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【死ぬまで】心中すると決めた時、その後のメンタル【残り8週】

こんばんは この世です。

残り何週、計算ミスってました‼️ガハハ〜‼️
もっと早かった😄😄
正確にこの日っていうのがあるのでそこは間違えて記憶してないから許して欲しい〜‼️

というわけで今回は心中すると決めた時、その後の変化について書いていこうと思います。

死ぬ日付を決めたのはざっくりですが今から1年前でしょうか?
なんか夏がいいってなりまして、色んな理由で(プライベートな情報もあるので割愛させてもらいます)この日!って言う日を決めました。

その前から心中する相手とは一緒に死のうねって話をしていたと思います。いつから生まれた考えなのかはもう覚えてないです。

いつのまにかそれが当然という関係性になってました。
別に妻でも恋人でも幼なじみでもないけど私たちはひとつの命を分け合ってるような感覚で、スピリチュアル的なことは信じてないけど魂の一卵性双生児みたいな感じです。

その子が生きてるからこの世にとどまってるだけです。その子が死ぬなら私も死んで当然なんです。
誰かに言われた訳では無いですし、この感覚が相手にあるかも分からないけど私はこんな風に考えています。

心中する日付を決めた時、結構軽いノリで決めた気がします。例えるなら旅行に行く日を決めるくらいの感じです。お互いにとってその日都合がいいのでその日にしよー!って決めました。

気持ちは追い詰められたとかではなくてすごく穏やかでした。今ある苦痛からもここから先どんな苦しいことがあってもその日には解放されるんだ!という安心感が1番大きかったと思います。

その気持ちは今も変わりません。

来ない未来に怯えることがないので、未知な部分に恐怖するという部分を取っ払うことが出来たのは大きかったと思いました。人間本来備わっている本能である生存生殖と真逆な行為ですが。

まあそんなこんなで死ぬ日を決めてゆるゆると生きてきたのですが、決めた時は決行日があんまり近くなくてしっくり来てませんでした。

気持ちの面では心中の日を決める前より気が楽に生きていけるなぁってくらいです。

動き始めたのは残り100日を切ってからでしょうか。

私も心中のお相手の子もいわゆる無敵の人に近く、守りたいと思う親族もいないし他人に迷惑をかけたところで知ったことでは無いや。という考えの持ち主です。最低だとは思います。というか親族には迷惑行為ぐらいしてやりたいぐらいなので死んだあと面倒だったとしても知りません。もちろん見知らぬ他人を加害したいとかは無いですが。

動く内容は生前整理よりもやりたいことをやろう!の方にエネルギーが向いてきました。

今は葬儀をやるとか関係なく、最高の遺影撮影をしようという話をしています。
1番好きな服を着て、素敵なスタジオで、最高の構図の写真を撮って、自分の身目の気に食わないところは加工修正してしまおう笑
なんて考えています。結構楽しみ。

メンタル的には死への恐怖はあまりありません。

むしろ死ぬと決めないで鬱と戦ってた日々よりアクティブになれました。
私の場合はマッチングアプリを始めたことで外出頻度や人と接する機会が増えましたし(まあ体調が追いつかないですが)死ぬ前に見ておきたい!と思うものをどんどん消費できている気がします。

どうせ死ぬし!って考えはネガティブなように見えますがそんなことなくて、ならやったことないことどんどんやろう!失敗してもどうせ死ぬし!なんですよね。

履歴書に書く経歴で言ったら今が1番地獄だと思いますが、ここ数年では1番幸せです。

ただ一つだけ懸念があるのは数少ない友人やマッチングアプリで出会った人が突然知り合いの私が死んだらびっくりするかもなぁという部分かなぁ。ごめんね。こんなやつと知り合ってしまったばっかりに。その部分に加害性があるなぁとはさすがに気づいてますが、ごめんなさい。自分がいちばん大切で他人を気にする余裕が無いので目を逸らしている状態です。

書けることはこんな感じでしょうか。
まあ死へのカウントダウンも悪くないぞ~って話でした!

本当に死ねなくてもこの日々は確実に財産です。

また次の記事で。ここまで読んでいただきありがとうございました!

この世

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