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個人的な教育の話14「熱血・しごきからほど遠い息子の部活動」

昨今の部活動
 最近の学校生活において部活動にたいして色々な意見がでている。
どちらかというと昔、帰宅部だった方々の声が大きい気がする。
学校を大学の予備校として見なすと、そうなると思う。
部活なんか時間の無駄、そんな人間関係なんか面倒くさい、先生もサービス残業なら勉強を教えろ。
「そうなるかぁ」

 ただ、今でも多くの子供達が部活に情熱を注いでいるのも確かで、意見が分かれるところだ。
私としては意見は別れたままでいい気がする。白黒つける必要もない。
「人生の嘘」は止めよう。自分の人生を選べばいい。

「人生の嘘」 アドラー心理学
人は様々な言い訳を設けて、人生のタスク(やるべき事)を回避しようとしてる。それを「人生の嘘」と呼んでいる。

 私には、長男=息子、長女=娘1、次女=娘2、3歳違いで3人の子供がいる。
お稽古ごととしては、幼少からのスイム(スイミングクラブ)だけだった。
中高時代の部活に関しては、子供達は皆運動部で、息子と娘2はバレーボール部、娘1は水泳部だった。

息子の部活動
 今回は息子の部活動の話だ。まず中学校の部活
今から18年くらい前、息子は地元の公立中学へ通い始めた。そこで男子バレーボール部へ入部した。
サッカー部、野球部は地域のスポーツクラブが盛んだったので人気もあるし人数も多い。また経験者で上手い子が多い。

 一方、男子バレーボール部は人気もなく選手層が薄い。それが作戦だったのか知らないが、息子は直ぐにレギュラーとなった。
それでも部員は試合が出来るギリギリの人数だった。
ポジションの選定も、S君はレシーブが出来ないなので、セッターしかない。そんな形で決めていた。それでも先生が熱心だったので、皆真面目に練習をしていた。

負けないバレーボール
 このチームの戦法は、勝つためのバレーボールではなく、負けないボレーボールだった。相手のミスを待つ、とにかくボールを落とさなければ点が入らない。相手がミスでもなんでも落とせば点が入る。
試合を見ていても勝っている気がしない闘いかたをしていた。それでも地区ではトップとなり都大会まで出場した。
ママさんバレーボールクラブの現役だった妻も、
「相手のリズムを何となく崩して勝つ、不思議なチーム」だと言う。

親のサポートは重要
 私の住んでいた多摩地域(*1ここへはあえて引っ越した)では、地域のクラブ、中学校の部活動は親がサポートするのは当たり前の雰囲気だった。
試合には自費で応援幕を作り、お弁当、飲み物を親は用意した。
顧問の先生がやむなく子供を連れてきたら、その面倒を見たりもした。

 子供達のスポーツが盛んな地域では、親のサポートが凄く大きい。
また学校の環境も荒れていない、そして偏差値も高い。
私の持論だが子育には地域差が大きく影響する。
通勤に便利、見栄、親の都合だけで住む場所を選択しない方がいい。*1

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成長期の部活
 当時の息子の中学校生活において、部活動は生活の50%は占めていたように思う。帰宅すると、疲れ切っていてゲームも勉強もせずに、食べたら寝る。そんな状態だった。*2

 *2 中学生の体作り
 中学生にとって運動することと、寝ることはその後の全ての能力に影響する。だから私は中学校で部活をすることは大切だと思っている。

 ここでは体の話に限るが、中学からの子供の体の急激な伸びのことを「成長スパート」と呼んでいる。この時期には骨や筋肉を作るさまざまな栄養素がたっぷりと必要にもなる。

「成長スパート」には男女差、そして個人差があり、男子は11歳、女子は9歳頃から始まって約4年間に及ぶとされている。
ここまでの間に運動神経系、筋肉、骨などの土台をいかに上手く作るかが、その後の人生に大きく影響する。

 私の子供達には幼少期からスイムをやらせていたので、スイムの神経系は出来上がっている。
 息子は中学生の頃にはスイムを止めていたが、高校の時、学校の水泳大会にたまたまクラス代表として出場した。
それでも、他のクラスの水泳部のメンバーと先頭争いをしていた。
同級生は口数の少ない運動部オーラの無い息子に驚いていた。
「なんかやってんの?」
「バレーボール」

 息子も含めて我が家の子供達は、幼少時からスイム以外の色々な屋外スポーツをやっていた。だから一見親のDNAで小さく地味だが、運動はそれなりこなす。

高校の部活
 息子はどちらかと言えば都立では偏差値の高い進学重点高にまぐれ(特別勉強もしない)で合格した。そして部活の選択。
高校では部活は任意なので帰宅部でもいい。
息子としては中学校時代、歴代で一番いい実績を残したこともあり、その思いで男子バレーボール部へ入部した。

絵に描いたようなショボい部 
 入部初年度、2年が3人、3年は引退、1年は8人入部した。その中で中学校でのバレー経験者は2人だ。今でもそうだが、バレーボール部は男子の運動部としての人気は低い。活きのいい男子はサッカー、野球、バスケットなどへ流れて行く。

 学校の雰囲気としてこの時代、茶髪、ピアスが都立では普通になっていた。制服も標準服としてブレザー、男女も制服を上手く着こなしていた。そこは都心の学校ならではだ。でもバレー部の茶髪の先輩はショボい。
入部してすぐ、先輩達の素行不良で1か月活動禁止となる。
ようやく練習再開されたが、やる気も無い先輩。同期も素人だらけだ。当然試合も勝てなく、残念な1年が終わる。

奇蹟が起こる
 このまま勝利も活動実績もなく、燃えることもなく部活が終わっていくのか・・と思った。
だが、まぐれで合格しただけあって、息子にはがあった。

 息子が2年なったとき、バレーボールの強い中学校から、男子バレーボール部員が入学した。そしてその子達が全員(3人)入部してくれた。
中学校時代に試合で苦しめられた相手だったので、お互い顔も知っている。

 全員、背も高いし上手い、即戦力だ。
ちゃらい先輩も引退し、ここがチャンスとばかり意気投合し練習を強化する。
またイケメンもいないバレーボール部。その理由は分からないが、6人の女子マネジャーが付いた。これで気分は上々だ。

 さらに技術的指導は全く頼りにならないが人脈のある顧問に頼みこんで、他校との練習試合を休み毎に入れてもらった。これは実戦経験強化のためだ。顧問は当然休出となるが、文句も言わずにつき合ってくれて、応援もしてくれた。

こうしてメンバー全員が夏の都立高大会のベスト4以内を目指し燃えていた。息子は勉強もせずに実に楽しそうだった。

地区大会開催
 地区大会はリーグ戦だ。上位が決勝トーナメントに行ける。
地区に1校だけ強豪校がいたが、なんと撃破した。こちらを甘くみていたのだろう。相手の監督が椅子を蹴り上げて激怒していた。
自分達の意志で戦っているチームは強い。そして地区優勝した。

 ここで優勝すると、決勝トーナメントで他地区の3位とあたる。より勝ちやくなる。ここまでは予定通りだった。

決勝トーナメント
 1回戦はスコアー的には圧勝ではないが予定通り勝利した。次に勝てばベスト4だ。
2回戦、さすがに強い。それでもドングリの背比べ程度の差だ。ここは女子の応援力で勝つ。
準決勝は春高なみの高校が相手となる。健闘はしたが勝てなかった。それでも3位入賞。過去最高位だ。

 月間バレーボールマガジンにもチーム写真が載り。また、全校の前でベスト部活動として表彰された。
イケメンの多いサッカー部、バスケットボール部から
「なんで3位なの?」と言われた。
「だってバレーボールだから」

 私が思うに戦略が成功したのだろう。一点集中で、皆で考えて頑張った。実際にバレーボール部の同期は皆さん優秀で、息子と違い有名大学へ進学していた。

 さらに地区の強豪校として認められて、その後練習試合とか小さい試合に招待された。つまり強い部への道を歩みだしたのだ。
その余波で息子はますます勉強から遠ざかり、寝不足で遅刻魔だった。
インターハイや春高バレーの出場からはほど遠いが、いい部活動だったようだ。
 熱血指導やしごきとは無縁のファイト
いい成功体験となったようだ。

少ない部員と沢山いる女子マネ
表彰されている

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