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エンピツエッセイ(EE)第三章

エンピツ第三章(上)


みなさんこんにちはエンピツです。

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今回は

【第三章のハンドボール指導者になったその後】


ということで
ハンドボール指導者になってからの話を上下に分けて紹介します。

この記事は無料で全て公開しています。

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最後までお楽しみください。よろしくお願い致します。

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今回はエンピツの指導者になってからの辛かったこと、

次回は嬉しかったことを残していきます。


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ハンドボール指導者としての1歩を踏みだしたエンピツは…


一言で言うと

辛いことだらけでした。

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そらそうです。

ハンドボールのプレイ経験も豊富なわけでもないエンピツがいきなり監督を始めたのですから…。

苦労した部分は大きく3つあります。
それは「指導方法」「練習内容」、そして「保護者対応」です。

「指導方法」「練習内容」
ハンドボールのプレイヤーとしての経験の乏しいエンピツは、
どんな練習をすればどんな力が付くのか…。
どう指導をすれば子ども達の力が伸びるのか…。

毎日試行錯誤していました。


ハンドボールの本もインターネットで購入し、
3冊も4冊も買いました。

今ではその本はボロボロになっています。

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ボールの投げ方、キャッチの仕方、
1対1の入り方、シュートの打ち方…試合の練習…
数えればきりがありません。

あの頃はまだハンドボールチームというよりも
ハンドボールという遊びの中で、スポーツに親しんでいる。

といったほうがピッタリだと思います。



他にも苦労することは山ほどありました。
練習日程を決めること。
お金の計算(月謝などの回収や収支を計算)をすること。



そして…一番つらかったことは保護者対応です。


20人も30人も子ども達がいれば、
考えもバラバラですし、熱量もバラバラです。
「なぜうちの子を見てくれない。」
「もっと練習日を増やしてほしい。」
「練習に行きたくないと言っている。」

そんなことはまだ序の口です。

一番つらかったのは、
エンピツの監督としての話をねじ曲がった状態で親に伝わり
それが大きな問題につながったこと
です。

その中の1つを紹介します。

ある試合に負けた後のミーティングでの話です。

「試合に負けたのは誰のせいでもない。だけど、一人ひとりが「自分のここがわるかったな」と思う部分があるのなら、その悔しさを忘れずにもって、力にかえて次に向かっていこう!」

試合後のミーティングでそんな話をしました。

それは悔しい中でも子ども達を奮起させ、また次に向かって進めるように監督としてかけた言葉でした。

その夜のことです…。


1人の選手が家でこんなことを伝えたそうです。

「監督に負けたのは自分のせいだとみんなの前で言われた。」


この一言が招いた出来事です。

エンピツはそんなことは全く言ってもいませんし、
周りのチームメイトやその保護者の方も
「監督はそんなことを言っていない。」と言っても
全く聞く耳を持ってもらえません
でした。

その後は、どれだけ弁明をしても取り合ってくれず…

大きな溝ができたまま…でした。

このことでエンピツは

「こんなことになるならもう辞めたい。」と大きく思いました。そんな時にエンピツエッセイ特別編で紹介したようなことになったのです。

そんなエンピツエッセイ特別編はこちらから

エンピツエッセイ番外編【仕事とハンドボール】


もちろんそれだけじゃありません。


「もう練習には行かせません。」

「試合には出さなくていいです。」

「昔は違った。」

「コーチの教え方がいやだ。」

「監督は高学年中心に見ずに、全学年をもっと見てくれ。」


の言葉を投げつけられたこともあります。


「クラブのやり方はおかしい」とも言われました。

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集まる子ども達によってモチベーションが違います。
試合にたくさん参加したい子、
試合には出ずに練習だけがしたい子…
エンピツは指導者としてどちらの思いも受け止めてあげたい。
そう思ってはいましたが
そうはいきません。


試合が多くなると、練習がすくなくなる。
練習が多くなると、試合が少なくなる。

保護者の方からはどちらの要望も届く…。

練習を多くすれば「練習が多すぎる」と言われ

練習を少なくすれば「もっと練習をしてほしい」と言われ…。

エンピツ自身の用事があるから練習を休みにしてたら

「なんで練習がないのですか?」と言われ…。


ここまで言われると、本当に嫌になってしまい…
辞めようかと思うこともありました。

前の日には「明日がハンドボールか…嫌だな。」
と思ったことも一度や二度ではありません。

正直に言うと今もあります。
いっそのことやめてしまった方が楽になれるのに…と。

何をやっても誰かが意見を言ってくる。

AをやればBと…

BをやればAと…。

AとBをやれば…新しいCと言われる。。。

もう、どうにもできませんでした。。。。

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ハンドボールチームを設立したあの頃のエンピツは…
未成年で大学生だったこともあり、
友達と遊んだり、バイトをしたりと一般的な大学生と同じ生活をしていたので、ハンドボールがあるということで友達との遊びをキャンセルすることも多くなりました。

何度も何度も
「明日の練習がなければ…。」と思いました。

保護者の方に

「もうチームをやめようと思う。」とも話したこともあります。


だけど…やめることはしませんでした。


それはどこかに
エンピツが責任を持たなければ…自分で始めたものを自分の勝手で辞めてしまってはいけない。


なにより「子どもが1人でもいるかぎりは、チームを辞めない」と自分や周りと約束して始めたこともあり、ふんばってふんばって毎週、毎月続けました。。。

この時に辞めないで本当に良かったと今は思います。

正直に言うと
辛いことの方が多く、マイナスのことのほうが多い…。
プラスはどこにあるのだろう?と感じることも多い
です。

新しいことを自分で挑戦する。
0だった所に1を作り出すということは本当につらく険しい道のりです。

まだまだ今も辛いこともありますが、
ハンドボールチーム運営は…これからやぞ!!




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