花粉前線ど真ん中の東北ツアー3 石巻と石ノ森章太郎、そしてブルー・アイ
*我が家の子供達(息子(長男)、娘1(長女)、娘2(次女))
仙台の建築物
私が驚いたのは、建築物を中心に開発された街が、とても自然で美しかったことだ。地域に馴染んでいる。目立ないようにする。東北人の気質なのかもしれない。
近所にあったメディアアークでこんな小冊を買った。
世界中の有名建築を多少見ていたこともあり建築物にたいして、私は好き嫌いがある。ここは好きだ。またの訪問が楽しめそうだ。
仙台には有名なアウトドアショップがあった。モンベル、パタゴニア、MAMMUT(マムート)もある。これはなかなか凄い。沢山のアウトドアショップがあるアメリカのシアトルみたいだ。
ここはオフィス街でもあるが、学生も多いような気がする。文教都市なのだろうか、それでも御茶ノ水の街のような雑多さはない。
石巻へ
今日は仙台から石巻まで車で行く。出来れば大学時代の旧友と再会したい。体を壊しているようなので、石巻に着いてから連絡する予定だ。
道路は走りやすいが、渋滞もあり、石巻まで1時間半かかった。
期待していた石ノ森漫画館は3月末まで工事中だった。かなりがっかりした。
石森章太郎時代の「サイボーグ009」「リュウシリーズ」と好きな漫画は多い、そのことは別途書きたいと思っている。
ここは風の強い場所なのだろう女川方面に風力発電が何機かある。
時間はお昼、取りあえず港近くの元気市場の2F、元気食堂で、お昼ご飯を食べる。想像以上に混んでいた。私は牡蠣フライ定食を頼む。牡蠣は美味いし、米も美味い。
私は牡蠣フライに醤油をかける醤油派だ。
食後、家族と別行動で、私は友達に会いにいく、腰を痛めており、車に乗ってきた旧友。その車に同乗して、震災後の町を案内してもらう。彼も震災で友達を亡くしていると聞く。
震災後、13年経ち再開発された海岸沿いの広場は淋しい。この辺りは家やお店があったと聞く、震災前を知らない私、だから海を遠くに感じる。その頃、海はもっと近くにあったのだろう。想像しか出来ない。
石巻は震源に近く、東北で最も大きな人的被害を受けた。その記録はここでは触れない。
気になる方はリンクを見てください。
地元の人が、海に向かって深くお辞儀をしていた。ここはそんな場所だ。
眺めは最高だ。
何度も訪れた長崎も同じ様な場所が幾つもあった。
祈りの長崎、怒りの広島、静かな石巻。
「がんばろう!石巻」の大看板
東日本大震災が起きた日からちょうど1カ月後の2011年4月11日に、「津波に負けたくない、地域の人々を励ましたい」という思いで作成し、設置された大看板。以来ずっと復興のシンボルとなっている。何度かリニューアルされているそうだ。
短い再会だったが、彼が勧める「鯖だしラーメン」を貰う。
これは家で食べたが、美味い。こんな味は初めてだった。お取り寄せ品としてチェックする。
その後、家族と合流してIRORIというカフェで珈琲を飲む。オシャレな空間であった。
私が友達と会っている間、家族は色々とインスタ用の写真を撮っていたようだ。私も散歩で歩くにはいいサイズの町だと思った。夏か秋にでもまた来たい。
おまけ 青い目
石巻から仙台へ帰る途中、車を運転しながら娘1が変な事を言う。
この前、山形でクライミングしていた時、青い目のオッサンに会ったという。
「目は青くて綺麗だけど、日本のオッサン」
「長崎から、ハーフの隠れキリシタンが渡って来たのかなぁ」
あり得なくはないけど、これは私の疑問として残った。
以上
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