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花粉前線ど真ん中の東北ツアー3  石巻と石ノ森章太郎、そしてブルー・アイ

 仙台の中心街、歩いて20分で仙台駅、娘の住むマンションは都会の中にある。仙台と言えば、伊坂幸太郎さんを思い浮かべる。彼の小説の舞台は仙台が多い。
 森見登美彦さんの小説の舞台が京都であるのと同じで、馴染んだ土地は書きやすい、架空の場所でもあるように感じる。

 仙台はタクシーが多い。伊坂幸太郎さんが「仙台ぐらし」で書いていた。仙台駅でタクシー待ちをしていたとき、娘1が言う、
「タクシー、多いよね」彼女も読んでいたようだ。

 それは別として仙台の印象は、伊坂さんの小説そのもので、綺麗で知的、カフェが多い。でもちょっと冷たい感じがする。そして何か秘密を隠し持っている。その秘密はよそ者にはなかなか見えない。

 娘1は仙台へ転勤になる前、長崎市街で仕事をしていた。長崎は原爆を落とされた都市だ。今でもその傷跡が見え隠れしている。そこで5年ほど生活して、ようやく長崎が分かったような気がするという。
あれだけ当初馴染めなかった長崎、その海を思いだし切なくなると言う。

 仙台は3.11大震災に遭った。東京も大空襲、関東大震災に襲われている。日本の都市は何らかの災害を何度も受けている。そして復興する。都市のほとんどがそれの繰り返しだ。
見えない怨念が都市にはある。東北の多くの都市がまだ復興途中だ。その感情が空に渦巻いている。 

*我が家の子供達(息子(長男)、娘1(長女)、娘2(次女))

仙台の建築物
 私が驚いたのは、建築物を中心に開発された街が、とても自然で美しかったことだ。地域に馴染んでいる。目立ないようにする。東北人の気質なのかもしれない。
 近所にあったメディアアークでこんな小冊を買った。
世界中の有名建築を多少見ていたこともあり建築物にたいして、私は好き嫌いがある。ここは好きだ。またの訪問が楽しめそうだ。

メディアアーク 
宮城の建築マップ フィッシュ・アイ

 仙台には有名なアウトドアショップがあった。モンベル、パタゴニア、MAMMUT(マムート)もある。これはなかなか凄い。沢山のアウトドアショップがあるアメリカのシアトルみたいだ。
ここはオフィス街でもあるが、学生も多いような気がする。文教都市なのだろうか、それでも御茶ノ水の街のような雑多さはない。

仙台文学館

石巻へ
 今日は仙台から石巻まで車で行く。出来れば大学時代の旧友と再会したい。体を壊しているようなので、石巻に着いてから連絡する予定だ。
 道路は走りやすいが、渋滞もあり、石巻まで1時間半かかった。
期待していた石ノ森漫画館は3月末まで工事中だった。かなりがっかりした。
 石森章太郎時代の「サイボーグ009」「リュウシリーズ」と好きな漫画は多い、そのことは別途書きたいと思っている。

サイボーグ009

 ここは風の強い場所なのだろう女川方面に風力発電が何機かある。
時間はお昼、取りあえず港近くの元気市場の2F、元気食堂で、お昼ご飯を食べる。想像以上に混んでいた。私は牡蠣フライ定食を頼む。牡蠣は美味いし、米も美味い。
 私は牡蠣フライに醤油をかける醤油派だ。

大きい

 食後、家族と別行動で、私は友達に会いにいく、腰を痛めており、車に乗ってきた旧友。その車に同乗して、震災後の町を案内してもらう。彼も震災で友達を亡くしていると聞く。
震災後、13年経ち再開発された海岸沿いの広場は淋しい。この辺りは家やお店があったと聞く、震災前を知らない私、だから海を遠くに感じる。その頃、海はもっと近くにあったのだろう。想像しか出来ない。

 石巻は震源に近く、東北で最も大きな人的被害を受けた。その記録はここでは触れない。
気になる方はリンクを見てください。

避難場所となった日和山公園

 地元の人が、海に向かって深くお辞儀をしていた。ここはそんな場所だ。
眺めは最高だ。
何度も訪れた長崎も同じ様な場所が幾つもあった。
祈りの長崎、怒りの広島、静かな石巻。

「がんばろう!石巻」

「がんばろう!石巻」の大看板
  東日本大震災が起きた日からちょうど1カ月後の2011年4月11日に、「津波に負けたくない、地域の人々を励ましたい」という思いで作成し、設置された大看板。以来ずっと復興のシンボルとなっている。何度かリニューアルされているそうだ。

 短い再会だったが、彼が勧める「鯖だしラーメン」を貰う。
これは家で食べたが、美味い。こんな味は初めてだった。お取り寄せ品としてチェックする。

スーパーで購入してくれた
麺は細麺なので、固めがいい。

 その後、家族と合流してIRORIというカフェで珈琲を飲む。オシャレな空間であった。

IRORI

 私が友達と会っている間、家族は色々とインスタ用の写真を撮っていたようだ。私も散歩で歩くにはいいサイズの町だと思った。夏か秋にでもまた来たい。

世界平和のため、サイボーグ009
007 

おまけ 青い目
 石巻から仙台へ帰る途中、車を運転しながら娘1が変な事を言う。
この前、山形でクライミングしていた時、青い目のオッサンに会ったという。
「目は青くて綺麗だけど、日本のオッサン」
「長崎から、ハーフの隠れキリシタンが渡って来たのかなぁ」
あり得なくはないけど、これは私の疑問として残った。

ブルー・アイ 
定説
 目の色は、虹彩に含まれるメラニン色素の量で決まる。
メラニン色素には、太陽光に含まれる有害な紫外線から体を守る働きがある。また、個人差があるが、メラニン色素の量は生まれ育った環境の日射量で決まると言われている。
そのため、日射量の多いアジアやアフリカでは黒に近い色の目を持つ人が多くなっている。一方日射量の少ない北欧の人の目は青い。

 「目の色は虹彩のメラニン色素の量が多い順に黒色→茶色→緑色→青色」となっている。
日本人で青い目を持つ人は主に東北や九州の一部にいる。その理由が環境による日射量の違いにあるという。
 この説、九州もというのに疑問が残る。あそこは太陽が高いし、日照時間は長い。

隠れキリシタンの説
 宮城県登米市北部の米川地域に隠れキリシタンの里がある。この地域で処刑されたキリシタンは120人以上と言われている。
戦国時代、この地域では当時最先端だった、ヨーロッパの技術を活用した製鉄が行われていた。その技術を広めた人達がキリシタンだったといわれている。製鉄所の発展とともにキリスト教もこの地域に広がった。
その先祖に青い目をした人達がいた。それもあると思う。

以上

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