年以降の日付を正しく扱えないため、1999年12月31日午後12時(2000年1月1日午前0時)に、誤作動が発生し得る問題のこと。
プログラム中の日付を扱うロジックで、西暦2000年を「00」、同1999年を「99」と下2ケタの数値として処理するシステムが2000年問題を起こす。
これにマスコミは大騒ぎ、会社のリーダ達も大騒ぎ。MSとか情報屋は大儲け。
実際には、社会全体に大きな影響を及ぼすようなトラブルはなかった。

さて、その空騒ぎ後、会社という組織の問題が露わになり、大企業は迷走しだす。一方、アメリカではAmazon、Google 、FBなどが蠢きだす。
甘い言葉に弱い文系リーダは組織変更が趣味となる。

そして、何処から来たか知らない、顔を見たこともないおっさんが上司となる。
「部長、アンタ誰?」「何の仕事するの?」
「世界は変化している、新しい仕事を開拓して、ボロ儲けしろ!」
「そうですか、頑張ってください」
私は会社へ頼るのは止めた。

自分で勝手に社外上司を決めて、そのおっさんと仕事をする。
そして独自営業して仕事を探し求めて動くことにした。
文句があったら首にしろと、一応格好をつけていたが、その上司は親会社の部長なので、文句を言われることはなかった。
結局、全てその後のスピンオフの準備となった。

2000年9月 テキサス ダラス空港のトイレ
仕事を取るため、社外上司になったおっさんと、営業や設計事務所の人間達とアメリカのテキサス、ダラス、ミネアポリスと視察旅行へ行く。
そして、ダラスの空港で、トイレに行った同行していた建築家のおっさんが、「トイレに安藤忠雄がいたぞ!」言う。

他の建築関係の人間がざわめき、安藤忠雄さんを捕まえる。当然仕事で来ていた。
フォートワース現代美術館 (Fort Worth, Texas, USA)の設計管理だったようだ。
2002年完成 安藤忠雄さんが絶好調の頃の作品だ

フォートワース現代美術館

その場で名刺交換した私と社外上司とで、帰国後、早速大阪の安藤建築事務所を訪問する。情報系の仕事ないですかと営業する。
「営業は嫌われても突撃!」
昭和世代そのものの社外上司に付き合って大阪へ何度か行く。
そして成果なし。それでも楽しみはある。
近くのうどんの名店「美々卯」で、海老天うどんを食べて帰ってきた。

そんなある日、東京の事務所へ安藤忠雄建築事務所から封書が届く。
「おーっ、ついに仕事か」
それは直島での「スタンダード展」の案内だった。

2001年9月 スタンダード展
「スタンダード」展は、直島コンテンポラリーアートミュージアム10周年企画として、ベネッセハウスの建物の中だけでなく宮ノ浦地区、三菱マテリアル地区、本村地区といった島全体のさまざまな家や施設、路地を舞台に、国内外のアーチストにより展開された。

ガイドブック

上のコンセプトで、古い建物をアートにしていた。
工場跡やベネッセハウスを中心に現代アートが町中に展開されていた。
歩いて見るには距離があり、さらに飯を食える店がない。
コンビニもないので、昼飯難民が発生していた。
私達は事前に高松で弁当を購入してきた。(2001年当時)

この頃から、古民家をそのまま利用して、アートやお店、最近は住まいにする。そんな流用が始まった。若い子達が格好いいと思ったのだろう。と言っても当時の20代も今や中年だ。

この当時は、デジカメの解像度はかなり悪い、また写真データはカメラのメモリ容量が少ないので、直ぐにパソコン(PC)に取り込む。
そしてPCの肥やしとなって消える。またスマホのデータ写真と違い、タイムスタンプがないので、直ぐにゆく不明となる。

過去のディスクから探し出した写真を幾つか。

暖簾アート、タバコ屋さんというものが昔はあった。
室内の老人
アート? 一応飯屋だった
マックはない
暖簾アート
焼杉
ベネッセハウスの展示
現代アート

直島のベネッセホテルは満室、またお値段もお高いので、高松で泊まり、舟で往き来した。ちなみに高松の方が、飲み歩くには都合が良かった。

さて、直島はもともと産廃(産業廃棄物)の島だった。有害産業廃棄物の不法投棄。1985年から地元の福武書店(ベネッセ)が資本投入して、自然豊かなアートの島へ、それに安藤忠雄さんが協力した。
1995年7月ベネッセハウスオーバル オープン 安藤忠雄設計。

ベネッセハウスオーバル

2001年に初の町全体での現代アート展が開催された。これがスタンダード展だ。私はこの時、営業目的だったが初めて直島を訪れたことになる。

基本、現代アートはよく分からない。ただ、まだ爺さん、婆さんが住居に住んでおり、縁側でお茶をいただいた。
「若い人達が沢山来てくれて、楽しい」と言う。
柿の木のある手入れをされた庭を見ていると、昔、子供の頃よく行った高松の婆さん家を思い出した。

散策の途中で安藤忠男さんと会い、写真を撮る。まだ顔が精悍だ。

中央が安藤忠雄さん、60歳、

このアート展から半年後、2002年3月、私は新しい会社立ち上げるため、勤めている会社を早期退社した。
1年後、会社は立ち上がった。その後順調?に仕事は続く。

2度目の直島
2004年7月 地中美術館 プレオープンで見学する。
この頃は、安藤建築に関する仕事もしていた。

上からは見えない
サインを貰う

この時、自然光のなかで見たモネの晩年に描いた「睡蓮」はすごくいい。
 撮影不可なのでネットから1枚

モネ 睡蓮

2023年、相変わらず、メディアは「何々問題」と煽っている。
学習しないリーダー達も多い。歴史は繰り返す。


この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?