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デンマークだって、理想郷なんかじゃねえ!

医療費無料、年金は高い金額もらえて、教育費無料、それどころか大学は生活費が受給されて、そういうシステムの下支えあってか幸福度が世界1位と言われて(ランキングや年度によって異なる)、ヒュッゲという概念があって、テストが少ないのに教育レベルは高いと言われるし、生産性は高いし。

と、デンマークはまるで桃源郷のような表現をされることが多い。実際に「何があっても、何がなくても生きていける」が保障されていて安心できる国だと思う。わたしはとてもデンマークのことが大好きだし、だからここにいるわけだけれど、それは日本が嫌いだからではないし、むしろ日本のことも大好きで、生まれ育った誇りの日本に何かをするためにデンマークに出向しているような気持ちなので、「日本が嫌い!デンマークすごい!大好き!」みたいな人を見ると、激萎えする。

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日本人を魅了するデンマークのもののひとつに「フォルケホイスコーレ」という学校がある。18歳以上なら誰でも行ける全寮制の学校。テストがなくて、目的は専門スキルの取得というより、自分の人生に必要な知識の取得をすること。

高校卒業したばかりで何を勉強したいかわからないひと、大学に行ったけれどピンとこなくてくるひと、働いてみたけれどやっぱり音楽をやりたくてきているひと、社会に疲れたから一旦お休みに来ているひと、などが来ている。

語弊があるようにいうと(そんなことある?)、日本でいう”一般的なレール”から外れたひとが行くような場所。でもこの学校、デンマーク国内に70校ほどある。大学が8校しかないから、8・9倍存在しているということ。(そんなことある?)

つまり、その学校に行く人がそれだけいるということであり、そこに行くことを社会全体で受け入れている印象。「え、あの学校行くの?アセアセ」とレールから外れた認定をされることもない。

社会から外れるとなると、日本は「中間」を見つけるのが難しい。家か病院か、くらい極端な気がしている。だからこの「中間」がちゃんと社会の一部として受け入れられて存在するこの国が、わたしはすごいと思っていた。

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好きが高じてその学校のひとつで働きはじめた。わたしにとっては夢のようなことで、とてもうれしい。

だけれども、この社会の受け皿のようなここでも、受けきれないものがあることを知った。

複数校行ったことがあったので、これまでも受け入れ拒否をされたり、退学させられたりしたひとをたくさん知っている。でもそのひとたちは、薬をやっているなどの、自分の責任があるような理由で辞めていった。

けれども今回、細かくは書けないけれど、「そのひとに責任があるのだろうか」と思えるような事情で退学が決まったひとがいた。受け皿がある(とわたしが勝手に思っていた)デンマークでも、全員が社会の一員になる社会というのは、とても難しいことなのだと思い知った。

「何があっても、何がなくても生きていける」が保障されていると言ったけれど、それは「社会の中で生きていく」ことまでは、保証していないようだった。

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デンマーク人は、デンマーク社会が恵まれていることを知っている。でも誰かに対して「すごいでしょ」ということもなければ、「最高だね」と満足することもない。相対的には恵まれた環境にいるけれど、改善の余地があると知っている。だから「もっとこうあるべきだ」という話し合いをやめないし、自分たちの言動が社会に与える力を信じている。わたしたちの理想が高すぎるなんてことは、きっとない。



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