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『ミステリと言う勿れ』 で話題になった「どうして”闘病”って言うんだろう」を学術的に考察する

ドラマ『ミステリと言う勿れ』で話題になったシーン

現在、菅田将暉さん主演で放映中のドラマで、ある場面のセリフが話題になったそうです。

僕はドラマをまだ見ていなくて(録画はしている)、原作になったマンガは読んでいます。娘の影響で読み始めましたが、かなり面白いです。録りためているドラマも早く見てみたいと思っていたところでした。

インターネットで話題になっていたのは、おそらく、このセリフの辺りの場面なのだと思います。

僕、ずっと疑問に思ってました。どうして "闘病" って言うんだろう?
"闘う" と言うから、勝ち負けがつく。

ーどうして、亡くなった人を鞭打つ言葉を無神経に使うんだろう。負けたから死ぬんですか。勝とうと思えば勝てたのに努力が足りず負けたから死ぬんですか。

ミステリと言う勿れ 4巻(P136)

これは主人公の久能整(くのうととのう)の言葉です。土手から落ちて入院した病院で、同じ病室の隣のベッドにいた元刑事の老人・牛田悟郎との会話です。牛田は、自分の死期を悟っていました。牛田が「長い闘病生活の末…」と話したことを受けてのセリフでした。

このやり取りに多くの視聴者が反応したようです。記事中では、「確かに」「考えたことなかった」など立ち止まり考えをめぐらす視聴者の声が多く見られた。と書かれています。

がんを罹患した当事者として考える「闘病」という言葉

僕もかつては、がんの罹患者として外科手術を受け、抗がん剤の治療をしていました。その頃にTwitterで日々のことを書いていたのですが、「がん闘病記」とタイトルをつけていました。2010年の頃です。

2011年に社会復帰した後も、しばらくは「闘病」という言葉に疑念を抱くこともありませんでした。

しかし、ある場所でがんを体験したことについての講演をしていたとき、何の気なしに「闘病」という言葉を使っていたのですが、ある人から「なぜ闘病と言うのですか?勝ち負けがあるのですか?」と質問をされたことがありました。

それまで、深く考えたこともなかったので、上手く回答できなかったような気がします。そして、この質問は、その後に「闘病」という言葉について考えさせられる出来事となりました。

「闘病」についての学術的な考察

「闘病」とは何なのか、を学術的に考察されていた本がありました。日本における「闘病記」についての研究した博士論文「闘病記の社会学的研究ーがん闘病記を中心に」(2010年3月)をもとに書籍化されたものです。研究対象となっている闘病記は、がんの闘病記になっています。

「闘病記」について深く掘り下げるためには、「闘病」という概念について触れないわけにはいきません。

「闘病記」を研究する過程で問題視したのは、まず「闘病記」という名称に含まれる「闘病」の概念である。というのは「闘病」をその文字通り「病いと闘う」ととらえるなら、必ずしも「病いと闘う」という意識がすべての闘病記において共有されているわけではない。

生きる力の源に-がん闘病記の社会学(P25)

どうやら、「闘病記」においては、すべてが「病と闘う」という意識で書かれているわけではなさそうです。

この「闘病記」は、『臨床死生学事典』において定義を行った2000年以降、本論のなかで述べるように闘病記にみられる患者の病気との向き合い方が「闘う」というのではなく、「共生・共存」と変化してきたが、「闘病記」にはそれらも含めている。また、「病気の発見、診断、手術、治療、その後」という医療面でのプロセスだけではなく、病いをもって生きる生活体験全体を含んでいることをここでまずふれておきたい。

生きる力の源に-がん闘病記の社会学(P2)

病いによって痛みを負ったり、弱体化した身体や生活は、元に戻らずともその弱くなった地点は受け入れつつ、そこから新たな世界へと踏み出そうという受動的な能動性を特に2000年代以降の闘病記に見出すことができる。(中略)
そのような意味で闘病記は、従来考えられてきたような「かわいそうなもの」「気の毒なもの」「傷を舐めあうようなもの」として、同情や憐れみを向けられる対象ではなく、むしろ書き手にとっても読み手にとっても「生きる力」を与える力強いものとなっている。

生きる力の源に-がん闘病記の社会学(P10)

そしてそれは、2000年代以降に「闘う」から「共存・共栄」へ、「かわいそうで気の毒なもの」から「生きる力を与える力強いもの」への変化があったと書かれています。

日本における「闘病」という言葉

「闘病」という言葉はいつ誕生したのでしょうか。そもそも、近代医療になるまでは、「病気と闘う」という意識は稀薄だったそうです。

日本の医療史研究者の先行研究が示すように、従来わが国において「病気と闘う」という意識は稀薄だった。立川昭二は、「近代医学にとって病気は ”征服” し、"排除" するものであるが、私たちの祖先にとっては、なだめ、鎮めるものであり、病気を癒やしてくれるのは神や仏であった」と記している。

生きる力の源に-がん闘病記の社会学(P26)

はじめて「闘病」という言葉が使われたのは大正時代の1926年と考えられています。当時の人気探偵小説家でもあり、医学博士でもあった小酒井不木が『闘病術』を出版しました。小酒井は10年来の結核患者でもありました。

「闘病」が「病気と闘う」という意味で一般に広く知れわたるのは、調べた限り1926年(大正15年)小酒井不木の著書『闘病術』からである。冒頭「闘病術の意義に、「闘病術とは『病と闘ふ術』といふ意味である」の一文がある。
「闘病」という言葉について、『日本国語辞典』には、「『闘病』の初出は、芹沢光治良『ブルジョア』(1930)」とあるが、小酒井がそれ以前に「闘病」を用いたことは明らかである。

生きる力の源に-がん闘病記の社会学(P26)

「闘病」という言葉の普及

小酒井不木の著書『闘病術』が日本に「闘病」という言葉を普及させていったと考えられます。

『読売新聞』紙面に最初に「闘病」が登場するのは1926年8月29日の朝刊4面であり、「今日の新刊」として他の15冊とともに『闘病術』が紹介されている。
『毎日新聞』をカテゴリー分類未完の明治・大正・昭和の『東京日日新聞』マイクロフィルムで調べると「闘病」はやはり『闘病術』と同時に現れる。ただし、その広告は『読売新聞』より1日早く『東京日日新聞』朝刊1面に1926年8月28日に3段にわたるトップ広告として掲載されている。
『朝日新聞』に「闘病」が初めて登場するのは、縮刷版を調べていくと他の2紙と同時期、1926年8月30日の朝刊1面に『闘病術』の広告を見つけることができる。

生きる力の源に-がん闘病記の社会学(P27)

三大新聞で『闘病術』が大きく掲載されていたことがわかります。日本でラジオ放送がはじまったのが1925年のことだったので、新聞は、今と比べ物にならないぐらい日本社会に大きな影響を与えるメディアだったのだと思います。

1926年12月11日には、『闘病術』の増刷27版を超えた段階で「肺病患者殊に慢性疾患は即刻この本を讀め!!」と新聞6社の書評をいっせいに集めて朝刊1面に横一列の大きな広告が見られる。『新愛知新聞』は、「小酒井博士が日蓮であるなら、本書は正に慢性病患者にとっての法華経であらう」との評を寄せている。
「闘病」の出現と普及において、小酒井の『闘病術』が大きく貢献した。三大新聞すべてに一挙に広告掲載され、版を重ねたことによって小酒井が用いた「闘病」は短期間に広まったといえよう。

生きる力の源に-がん闘病記の社会学(P28)

新聞に初めて掲載されて数ヶ月後には増刷27版にまでなっていることがわかります。短期間で「闘病」という言葉が日本に広まっていった様子が伺えます。

現在における「闘病」とは何か

そして現在、がんの再発や転移と向き合って生きている人々のなかには、「『共生』という言葉では私は語れない」「人間としての自由を主体性を奪おうとするこの病気に対し、『闘う』という意識がまだ強い」とする闘病記もあり、多様な展開がみられる。

生きる力の源に-がん闘病記の社会学(P55)

社会の変化の中で言葉が生まれ、時代とともに意味合いも変わってきています。それでもなお、「闘う」という意識がまだ強い方もいらっしゃいます。

『ミステリと言う勿れ』に登場した元刑事の老人・牛田悟郎は、主人公の久能整にこんなことを言っています。

あんたは若くて、当事者じゃないから。まだわからんかな。
病と闘うぞと思う気持ちも大事なんだよ。

ミステリと言う勿れ 4巻(P137)

僕ががんの告知をされて治療を開始したのは、12年も前のことです。告知をされたときにすぐに思ったことは「まだ死ねないな」でした。当時3歳だった娘を残して、この世からいなくなるわけにはいかないと思ったのです。

病気は勝ち負けじゃないと言われればその通りですが、生き残る以外の選択肢を考えることなく立ち向かっていた当時の心境は、闘うという意識の「闘病」だったのだと思います。

ですが、様々な受け止め方があるということを知った今では、もしも再発をして日々の記録を書くことになったとしても、闘病記というタイトルはつけないような気もします。

そうだとしても、基本的な考え方は、「あなたはあなた。わたしはわたし」です。言葉狩りに走ることなく、押しつけるのでもなく、多様な考え方があることをそれぞれ受け入れられる社会であってほしいと思っています。

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