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「プライドの高さ」が功を奏すパターン

謙遜で切り抜けられる期間が終わった。


「自分に自信がないんですよね」

そう言うことで、言い訳の一手を打ってきた。失敗しても責められないように。自分への保険と他人への保険だ。

偉そうなやつ、自信満々なやつは攻撃しやすい。反論の余地がたくさんあるし、攻撃に対して共感する人も多い。炎上ってだいたいそういう人の下で起きている。

逆に、謙遜している人を追撃するのは難しい。

「だって、最初から言ってたでしょ?自信ないって」

謙遜しておけば、仮に失敗したとしてもガードできる。

「まあ、自信ないって言ってたもんな」

「自信ないって言ってる割には、けっこうやるじゃん」

ハードルを下げておくことで、同じパフォーマンスでも評価を変えられる。自信のない人、弱そうな人を責めると周囲からの印象も悪い。「自信がない自分の演出」は戦略でもあった。姑息だけれど、見せ方って重要だ。

ライトノベルや漫画の主人公が、無気力だったり、一見ひ弱に見えたりするのもそう。正念場で、実力を発揮することで、ギャップを生み出す。不良が猫を可愛がるとか、ギャルが実は真面目とか、もはや古典になりつつある。けれど、人間の感覚って変わらないもので、わかっていても魅力を感じずにはいられない。

太宰治の時代から、もっといえば光源氏の時代から、ダメだってわかっているはずなのに危険な男性に惹かれる女性がいなくならないように。人の感覚は簡単には変わらないのだと思う。

ともかく、そんな人の顔色の観察を徹底したことで、人から嫌われないように自分のハードルを下げ続けて生きてきてしまった。おかげで衝突することはなかったけれど、自分の正確な実力もわからない。

卑屈さと自己肯定感とが混ざりながら、いびつに成長してしまった。


自信のなさは、noteや自分の記事にも表れている。

本業について全く語っていないのが一番わかりやすい。

広告プロジェクトを進行するという仕事についてほとんど触れていない。本当は本業について詳しく書くべきなのだと思う。自分の仕事を言語化することでの実入りは大きいはず。なのに書かないのは、自信がないからだろう。仕事を語れるほどにまだ一人前ではないと、どこかでブレーキをかけている。

でも、「自信がないです」と保険をかけて乗り切れる時期が終わった。

今関わっているプロジェクトでひしひしと感じた。自分が先頭に立って、決定していかなくてはいけない局面で謙遜は逆に働くこともある。

ついてくるメンバーを不安にさせてしまう。自分の不安は伝染してしまう。


そしてもっと掘り下げてみると、こういう人って、本当は自信がないわけじゃない

プライドが高いのだ。「自分ってダメなんですよね〜」と自分で発言することで、他人に否定されないよう先手を打っている。本気を出せないわけじゃないと言い聞かせている。本気を、才能を、センスを否定されることがコワくてしかたない。

イタい男子高校生が、やる気がないことをカッコいいと勘違いするのと同じ。余裕がある大人のかっこよさと、やる気がないだけの怠惰を履き違えているだけなのに。僕はいまだにその勘違いを続けている。

これはプラスにもマイナスにもとれる。

この勘違いがなかったら、きっと広告の仕事をしてない。そう思う。クリエイティブな人たちと自分を比べて、劣等感を感じることなく、どこか自信を持ったままここまで来れた。

それは、「自信がないです」と受け身を取ることで、相手との勝負に乗ってこなかったからだと思っている。10代、20代前半での勘違いが、今の

大学時代、僕よりもクリエイティブなセンスがある人は山ほどいた。彼らがそこを諦めて、僕がクリエイティブの端っこにしがみつけたのは、勘違いでしかない。(諦めたというのは憶測だけれど)

ここまでの文章の流れで「自信がないのってダメだよ」と結論づけないのかよ。自分でも思うけれど、安易に結論づけるのも良くない。

「プライドの高さ」が凝り固まった「自信のなさ」での防衛が、「勘違い」をさせて、レールにのせてくれることもあるのかもしれない。


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