プリンセス・クルセイド #3 【心の剣】 12

 穏やかな春の太陽が、青く澄み渡る空高くに輝いている。時刻はまだ正午前だろうか。そろそろ昼食のメニューを考えなければ。アンバーはそう考えて隣に座るミーシャを見た。彼女は何も言わずに俯いている。厩舎の地面の上に直接へたり込んでいる格好だが、アンバーはそれを咎めず、自らもその場にしゃがみ込んだ。ミーシャの腕の中には刃を折られた聖剣が抱かれている。アンバーが先程チャーミング・フィールドで斬撃波で葬ったものだ。

「ねえ……ミーシャ。お昼ごはんは何が良いと思う?」

 その剣から極力目を背けながら、アンバーはミーシャに話しかけた。次の瞬間、もっと気の利いた話をすべきだったと悔やんだ。

「……」

 予想通りミーシャは何も答えず、二人の間を気まずい沈黙が流れた。アンバーは辺りを見回し、話題になりそうな物を探した。すると、馬房の中にいるケンドールと目が合った。この馬がエリカ姫の愛馬だということを、彼女は知っているのだろうか。アンバーはそのことを話題にしようと口を開きかけた。

「私は……なりたかった……」

 だが先に話し出したのはミーシャだった。ぽつりと呟くような声はほとんど聞き取れないほどだったが、アンバーは先を促すことにした。

「……何に?」

「エリカ姫の力になりたかった……大好きだから」

「そうなんだ……」

 取りとめの無い話をするミーシャに答えながら、アンバーは自らの聖剣を見た。白い柄の剣が白い鞘に収まっている。その姿が奇妙に胸に突き刺さるのを感じ、アンバーは視線をミーシャに戻した。

「でもダメだった。私には……できなかった」

 話を続けるミーシャの顔から、光る物がこぼれ落ちた。同時に、馬房の中のケンドールが低く嘶く。

「私にできることなんてなかった……闘っても、何の意味も無かった……」

「ミーシャ、そんな……」

 いたたまれず、アンバーが膝を突いてミーシャに手を伸ばしかけた時、蹄の音と男性の声が聞こえてきた。

「そんなことはない。結果よりも、立ち上がることに意味がある時もある」

 やってきたのは、勇壮な馬を引き連れた精悍な男性だった。彼の姿を見て、ケンドールがもう一度嘶く。先程の嘶きも、彼に向けられたものだったようだ。

「長旅御苦労だったな、ケンドール。体は大丈夫か?」

 男性は馬を連れたままケンドールに近づくと、優しくそのたてがみを撫でた。ケンドールはその精悍な顔を綻ばせ、嬉しそうに嘶く。それを見て、ミーシャが驚いたように呟いた。

「……エイドリアン王子? どうしてここに?」

「先に名前を言われてしまったな。名を名乗るのは大切な礼儀だと言われているのに……父に叱られてしまう」

 そう言って男性が苦笑してみせた。その顔はアンバーにも見覚えがあった。学校の教科書に写真が載っていた顔だ。ファムファンク王家の長男、エイドリアン王子その人である。

「そうやって自分だけ出しゃばるからだ。なあ、ラリー」

「……ノーコメント」

 エイドリアンは一人では無かった。彼の後ろで、大柄でたくましい男性が小柄で肌の白い男性の肩を叩く。二人とも脇にそれぞれたくましい馬を連れていた。

「アルバート王子、ラリー王子も!」

 ミーシャが驚嘆の声を上げた。

「おう、俺達の名もウィガーリーまで轟いているのか!」

「まあ、その子はファムファンクに居たからねえ」

 名前を呼ばれて喜ぶアルバートに、ラリーが指摘するように答えた。そして今度はエイドリアンに話しかける。

「式典にはいつも来て、思いっきりエリカに手を振っていたよね。面白いからいつも話題にしてたでしょ。来るか来ないかで賭けをしてみたりさ」

「最後の方はじゃんけんだけで勝負が決まっていたな」

「まあ、ほぼ確実に来てたからねえ」

 二人の王子は昔を懐かしむように微笑み合った。アルバートは少し首を傾げたが、やがて二人に合わせるようにして豪快に笑いだした。その明るい雰囲気に、アンバーは呆気に取られていた。それはミーシャも同じで、あたかも先程までの重い空気が一気に厩舎の中から打ち払われたかのようだ。

「だが、エリカは気付いていないようだったな。あの子は本当に……」

 エイドリアンがまた口を開いた時、厩舎の中の空間の一点から光が生まれ、室内を明るく照らした。光は一瞬で消え去り、そのあとに二人のプリンセスの姿が現れる。憮然とした表情の茶髪の王女と、俯いている赤みがかった髪の姫だ。

「……自分が分かっていないんだから」

 その姿を見て、エイドリアンが呟いた。その声は安堵しているようにも、半ば呆れているようにも聞こえた。

「あら、皆さんお揃いで……随分とお暇なことですわね」

 イキシア王女が王子たちに気付いて声を掛けた。こちらは明らかに不機嫌そうだったが、彼女の腰にはしっかりと聖剣が差されている。闘いに敗れたわけではないようだ。

「お兄様方、何故……?」

 俯いた顔を上げたエリカが息を呑んだ。彼女の剣は鞘と柄とが完全に分離している。鞘の中にはおそらく折られた刃が入っているはずで、それは彼女の敗北を意味していた。

「いやあ、僕は黙ってたんだけどね」

「頑張ったみたいだな。顔を見れば分かる」

 彼女の姿を見て、ラリー王子は申し訳なさそうに顔を掻き、アルバート王子は白い歯を見せた。その二人の視線の先を、エイドリアン王子が進み出る。

「……お兄様、申し訳ございませんでした」

「エリカ、もう帰ろう。お前は十分によくやった」

 すかさず頭を下げた妹の頭の上に、エイドリアンが手を乗せた。そして優しく撫でるようにその手を左右に動かす。

「いいえ、私は自分自身を証明してみせたかった。それなのに……」

「証明なんて必要ない。お前は私の自慢の妹だから」

 エイドリアンはそう言うと一度撫でる手を止め、一度脇に退いた。エリカの視線の先に、ミーシャの姿が映る格好になる。

「ミーシャ……」

「あの、エリカ姫……私はその……姫の力になりたくて。私にもできることがあるんだって……」

「……」

 エリカ姫はゆっくりとミーシャの元に歩み寄っていった。その途中でエイドリアン王子がエリカ姫に何事か呟き、エリカ姫は小さく頷いた。そして座ったままのミーシャの前に屈みこむと、その小さな手を取る。

「ありがとう。貴女は私と同じ気持ちで闘ってくれたんですね。貴女の気持ち、とっても嬉しいです……」

「エリカ姫……」

 ミーシャの微笑みを目に焼き付けるように見つめてから、エリカ姫はイキシア王女に向き直った。

「……イキシア、私はこの闘いで見つけるべきものを見つけられたようです。貴女はいつまで闘い続けますか?」

「……この胸に愛がある限り。ですわ」

 イキシア王女は、険しい表情のまま淡々と答えた。彼女の瞳は、エリカ姫を捉えて離そうとしない。

「分かりました。では、私はこれで……」

 エリカ姫はそんな彼女に頭を下げると、決意に満ちた足取りでケンドールの馬房に近づき、愛馬を外に連れ出した。

「ごきげんよう、イキシア王女、アンバーさん。そしてミーシャ……」

 そしてエイドリアン王子と共に他の王子の前に立ってから、エリカ姫は最後にもう一度ミーシャに向き直る。

「またお会いしましょう」

「……はい!」

 ミーシャが満面の笑みで答えた。彼女とは対照的に、イキシア王女は厳しい目をしている。エリカ姫が王子たちと歩き出すと、ミーシャは後を追うようにして厩舎の入口に向かって歩き出した。それとすれ違うようにして、アンバーはイキシア王女の隣に立つ。

「……イキシア王女、どうしてそんなお顔をしているんですか?」

 アンバーはそのことを尋ねずにはいられなかった。何故、イキシア王女は勝利を喜んでいるように見えないのか。自分とどこか繋がりのあるようなその感情を、彼女は理解したかった。

「自分の不甲斐なさと情けなさ。そしてちょっぴりの郷愁ですわ」

 イキシア王女はアンバーを一瞥してから、ゆっくりと呟いた。

「あの、それって……どういう意味ですか?」

「さあ? ただ彼女といると、わたくしはどうしても熱くなってしまいますの」

 イキシア王女はそう言うと、ようやく表情を緩めた。彼女の視線の先で、ミーシャが手を振っている。馬を引いて歩いていく三人の王子と、一人のプリンセスに。何度も何度も、姿が見えなくなるまで。

#3 「心の剣」 完

次回 #4 「戸惑いと友情」




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