『僕らのイマジン』
中三の夏、僕はその日の三者面談での担任Fの態度がなんだか気に食わなかった。
いつもは友達みたいに話すのに、おかんと三人で話すときは別人みたいだったからだ。急にそんな風に話されても、自分がどんな風に話せばいいのかわからなくなる。大人は色んな場面で、色んな顔を持っている気がする。でも僕は僕以外の何者にもなれない。
F先生「上野君、要領は良いのでもうちょっと頑張ったら、すぐにグンと成績伸びると思うんですけどね。全然今のままでも志望校はいけるとは思うんですけど、まずほんとにこの高校でいいのかなと。」
母「誰でも頑張ったら伸びると思うんですけどね、どうやったらこう、、もうちょっとやる気になるんですかね、ほんとに。」
母「あんたほんまにここの高校でいいの?」
僕「ええねん、ふじもそこやし」
母「あんたふじがおるからってね」
僕「ええやん、家からも近いねんから」
F先生「まあ仲のいい友達が一緒っていうのも、大事ですけどねえ、受験までまだ時間はありますから、私もできる限りのサポートはしていきますので。」
高校なんかほんまにどこでもよかった。
小学生の時からずっとサッカーだけをしていて、地区や市の選抜選手にも選ばれた経験もあってか高学年の頃までは本気でプロになれると思っていた。中学生にもなるとプロになれそうもないことに薄々気づき始めていたが、それでも中学ではクラブチームに入った。
サッカー小僧ではあったものの、昔から音楽が好きで密かに憧れていた僕は、中一のお年玉でアコースティックギターを買った。その夜の高まりといえば、すぐにでも人気者になれる気がしていたと思う。ただサッカーをしながらギターを弾けるようになろうなんて器用なことは僕には出来なかった。
次第にクラブチームへ行く気を失った僕は、中二の秋に一度サッカーを辞めてしまった。
それまで平日は家の近くの児童館の公園で遊具の隙間をゴールにしたフットサルをして遊ぶ、週二、三でチームの練習、そして土日は練習試合と本当にサッカー尽くしの毎日だった。小一から中二までの七、八年はそんな生活をしていたので、その全てを自ら手放して目の前に現れた膨大な暇に初めは少し戸惑った。
しかし、じんわりと人生にはこんなに自由な時間があったんかと喜びと開放感も感じ始めていた、がもちろんそんな喜びも長くは続かない。
たっぷり時間はあるからギターを弾けるようになってやるかと意気込んだ。コツコツ練習あるのみ、と分かってはいても思うようにいかない日々に少しずつギターから遠ざかり始めた。そして気がつくと埃が被ったギターを見て絵に描いたような挫折に嫌気がさした。
サッカー選手という小学生の頃から追いかけていた一つの大きな夢の挫折の後、15歳の僕に残っていたものは何もなかった。
自分はこのままずっと何かを成し遂げることは出来ないのかもしれない、そう思い始めていた頃の三者面談だった。だから本当はFではなくてそんな自分が気に食わなかっただけかもしれない。色んな場面で色んな顔を持てるというのは、本当はいいことなのだと思う。
電話に出るおかんの声が急に高くなるのも、いつも偉そうなおとんがお坊さんが家にお経をあげに来た時にやたらと低姿勢なのも、僕以外の人と関わる為のもう一つの顔だ。
先生のいないところで先生の名前を呼び捨てにするという小さな快感を覚え始めた僕たちは、もう一つの顔を持つ為の予行演習をしていたのかもしれない。
F先生は僕らが中学二年の時に音楽の先生として赴任してきた新人の教師だった。歳も近くとても熱いけど何か少し変わっていて、先生の中では少し浮いた存在だった。すぐに生徒の人気者になった。昼休みにはこっそりと音楽室でギターを触らせてくれたり、その頃の僕たちにとって理想的な先生だった。
だから中三になる春のクラス発表で、F先生が担任になった時、心の中で小躍りするほどには嬉しかった。
F先生とする音楽の話が大好きだった。斉藤和義、エレカシ、レッチリ、こんな話をしてくれる先生は他にはいなかった。
中三になってからも時間が有り余っていた日々は学校が終われば埃を被ったアコースティックギターをポロポロと触ったり、触らなかったりした。弾くと表現するにはあまりにも拙い。夜中に好きなアーティストのライブDVDを見て、居ても立っても居られなくなってまたとりあえずギターを触る、そしておとんにうるさいと叱られて寝る。湧き上がるエネルギーをどこにどうやって使えばいいのかわからず、思いついた事をやってみてはすぐには埋めれそうにない理想と現実のギャップに気がついてほとぼりが冷めた。
そんな僕を見兼ねてか、しばらくしておかんは僕にエレキギターを買ってくれた。少しの間ギター教室にも通わせてくれた。
そこからは毎日コツコツとギターを練習するのが好きになれた気がする。
高校受験も近づいてきた頃、気がつけば楽器屋でDeep Purpleのsmoke on the waterのギターリフを弾くのが恥ずかしく思えるほどには、ベタなギターキッズに成長した僕は、気がつけばアコースティックギターで弾けなかったコードも少しずつ弾けるようになっていた。
同じくエレキギターを練習していた同級生から人生で初めてこのセリフを聞くことになる。
「なあ、一緒にバンドせえへん?」
この言葉によってどれだけの人たちが、自らの人生とその周りの人たちの人生に多大なる影響を与えてきたのか。考えるのも恐ろしいほどに魅力的な言葉だった。自分の存在価値を認めてもらうと同時に、もてはやされるかもしれないし、大好きなアーティストみたいになれるかもしれないという想像が一気に広がった。
「けんちゃんピアノ弾けるから、ドラムも練習したら出来ると思うし、とっくんがベースしてくれるし、皓平がギターでさ、俺が歌うから」
まだ中学生だった僕たちは、バンドを組む、それだけでよかった。一度もメンバー全員が集まることもなく、何も始まることもなく終わったバンド。放課後に誰かの家で楽器を鳴らすことがこの時の僕らにとってのバンドだった。
「ほんまに?ええな、やろか。」
何も始まらなかったからこそ、心に焼き付いたままのイメージがある。
毎晩目を閉じれば聴こえてくるような気がしていた。
僕たちを待つ歓声とその姿が。
イラスト:本田亮
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