間違っていないと思うけど、シラける
「相手のことを考えて」「相手に嫌な気持ちにさせないように」とは、その通りだと思うし、会社ではそういうことを指導したり、研修を企画したりもしています。
ですが、一定の割合で、反発とまではいかないまでも、シラけている人たちがいるのを感じることもあります。
思いやりを持て、と強要しないで
「その考えに反対とまでは言わないけど、強要はされたくない」と言われたことがあります。正しいとか、間違っているという主張でもなく、どう思ったのかを伝えてくれました。なので、それについて議論をしたわけでもなかったのですが、率直な気持ちを教えてくれたのだと思います。
似たような感覚を持っている別の人は、こういう表現をしていました。「人を叩く理由をつくらないでほしい」と。「相手のことを傷つけてはいけない」というルールが存在すると、「あの人を傷つけましたね」と批判される可能性があるわけです。
この2人に共通しているのは「自分に対して批判をする理由をつくられることがすごく嫌」と思っているのだと思います。実際には過度な話はないのですが、行き過ぎたポリティカル・コレクトネスで語られている弊害のようなことを恐れているのかもしれません。
率直に意見を言う=相手への配慮を欠いてもいい?
会社では、自分の意見はしっかり伝えよう、疑問に思ったら質問をしよう、と発言することを推奨しています。では、相手のことは何も考えなくてもいいのか、というと、それも違うと思っています。
本人はよかれと思って率直に意見を伝えているけど、受け取った人からすると「こちらの事情も知らずになんて配慮に欠けた人なんだ」ということがあると思います。
やたらと煽るような表現をしたり、事実かどうかわからないのに断言して批判をしたり。
問題なのは「私のことが大切にされていない」と感じてしまうこと
嫌な気持ちにさせる人と、嫌な気持ちにさせられる人。配慮に欠けた発言をする人と、配慮に欠けた発言をされた人。いろいろな場面で、「あなた」と「私」という関係になります。
双方の言い分を聞いていると、どちらの人も何かに脅かされているという感覚があるようです。言う人も、言われる人も感じているのは「私のことが大切にされていない」ということです。
すぐ合理的・論理的に正しいかどうか、と説明を求められることが多いのですが、結局のところは、自己の尊重(自己肯定感)の話 なのだと思っています。
「相手」には、自分だって含まれている
すべての人が「相手」のことを考えたり、嫌な気持ちにさせないようにしていれば、巡り巡って自分もそうしてもらえるはずなのですが、実際には我慢している人がたくさんいるわけです。理屈ではそうだけど、現実はそうじゃない、という話です。
なので、「相手のことを考えて」「相手に嫌な気持ちにさせないように」とは「あなただって大切にされなくてはならない存在で、「相手」の中にはあなたも含まれているのです」と明確に伝えられると、だいぶ受け取りやすくなるのではないかと思います。
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