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思いをそのまま正直に、人に合わせず自分に合わせた自分になる

「お前は優しすぎる。優しいのは良いが人に流されやすい。もっと自分を大事にしろ」
これは亡くなった友人が最後に送ってくれた言葉。

これまでなんとなく気付いてはいたけれど変えられなかった自分の欠点を、最後にはっきりと言ってもらえた。

思えばこれまで、人に気を遣って合わせてばかりだったような気がする。
ご飯を食べに行くにしても遊びに行くにしても、行先やメニューは人に合わせて選んでいた。
仕事でも、人の出したアイデアに賛同して同調することばかりを選んできた。

本当は自分はこれを食べたい、ここに行きたい、こうしたいという意思があっても、それを押し込めて意見の食い違いや争いを避けてきた。
それが知らず知らずのうちに積み重なり、いつの間にか本当の自分の意思を見失った。

何か意見を求められても頭でばかり考えてしまって、
「こっちのお店にしたらこの人が食べたいメニューがないな…」
「ここに行きたいと言ったらこの人の家から距離が遠くなるな…」
「これを選んだらこの人と意見が対立するな…」
という理由で意見を選び、それをあたかも自分の意思かのように自分自身で錯覚するようになった。

自分を偽って、でも自分を偽っていると思ってない。
いつしか無意識のうちにそれに疲れて人との関わりを避けるようになったこともある。
なぜ人と関わることに疲れたのか、その理由が自分自身にあることにも気付かずに。

でもそれが本当の自分の意思ではなかったとようやく気づくことができた。
本当の自分の意思は、人との相違や対立を恐れて頭でごちゃごちゃと考えたものではなく、もっと体の奥底の腹の中から湧き出てくるようなもの。
最初に真っ先に自分の心の中に浮かぶ言葉こそが、本当の自分の意思。

「思ったことをそのまま素直に言えば良いんよ」
これは友人とは別の大事な人に言われた言葉。
本当の自分の意思を見つける方法はわかった。次はそれを外に出す方法を試してみる。

「俺は今日はこれが食べたい」
「そっちも良いけどここにも行きたくない!?」
「そのやり方もありますが、こういう別の方法もあると思います」
思ったことをそのまま素直に意見として出してみると、別に対立することもなければ嫌われることもなかった。

それでも相手の意見が通ることもあれば、自分の意見が採用されることもあるし、妥協案が選ばれることもある。
結果的にどうなっても、なんだかすっきりとした気持ちで過ごすことができた。

自己中に生きようと言うのではない。自分の意思も表現した上で、人と関わっていくだけの話。
言葉選びはある程度必要だけれど、こうやってnoteで記事を書くということをしている自分にとって言葉を選んだり作ったりすることは得意分野じゃないか。

頭で考えた意思は意思にあらず。
自分の意思は心で決める。
それを表現する方法を頭で考える。


人に合わせすぎたせいで自分を蔑ろにしてきたが、これからは自分に合わせた自分になりたいと思う。

#なりたい自分

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