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エネルギー、データの文明的価値と己の方向性

先日、ロシアがウクライナに侵攻したが、国際社会は国連の常任理事国で議長国をも務める同国を止めることは出来ていない。その主な要因としてEUあるいは先進諸国で制裁に対する足並みが揃わないことが挙げられ、また、そうなるであろうと予測できたことが開戦につながったと考えられるが、それはロシアの天然ガスに依存している国が報復を恐れて国際銀行間通信協会(SWIFT)から排除する決断を踏み出せずにいる影響が大きい(26日、排除を決定した)。具体的にはイタリア、ドイツ、オーストリア、ハンガリーが難色を呈しており、いずれの国も過去に原子力からの転換を図るなどして天然ガスに依存している。ここで私が注目するのは、産業革命以来、人々の暮らしや経済は豊かになっているとはいえ、21世紀になってもなお、人類はエネルギー資源への依存という脆弱性を克服できていないことである。

これからのエネルギー

先述したエネルギー資源は一次エネルギーと呼ばれ、その内訳は石油、石炭、天然ガスのみで約8割を占める。これら全ては現在進行形で強力な経済、外交カードとなり、UAEなど中東の産油国やロシアなどの資源国に主に先進国や中国からの莫大な貿易利益をもたらしている。この政治的、地政学的リスクに加えてこれらの一次エネルギーは全て枯渇性であり、また石油と石炭からは燃焼時に温室効果ガスが排出されるため、このような戦争が起きている今や、エネルギー源の転換は人類共通の課題ではないだろうか。そうなれば代替案としてはまず第一に枯渇しない再生可能エネルギーが挙げられるが、現在の発電量を見ても全体のおよそ2%弱と、大きな技術的ブレイクスルーが無いと完全にこれに移行するのは難しいだろう。そこで私は、やはり原子力をエネルギー源として用いる必要があると考える。とはいえ、チェルノブイリや福島で起きた核分裂を用いて発電するのはリスクが大きすぎる故、核融合炉の開発が必至であろう。

ここで私が引用するのはカルダシェフスケールという1964年に旧ソ連の天文学者ニコライ・カルダシェフが考案した、宇宙文明の発展度を示す三段階のスケールである。これは文字通りSFの世界の話で、この分類によると人類はタイプⅠ、すなわち初段階にすら到達していないがしかし、文明の発展度合いを時間あたりの消費エネルギー量で大別するという試みには先見性があり、なおかつ数年、数世紀程度の技術の発展でも着実に数値に表れるこのスケールには大きな意義が見出せる。実際に計算してみると、このスケールではタイプⅠが1時間あたりのエネルギー消費量(W)が10の16乗、タイプⅡが10の26乗、タイプⅢが10の36乗であり、この世界は1970年時点で10TWhと換算し、タイプⅠを1とすると約0.7、2018年時点で18.4TWhより0.7265となる。ここでタイプⅠの定義が惑星で利用可能なすべてのエネルギーを使用および制御できることであり、具体的には核融合エネルギーの大規模応用で質量とエネルギーの等価性(E=mc^2)に基づき、毎秒約2kgの物質をエネルギーに変換することとされている。このように巨視的に捉えてみると、再生可能エネルギーの推進も勿論大切ではあるが、物理学の観点から原子力の研究開発を行うべきであるというのは、1960年代の人々でも想像し得た(100〜200年かかると想定されるものの)比較的実現可能性が高いものであり、人類文明を未だ到達したことのない領域にまで発達させる為にも至極真っ当な意見であると考えられる。このような量のエネルギー生産が可能になれば地球上ではエネルギーに困らなくなるため、貧困も無くなると考えられている。言い換えるならば、今日のこのような戦争も無くなるであろう。これこそが、私が考える人類が未来へと歩むべき方向性である。

ここでもうひとつ私が紹介したいのが、このカルダシェフスケールが持つ多種多様な修正、拡張案の一つであるアメリカの天文学者カール・セーガン(1934〜1996)が提案した「情報の量」というパロメータである。

情報の量と文明の進展 ①現代社会的側面

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まずはこの画像を見てほしい。これは執筆している現在から一ヶ月ほど前の記憶に新しい出来事で、キオクシアという元々東芝メモリであった会社の工場に不純物が混入し、6.5EB(エクサバイト)程度の損失が見込まれるという記事であるはずだ。エクサというのは10の18乗のことであり、ギガが10の9乗(10億)であるから、約65億GBの損失という事になる。つまり、我々現代人はこれ程の桁数の大きい、すなわち莫大な情報量を特に意識もせずに日々送受信しあっている訳である。ここで先述したカール・セーガンの「情報の量」の話に戻ると、彼はどんな文明でも最低10の6乗ビットを超える情報量を持っており、この宇宙では10の31乗ビットを超えることは無いと予測して前者をレベルA、後者をレベルZとして、桁数がひとつ増えるごとにアルファベットがひとつ進むようにする分類法を提唱した。ただし筆者の考えとしては、2020年に全世界で生成されたり消費されたりするデータの年間総量が59ZB(ゼタバイト)とされていて、ゼタは10の21乗でバイトはビットの8倍であることからこの量は既に10の23乗、つまりレベルRまで達しており、Zを超過するのは時間の問題だと考えている。それよりも大切なのはデータ量の脅威的な伸び率であり、1973年では10の13乗ビット(レベルH)程度であったが、50年後の来年2023年には100ZBに到達し、半世紀で約100億倍になっていると分かる。このことから情報量はその必要性とともに指数関数的に増加し続けており、現在ではテレワークなど遠隔地で対面と同等、あるいはそれ以上の質のコミュニケーションを実現しつつあり、これはトラフィックの拡張や保管データのデジタル化などの科学技術の発展の賜物であり少し前では考えられなかったものであるから、一人の天文学者が情報量を人類文明の発展にとってエネルギー量と同等に扱うのも妥当であるといえるだろう。次の段落ではこの情報量と文明の発達の相関関係をひとつ違う側面から考察する。

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年間の世界データ量(出典:https://www.seagate.com/files/www-content/our-story/trends/files/idc-seagate-dataage-whitepaper.pdf

情報の量と文明の進展 ②歴史的側面

まず第一に、先の段落では直近の半世紀の比較であったためデジタルデータの量を比較したが、情報は当然、それが誕生したのが宇宙が形成された時なのか、はたまたヒトが意識を持った時なのかは定かではないにせよ、WindowsやMacが登場する前から存在していた訳である。では、その起源の、デジタルデータ以前の情報とはなんだろうか。おそらくヒトが使い始めた最も古い情報は言語であり、それが今の情報量、いわゆるビットやバイトという単位に具体的にはユニコード(世界中の文字表現に対応できるコンピューター用の統一文字コード)を経て繋がっている。しかし、現在重宝されているデータが全て言語情報であるかと問われればそれは間違いであり、例えば画像は単なる視覚情報であるが、膨大なデータ量を消費する。こうしたデータは先の段落で触れた現代の莫大な通信トラフィック量の一翼を担いこそするが、それは文明の発展度合いの副産物であり、時代が変わるゲームチェンジャーとしての役割を担う情報の種類ではない。というのも、先述した天文学、原子力工学、情報学など学問全般はニュートンによって「巨人の方の上に乗る」と比喩されたように、先人の発見を基に更なる発見を重ねる行為であるがこれを現代人は研究と呼び、その全てが言語的生成物だからである(上野千鶴子『情報生産者になる』)。したがって、この情報量の飛躍的増大は科学技術、即ち科学研究の生成物である言語情報のみによって起こされたが、その結果科学あるいは学問的でない言語情報や非言語情報も雪崩式に巻き込んで発生したということである。

エネルギーとデータと私と社会

このように現代社会において必要不可欠なエネルギーとデータという二つの概念を文明的価値に照らし合わせて考察してきたが、この二項の共通点はいずれもその需要に伴って急速に供給が増大していく循環に終わりが見えず、どちらも当たり前の存在となってしまいつつあるが立派な戦争の火種、つまり人間の個人や団体の優劣、時には生死を決定し得る最重要事項であり、またどちらもその存在によって物理的な制約を取り払うことが出来る、つまり貧困等の問題を解決し社会を持続させる潜在能力を有するところであると筆者は考える。そして先進国の恵まれた環境で育った私の出来る最大の社会への貢献は、これらの需要に対する科学技術の発展に何らかの形で携わることであると思うし、半導体といったこの二側面の両方に寄与することが出来る分野が好きであること、その分野が諸問題をまとめて解決し得るポテンシャルを持つことが私の行動原理である。

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