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旅先で別世界に紛れ込む:ベトナムと海南島にて

 旅の醍醐味のひとつに「別世界に紛れ込む体験の面白さ」がある。言葉の通じない土地ならなおさらのことだ。

アンキエム湖②

 そんな場所の一例にベトナムがある。そのベトナムの水の都ハノイ、アンキエム湖の畔にある国立水上人形劇場で、この国特有の民族芸能「ロイ・ヌオック(Roi=人形、Nuoc=水)」を見たのだ。まったく言葉は分からないのに、初めから終わりまで、こみ上げてくる笑いをこらえることができなかった。
 観客席は300席程度だろう。正面にベトナム風、深紅の屋根の宮殿がしつらえてある。その左側に、音楽を演奏し、せりふを語り、歌を歌う楽士たちの席がある。で、宮殿の前の水をたたえた幅7、8メートルのプールが舞台となるのだ。

水上人形劇場の水舞台

 開演の時刻になると、場内が暗くなり、舞台照明がプールを照らし始める。と、鉦や太鼓、月琴や笛の、カロローン、チャンチャン、ピヨョーン……なんとも不思議な音が場内を満たす。
 その瞬間、濃い緑色の水面に、突如として旗を並べた「花道」が現われる。で、宮殿の模型の軒下の簾の後から、爆竹の弾け飛ぶ音と共に、水上を滑るように、とぼけきった表情の人形が登場する。

 背丈は5、60センチだろう。そんな人形たちが軽やかな音楽に合わせて、水に潜ったり、急に水面に現れたり、火のついたロウソクを持って踊ったり、実に巧みに「水の舞台」を動き回る。
 作りも精巧で、服のデザインや人形の表情は細やかだ。口から火花や水を吹き上げる黄金の龍の舞、牛を追いながら土地を耕したり、田植えをしたり、牛を使って代掻きしたりする夫婦の農作業、魚と人間が必死の攻防を演じる魚獲りの場面もある。

 この水上人形劇は、氾濫を繰り返すホン河流域の農民が、洪水の被害に打ち勝とうと、農作業の合間に豊作を祈って始めたのだという。
 演じられるのは長江以南の諸民族の祖となった妖精の王夫妻が百人の子を産み、そのうちの一人がベトナムの王となったという伝説をはじめ、ベトナム史を彩るさまざまな物語だ。で、最後の演目は「魚が龍と化す」――およそ千年前、当時の王様が、黄金の鱗の龍が雲に乗って空高く昇る姿を見て、この地を神聖な場所と知り、都をここハノイに移して「タン(昇)・ロン(龍)」と名付けたという話だった。

 そこには、ベトナムの農民の楽しみや苦しみ、彼らを支配しようとする異民族や権力者を小馬鹿にする気持などが込められている。それが人形の分かりやすい動きを通して見る者に伝わってくる。で、けして豊かではなさそうだが、たいへん誇り高い人々に出会った爽やかさと大笑いの爽快さが記憶に強く刻みつけられる。

 最後は人形ではなく、ハスの花を持った10人程度の人形遣いの男女が水に浸かったまま登場し、祠に祈りを捧げてフィナーレとなる。そして大笑いのあとの気持ち良さが確かな記憶に刻まれたのだった。

 今ひとつ、旅先での忘れられない芸能体験がある。中国の海南島、高原都市の通什(とんざ)のホテルで見た手品だ。
 突然、観客を舞台にあげての演目が始まり、その役が回ってきた。しかたがないので舞台に上がる。と、手品師がぼくの胴体に針金を巻き付ける。
それから現地語での講釈が少し続いた。ぼくには分からない。が、随所で観客たちは笑い声を上げる。その果てに手品師は、
 「えいっやっ」
 というような掛け声を掛けて、思いっきり、その針金を引っ張った。瞬間、あろうことか針金が胴体を横切ってはずれている。手品だからタネがあったのだろう。が、私も観客も狐につままれたようにポカンとするほかなかった。

 場内に拍手の嵐が起こった。
ここで話が終われば「めでたしめでたし」なんだろう。が、その夜、強烈な腹痛に襲われた。で、旅の疲れから夢うつつの領域をたゆたっていると、針金が胴体を切断するイメージが繰り返し思い出されたものだ。
そんな根拠のない腹痛が翌朝、地元の医師の診察を受けるまで続いた。あれは一体、何だったのか。旅先で「さらなる別世界に紛れ込んだ」という気がしないでもない。          (表紙と本文中の写真は筆者撮影)

「ロイ・ヌオック」の動画は、つぎのURLでご覧いただけます。
     https://www.youtube.com/watch?v=zgYftHEC7YU

【注】「通汁」は黎語で「肥沃な谷」という意味だ。ただ、ぼくが訪れた年の6年後の2001年、この町は海南島最高峰の五指山のあることから五指山市へと名前を変えた。     (「五指山遠望」の写真:Wikipediaより)

五指山市の風景


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