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天竺では華陽夫人と呼ばれ、唐土では妲己と名乗った。そしてこの国では・・・

ほんの感想です。 No.42 岡本綺堂作「玉藻の前」大正6-7年(1917-18年)発表

その痛快さに「もう少し活躍の場を作って」と思うキャラクターがいます。殺生石伝説で知られる玉藻前(たまものまえ)に化身した妖狐です。

岡本綺堂の「玉藻の前」により、この願いが叶えられました。しかし、「妖狐の物語」の次の展開を一層、望むようにもなりました。物語の可能性が広がる「白面金毛九尾の狐」の魅力が一杯の物語です。

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玉藻前について、精選日本国語大辞典は、こう記しています。

御伽草子「玉藻の草紙」、謡曲「殺生石」などに見える美女の名。三国伝来の金毛九尾の狐の化身で、鳥羽天皇を悩ましたが、阿部泰親の法力で正体を現し、下野国那須野に飛び去り殺生石となる。


玉藻前に化身した妖狐のキャラクターに面白さを感じるのは、「美女に化身し権力者の権威をおとしめる」「失敗するとターゲットを変えて次の挑戦をする」という、ある目的に向けたプロセスの繰り返しです。

このプロセスは、
・金毛九尾の狐が美女に化身する。
・時の権力者に接近を図り、確実に虜にする。
・権力者に残虐非道なことをさせて民望を失わせる。
・法力ある人によって正体を見破られ、他国へ逃亡する

というものです。

では、このプロセスが、どこで進められたか。

中公文庫、岡本綺堂「玉藻の前」に登載された千葉俊二解説によれば、江戸時代、高井蘭山(1726-1838)の「絵本三国妖婦伝」によって三国悪狐ブームがあったのだそうです。そこで妖狐が化身した美女は、次のように、各国の権力者と関わりました。

最初、中国の殷で妲己(だっき)となり紂王を意のままにする。
次に、天竺で華陽夫人となり斑足太子を意のままにする。
次に、中国に戻り、周で褒娰(ほうじ)となり幽王を意のままにする。
次に、日本で、玉藻の前となり鳥羽院を意のままにする。

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一方、岡本綺堂の「玉藻の前」では、
・玉藻の前は、関白藤原忠通に歌の才能を認められ、そこを足掛かりに宮廷の女官になろうとしたところで挫折する。
・玉藻の前となる前の娘、藻(みくず)を慕う少年が登場する。彼は、陰陽師の弟子となりながら、玉藻の前を慕う。
・玉藻の前が殺生石となった後、彼女の敵たちは、保元の乱と平治の乱で滅ぼされる。
ということが描かれています。

玉藻の前は、美しいだけでなく、才能に溢れ、謀もできる。その一方で、愛しい男への激しい執着も示す、という風に描かれていて、読みごたえのある長編作品となっています。

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殺生石伝説は、「各国で悪事を働いてきた妖狐が日本で成敗される」物語と感じました。しかし、妖狐を主体にしてみると、「化身や人を操る能力」を持ちながら、それを活用する戦略が拙かった」という印象を受け、バランスの悪さを感じます。妖狐に明確な目的を与え、それに向けた戦略を練ることで、別の物語になる予感があります。

「殺生石」は割れたけれど、その破片が飛んだ地から妖狐が復活していた物語を読みたい。例えば、東京、ニューヨーク、そして、スペインへ飛び、世界的なリーダーを意のままに操るような。果たして妖狐の目的は何か?

ここまで、読んでくださり、どうもありがとうございました。


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