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みんなはちゃんと、人生の中に仕事がある?

社会人2年目のGW、新宿・高島屋の屋上で号泣した。
友達3人と手相占いに行ったあとだった。

連休中、友達といるのにひっきりなしに鳴る社用携帯、
提出物を催促する社内からの連絡。

遠隔でわたしが対応できることなんて限られているし、
正直言って何も解決にはいたらない。

でも、無視するわけにはいかなくて
こっちの状況はまるで無視した威圧的で一方的な連絡に
「私、なんか悪いことした?」と泣いた。

社会人になってから、学生時代の友達に会う時、
仕事の話になったら必ず
「楽しいよ!大変だけど!」と答えていた。

周りは大企業に勤める友人が多く、
私の薄給とそれに見合わない労働時間、
話すほど明らかになる待遇差にみんな、私を心配した。

でも強がりではない。
本当に楽しかったのだ。

自分の「頑張ってる感」が好きだった。
部活みたいだなと思っていた。

仕事が楽しくない人と働くより
仕事が楽しい人と働けて幸せだと思っていた。

でも同じように強がりではなく、
ストレスがかかっていたことも事実で、
1年で8キロ太った。

顔ぱんぱんの私が、脈絡もなく泣き出したので、
友達はさぞ驚いただろう。

その時に言われた言葉

「ねえ、仕事の中に人生があるんじゃなくて、
人生の中に仕事があるんだよ!!!!!!!」

が仕事のポリシーのようにおもう。
こんな当たり前のことを、忘れてしまうほど
成果を出さなきゃいけないと焦っていた。

大切がゆえに、本末転倒になっていたのかもしれない。

**
当時は営業職だったので数字がついてまとった。

先輩が電話で「最近どう?」と聞いてくれると
本当は「あいみょんにハマってます、元気です」
「今日はちょっとお腹痛いです」と言いたいのに

「達成しそうです」「お客様対応が大変です」
といった営業の進捗しか答えられなくなった。

それしか聞かれていないように思っていた。

達成してないやつが、楽しそうであってはいけない。
調子がいいと言っておきながら、
後半大ゴケするわけにはいかない。

誰にもそんなことは言われていないのに、
「最近どう?」は、「How are you ?」ではなく
「(君の営業進捗は)最近どう?」だと思っていた。

それが苦しかった。

会社員である前に、私は一人の人間なのに。
○○さんの担当営業である前に、私なのに・・。

こう思う気持ちが強くなるほど、会社からは
「言いたいことは成果出してから言って?」
と言われている気がした。

成果を出し、言いたいことを大きな声で言いたかったし、
自分の考えが間違ってるとは思いたくなかった。

数字が出ていなかったので
大きな声では言えなかったけれど、

こっそり目の前の人を
「人として」を扱うことだけは徹底した。

みんなにとって
「人生の中に仕事がある」ってことを、
「みんな一人の人間である」ってことを、
一瞬も忘れたくなかった。

語弊を恐れずにおおざっぱに言うと、
全員に、友達に取るような態度をとった。

取引先の嫌味なおじさんにも
求職者のお寝坊しがちな若者にも
社内の事務のお姉さんにも
そんなに仲がよくない人にも、

同じように、
「これは友達に接する態度か?」
と思って接するようにした。

ただの友達ではない、
好きな友達に取る態度と同じか?
好きな友達にはなんて言うか?
を考えて、関わる人全員を友達に見立てた。

電話を受けたら名前を復唱するとか、
今日定時で帰れそうですか?と言うとか、
声色に気持ちをこめてお話するとか、
メールで台風気をつけてねって言うとか、

書き起こすと恥ずかしいくらい、
本当にささいなこと。

人として、当たり前すぎるこの行動を、
周りがどう受け取ったのかは、知る由もない。

それを意識するようになって、
私の営業成績はみるみる上がった、
なんてハッピーエンドでもない。
効果なんて、なかったかもしれない。

でも、私は仕事が少し楽しくなった。

みんな、見えている一面はほんの一部なんだなあ、
今はただその「役」を全うしているだけで
人間なんだよなあと思うと、愛おしく見えた。

この人は「役」でそう言っているんだなと思うと
発狂しそうな嫌味にも、
ねぎらいの気持ちさえ、生まれた。

就労時間内の関係者とのやりとりが
ただの友達との楽しい時間になって、
「たくさん友達増えたなー」と思った。

のちに、事務系の部署に異動してからはなおさらだった。

電話も、メールも、社内チャットも会議も楽しくて
「友達としゃべってたら1日終わった、仕事したっけ?」
と思うような毎日だった。

この時期の仕事が楽しかったと思える要因は、
「好きな職種ばかりさせてもらったこと」
というのはもちろんあるが、

「たくさんの友達と仕事をしていたこと」
の側面が、かなりかなり大きい。

一年目の時に、成績を気にしてできなかった
目の前の人を「一人の人間」として扱うこと。

それを堂々とのびのびと体現できていたこと。

数字との戦いからの逃げ、かもしれないが、
とても嬉しいことだった。

**
仕事の中に人生があるわけではない。
人生の中に、仕事がある。

もしかしたら、仕事が楽しくなくても
人生が楽しい可能性はある。

かと言って、人生の中の仕事の時間が
楽しくなくてもいいわけではない。

私の場合、どちらの楽しさも追い求めたい性格だ。
仕事が楽しければ自然と人生が楽しいと思うし
仕事が楽しくなければ人生楽しいと言いきれないタイプ。

そして願わくば
わたしが関わる友達には、人生が楽しくあってほしい。
人生の中にある仕事の時間も楽しくあってほしい。

関わる人の人生が楽しくありますように。
人生の中の仕事の時間も楽しくありますように。

そのためにも、
私のためにも、


仕事の時間中こそ「ひととして」を
意識する人生でありたい。

お返しの愛は無限大、一緒に幸せに貪欲になりましょうね!!