見出し画像

彷徨うおっさん45 原因不明な心のもやもやの正体?(3/4) 人との距離 そのほかの消耗

 前回は「2.人に会ってもやもや」する状況と、引っかかりやすい要因、そして解決策について、おっさんの自論を述べた。
 今回はその続きとして人に会ってもやもやする状況を防ぐ具体策について、おっさん独自の対策を述べたい。
 また次の心が萎える例、「3.色々消耗してもやもや」する状況についても少々触れる。

<前回の続き>


① 職場では、親しい人間関係をあまり多く作らない
 仕事場だからといって、必要以上に打ち解ける必要はない。会社組織では自分で人間関係を選べないことの方が当たり前である。
 故に、スタンスとして最小限を心がけておかないと、予想外に振れ幅が大きくなってしまうとおっさんは考えている。
 若いうちであれば、人との繋がりも大切であるし、色々な人との友情の構築も柔軟であるが、若い時期を過ぎると弁えることも多く、キャリアも頭打ちになるので、いよいよ広すぎる交友関係が煩わしく感じるようになる。
 人間関係で会社内のポジションも決まってくるので、無理して欲をかいても良いことはない。逆に若いうちに作った良い友情があれば、それを大事にすることで、新しい関係を無理に模索するよりも、より深く人生が豊かになるように思う。

② 人に会いたくない時や、予想外に他人に出くわしそうな時はひきこもる
 例えば冬場に気持ちが鬱々としているときなどは、あえて人に会わないようにすると間違いがない。
 人に会いすぎた翌日も一人で過ごすことにしている。
 また、パーティや飲み会、ワークショップがあるイベントなども、結構余裕を持たせつつ覚悟を決めて入るようにしている。
 無理をするとろくなことにはならないので、手帳や予定表を見返して、イベントは1週間に1回程度にするなど、気を付けるようにしている。

③ 一方で仲の良い友人とは、毎日のやり取りを定型化して適度な会話を楽しむ
 LINEなどのSNSになるが、返信を期待せず、どうでもいい情報をそこそこの頻度で送るようにしている。

 また、毎日何かしら送ってくる友人も何人かいる(水着美女の情報や、映画・漫画の情報、旅先の一枚など)。

 若い頃は、なにかと送り付けるのは良くないかなと思ったが(今も多少は思っているし当然人にもよるが)、思うに向こうから送ってくるような人にとっては、一つの生存報告でもあり、大事なコミュニケーションでもあると気が付いた。

 無視や薄い反応でも良いとお互い割り切れれば、ニュースサイトの情報が毎日送られてくるのと大して変わらない感覚でもあり、現に送ってくる人や、抵抗のな誘うな人には、逆に自身も発信してみようと考えるようになった。
 noteも、ある意味ではその一つではある。


 深い話をするわけでもなく、返信も期待していない。
 
 だけどなんとなく緩くつながっている。

 近年のSNSによるこうしたコミュニケーションは、リアルのやりとりと比べ、ややもすると批判されがちであるが、実際に経験してみると、おっさんとしては、良い方法を確立できれば、会ってグダグダ会話するよりも非常に健全であると思うに至った。


 実際、本当にめんどくさくなくて好ましい。

3.色々消耗してもやもや


<どんな状況にもやもや>


 精神的消耗だけでなく、体力的、金銭的、生理的に消耗することでももやもやする。

 体力は例えば、一人旅や一人でのレジャーをした時などに生じる。
 具体的に言うと、バイクを半日走らせると、次の日は何もしたくないぐらい疲労すると同時に、もやもやする。

 若いころはスポーツに爽快感も感じられたのだが、年齢を重ねると体験の鮮烈さよりも、疲労に伴う、ネガティブ降下が目立つ。
 ネガティブ降下とは勝手に作った言葉だが、例えば草臥れたのを切欠に、不意に過去のトラウマに苛まれるなどの鬱々となる状況である。
 理不尽な目にあったことを思い出したり、ふと今抱えている課題を煩わしく感じるなど、疲れるとその状況に陥る。

 金銭的にもそうである。例えば1万円を超える高めの買い物をしたときは、ちょっともやもやしてしまう。
 ある程度貯蓄がある状態であっても、貯蓄が減るとやっぱり心は消耗してしまうようだ。何も消費せずに過ごしていても、それはそれで仕方がないのだけれど。

 生理的とは、食事や睡眠、セックスのことである。
 おっさんは平日は食事はあまり取らないようにしているのだが、食べると眠くなったり、お腹が張って動きが鈍くなる。
 そうなると色々ままならなくなる
ので、結局前述のネガティブ降下が発生する。
 逆にお腹が減りすぎてもモヤモヤする。とにかく食べてスッキリ満足する人もいるが、単純な体の健康のためにも、やはりいい塩梅が大事だ。

 睡眠はいわずもがな。セックスについても塩梅は大事だ。
 若いときは快楽が勝り、満たされないと心がもやもやする。
 逆にある程度の年齢になると、満たした後の意気消沈が大きく、これもまた煩わしい。
 理由はおそらく体力的に消耗するというのも当然あるだろうが、セックスは表面的な消耗以上に、意欲や生気そもののが抜けてしまうようにも思う。

 いわゆる三大欲求ではあるが、どれも欲求が来るときは来るし、精神にかなり直結しているように思う。きちんと管理しないといけないが塩梅が難しい所でもある。

次回に続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?