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「舞姫」を演じるつもりで読んでみる。

有島武郎の「或る女」を読み終えてから、森鷗外の「舞姫」のことを考えていました。

「或る女」の主人公の早月葉子は、「我」の人です。「或る女」前編では、そんな葉子らしさが遺憾なく発揮されます。しかし、後編で、葉子の「我」は、世間と烈しくぶつかり、彼女を生きづらくさせていきます。その描写からは、当時の個人と社会の軋み合うような関係が伝わってきました。

「或る女」は、「我」の人となる女性を造形し、当時の世間に対し、彼女がどこまで「我」を通すことができるか、挑戦させた物語だと思いました。そして、「舞姫」も、「我」の人の物語のように感じられてきたのです。ちなみに「或る女」が大正8年(1919年)に発表されたのに対し、「舞姫」は、明治23年(1890年)の発表です。

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「舞姫」には、ある疑問がありました。それは、主人公太田豊太郎の、友人に向けた感謝と憎しみです。

「舞姫」の終盤、病気から快復した太田は、友人相沢から、太田の病気中に、太田の帰国をエリスに告げたことと、エリスの状況を聞かされます。そんな相沢に対する心情が、次のように吐露されます。

 ああ、相沢兼吉がごとき良友は世にまた得がたかるべし。されども我脳裏に一点の彼を憎むこころ今日まで残れりけり。

太田が相沢を憎む理由として、「感謝しきれない厚情を受けたが、そのせいで、自分は、取り返しのつかないことをしてしまったから」と考えられます。しかし、そう解すると、太田の弱さが、上塗りされる気がします。なぜ、森鷗外は、主人公太田をそこまでだめな男にしたいのか?

その疑問が解消できたわけではないのですが、「舞姫」を「我」の人の物語として読んだ時、ある個所を浅く読み過ごしてきたことに気が付きました。

それは、主人公太田が、大人になるまでは、父母の教えに従い、官庁に職を得てからは、上官の指示に従い、自分を、彼らが操作する機械の部品のように感じていたこと。そして、その太田が、留学した地の自由な雰囲気で、心の奥底に潜めていた「我」を、初めて表出させた、ということです。

初めて「我」に従って行動した太田は、一方で、「日本の社会」と対立し、経験したことのない不安を感じたはずです。そして、友人相沢が奔走し、彼に帰国のチャンスを作ってくれた。その不安から希望への振幅の大きさを想像することが、「舞姫」を読む鍵のように思われてきました。

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時代が違うのだから想像しにくいかもしれない。しかし、社会が変わっても、「我」が存在する以上、私たちが感じる苦しみや悩みは、消えるものではないと思われます。その意味で、「舞姫」や「或る女」から得ることができる示唆は、興味深いと考えます。

もし、「舞姫」がお芝居になったり、映画化されたりしたら、太田豊太郎を演じる役者さんは、どのように太田豊太郎を造形するのか?そんな風に太田豊太郎になりきるつもりで読むと、「舞姫」は、もっと面白くなる、そんな気がしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

*森鷗外「舞姫」の過去の記事です。


*有島武郎「或る女」の記事です。


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