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フェミニズムって言葉をあまり使いたくない。

フェミニズムって言葉をあまり使いたくない。

「男性嫌悪や女性だけを支持するものではなく、男女両方の平等な権利を訴える運動である。」という意味があるのに、「フェミニズムって言ってる時点で、逆に男性に対しての差別じゃん」などと表面的にとらえて、あげあしをとってくるひとと、会話をしたくないからだ。定義を見てみると、「全員が平等に」を求めている運動なのに。

と出だしかなり、鋭利な喧嘩腰になってしまいました。多分、昔はフェミニズム=女性の立場を男性と同じにしよう、が始まりだったとおもう。でも今は、それ以外の色々な要素(国籍、宗教、教育の有無、出身地、職業などいろいろ)の全てにおいて「ひと、ひとりとして」の権利を平等にすることを、提唱して求めているような考え方だとおもう。デンマークにきて、そうおもわされる場面にたくさん出合っている。

1年前、たまたま友達に会いにデンマークを旅行したとき「今から国際女性デーのデモに参加するから、一緒に歩こう!」と言われた。訳もわからず、大きな声をあげながら一緒に歩いた。

今はデンマークの片田舎で過ごしている。学校の授業で「国際女性デーにちなんで、今日はこの話です!」と話題になることはもちろん、そういうイベントが近くの教会で行われている。(誰が住んでるの?みたいな田舎の教会)

ランチに20歳の子が「女性がもっと平等になるために頑張らないといけない、これまでの格差を忘れてはいけない」と憤慨し、校長先生が泣きながら「やっぱりおかしくない?」と訴えていた。

デンマークのジェンダー格差指数は世界23位。それでも、まだまだ格差はあると感じているようだ。特に、給料が男女ってだけで違うんだって。女性が給料を求め続けるなら、首相が女性(2人目)ってこととか、単なる北欧のイメージだけで語ると「それでもすごい」んだけれど、そこで満足しないのが彼ら。

日本のジェンダー格差指数は、過去最低の125位/146カ国中。参考程度に韓国105位、中国107位である。日本の政治家の女性比率は1割にもなっていないらしい。

デンマーク人に「日本で有名なフェミニズム活動家はいるの?」と聞かれて、パッと出てこなかった。数分後、「あ、上野千鶴子さんくらいかな〜」と思い出した。このことも、日本の「遅れ」を表していることにもおもえた。考える機会をあまり設けてこなかったわたしのことを、少し恥じた。

案外、そういう男女の格差を埋めるための活動は、昔の方が盛んだったのではないか。津田梅子とか、女性初の○○とか、男女共同参画基本法を設立したときとか。ゼロイチだったの方がよっぽど、声高らかにいう人が多かったのではないか、と感じる。

じゃあ現代に、全く差がないかって言ったらそんなことはない。

女性からしたら「最悪」ではないから「我慢している」場面がすごくたくさんある。と偉そうに語るわたしも、ここ1週間でデンマーク人に触れるなかで気づかされた。

今は確かに、昔に比べたらありがたい環境だし、感謝すべきことがたくさなる。昔の人がいてくれたおかげで、誰かが頑張ってくれたおかげで、わたしたちの今がある。

実際わたしは、津田梅子とかと同じ時代のひとが創設した女子校に通っていた。創設の歴史などを知って、そういう「男性だけのものだった教育」を受けられているみたいなことにも、感動せざるをえなかった。国から選ばれたひと(男性)しかできなかった「留学」までしてしまって、よい時代になったのは、たしか。

昔はその「最悪」を抜け出すことがある種「評価」されていたけれど、今は「最悪」ではない。だからこそ、日本は現状に我慢している状態が続いて(むしろ、こんなにやってあげているんだからくらいな感じで)いるのかなと感じた(主観)

くり返しになるが、進化していないわけではない。日本もデンマークもティーンたちは特に、男女共に「平等」を支持して当たり前。時代が変わっていることを感じる。

でも、国会議員の45%が女性で、男性育休取得が70%(平均30日超)のこのデンマークでさえ「まだ、足りない」と言っている。おかしくない?どのフェミニストが好き?と20そこらの男女が、会話をしている。

(こういうことが、北欧特有の「高い幸福度」につながっているのでは?と思っているという話は、長くなるのでまた今度)

なんか、わたし、結構あきらめちゃってたのかもな、と気づく。今の状況に慣れて、順応しすぎちゃってるのかもな、と。受け入れることは、格差を許すこと。誰かの人格を、無意識に下げた状況においやること。

もちろん日本にも、そうじゃない場所があることも知っているけれどその上で。

なんで女性だけ時短になって、なんで育休明けの女性だけ役職落ちて、議員は男性ばっかりで、女性だけ家事育児をやって。なぜ男性は女性に奢らなきゃいけないの?って話、女→男へのセクハラが見逃されがちな件、同性カップルの場合育休は取れるの?って話とか。夫婦別姓の話もそう。やっぱり、デンマークよりわかりやすい「差」がたくさん落ちている。埋めたい格差はたくさんある。

今の状況を、よくもわるくも「当たり前」にしてしまいたくない。そのためにわたしたちは、やっぱり「考える」ことをやめてはいけない。

参考)


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