プリンセス・クルセイド #5 【魅惑のプリンセス】 5

 焼きたてのバタートーストの香りが鼻をくすぐる。その誘惑に半ば負けるようにして、アンバーはパンを口に運んだ。じっくり味わうように咀嚼した後、呑み込んでからため息交じりに呟く

「……心配だなあ」

「私達にはどうしようもないことだ。待っているしかないだろう」

 テーブル席の向かいに座るメノウが、彼女の呟きに答えた。

「そうそう、腹が減っては食事もできぬってね。じゃんじゃん食べていいからね」

 シンシアが注文票を片手に、隣から笑いかける。

「……貴女、闘いのことは気になりませんの?」

 メノウの隣から、イキシアがシンシアに尋ねた。

「タンザナは貴女のことで怒りを感じて、それで今闘っていますのよ」

「そりゃあ、あの人のことも気にはなりますよ、プリンセス。でも、商売とは別です。私の店を守っていかないと」

 シンシアはそう言って、指をパチンと鳴らしてみせた。

「……まだオレの店なんだけど」

「『未来の』私の店を守っていかないと」

 奥のカウンターから聞こえてきた店の主人の指摘に対応し、シンシアが発言に修正を加えた。そのやりとりを見て、アンバーは思わず笑みをこぼした。

「……変わらないな、ふたりとも」

「いつもこんな感じなのか?」

 メノウがアンバーに尋ねた。

「はい、父とふたりでよく来てたんです」

「『来てた』? そう言えばアンバー、お父さんはどうしたの?」

 シンシアが口を挟んだ。

「しばらく姿を見てないけど……」

「パパは……うん、ちょっとからだの調子が悪くてね。家で寝てるんだ」

「そうなの? アンバー、ひとりで大丈夫?」

 シンシアは心配そうに眉をひそめた。

「私は大丈夫だよ。それよりさ……」

 アンバーはシンシアに微笑んで見せると、隣のテーブル席を見やった、そこでは、他の客達があつまって水晶玉を覗いている。

「やっぱりタンザナさんのことが気になるよ。私もあれが見られないかな?」

「う~ん、今からだとかなり厳しいかな。こういうのは早い者勝ちだからね」

 シンシアの言うとおり、隣の席にはすでに空いているスペースは存在していない。

「っていうかさ、アンバー。聖剣を持ってるなら自分で見ればいいじゃない」

「えっ、自分でって?」

「なんだ、知らないのか」

 メノウはシンシアの代わりに答えると、自らの聖剣を取り出し、柄の先端を指で示した。

「魔力をこめながら、君の聖剣のここを叩いてみるといい」

「聖剣の……柄頭を?」

 アンバーは自分の聖剣を取り出し、メノウに倣った。すると、柄全体が僅かに発光し、その中から水晶が出現した。

「うわぁ……すごい」

「中を覗くと、チャーミング・フィールドで行われている闘いが見えるはずだ」

 メノウに言われるがまま水晶を覗くと、薄紫色の髪の女性が虚空に向かって剣を振るうのが見えた。

「タンザナさん!」

「凄いでしょ。お陰でウチも大繁盛だよ」

「プリンセス・クルセイドを見世物にするなんて、どうかと思いますけど」

 イキシアが不意にどよめきが起こった隣の席を見ながら呟いた。

「まあでも、面白いからいいじゃないですか。問題は水晶がちっちゃいことなんだよね。皆で見られたらいいのに」

「それなら、光の魔術を応用してみるといい。確か、物を大きく見せる魔術が――」

「……サイ?」

 メノウとシンシアの会話を遮るようにして、アンバーは思わずをに出した。

「……サイ? 一体何の話をしている?」

 訝るメノウに、アンバーは無言で水晶を差しだした。

「これは……」

 それっきり、メノウは押し黙ってしまった。おそらく彼女も見たのだろう。灰色の胴体に白い角が生えた四本足の生き物に、勇猛にまたがるタンザナの姿を。

「あらあら……まあ……」

 横から覗きこんだイキシアも、さすがに言葉を失っていた。メノウから無言のままに返された水晶をアンバーがもう一度覗き込むと、ちょうど屋敷の正門からラリアが逃げ出してくるところだった。

「な、なんなんだそれはー!」

 水晶からはフィールド内の会話も聞こえていた。ラリアは酔いが醒めていたようだが、冷静沈着とは程遠い有様だ。

「覚悟しなさい……サイだけに!」

「な、何の話だー!」

 追い掛けてくるタンザナを振り向きもせず、ラリアは必死の形相で逃げていく。だがしかし、それはあまりにも無謀な逃亡劇であった。

「ぎゃーっ!」

 無残な断末魔の声を上げ、ラリアはあっさりとサイに踏みつぶされてしまった。それと同時にフィールド内に光が広がり、水晶の映像が見えなくなった。

「……終わった……ね」

 アンバーは同意を求めるように周りを見回した。皆一様に呆然としており、隣の席でも沈黙が流れる。

「……アンバー様、ただいま戻りました」

 アンバーは不意に聞こえてきた声の方を見やった。そこにはタンザナが、気を失った様子のラリアを肩に抱えて立っていた。

「あの……僭越ながら、私もお食事をしたいのですが」

「……ああ、うん。いいですよ……」

 アンバーが頷くと、タンザナは満面の笑みを浮かべ、シンシアと入れ替わってアンバーの隣に座った。彼女が朝食のアップルパイをひとりで完食したことをアンバーが思い出したのは、それからしばらくたってからだった。

#5 【魅惑のプリンセス】 完

次回 #6 【悪意の足音】


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