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頑張ってなくはないけど、成長してる気はしない。

毎日、がんばってないわけじゃない。

だけれども、わたしは成長しているのだろうか。
これをやり続けた先に、なにがあるのだろうか。
将来の理想に、近づいているのだろうか。

それなりに忙しく過ごしているし、疲れちゃうくらいには頑張っているし、でもふと月末を迎えたり、年度末を迎えたりすると「何か変わったのだろうか」「このままでいいのか。。」と落胆しそうになる。

デンマークに来て、半年経った。この生活が残り半年だとおもうと「やばいんだけど?!?!」と誰かに助けを求めたくなる。

デンマークに来たというだけで「行動力すごいね!」と言ってもらえることがあるが、「いや。でも来ても何もしてないから」とスナオに受け取ることができなかった。

もちろん自分でも「何もしていないわけではない」とわかっている。実際にデンマークに来て新しい友達を作って、毎日noteを書いて、デンマーク語に苦戦をして、”””何か”””はしている。

でもわたしは、何もしていない!!といい張る。なぜか。

休日の夜10時に「ああ今日も何もしなかった」って絶望するみたいに、何もしてないわけじゃないんだけど、何もしていないような状態。わかりますよね(圧)

わたしにとって「何かする」というのは、「夢に近づくための行動を起こしていたい」ということみたいだ。「人生でやたらめったらイベントを起こしたい」という意味ではないのだと思う。

もちろん、いろいろな経験をする人生にしたいけれど、滝修行に行ってみたり、バンジーを経験したりするだけではわたしは「行動した」とは、言えないのだと思う。

もっというと、ただ夢に向かって行動するだけじゃなくて「成果」が出ていてほしい。ぬは、理想が高いねえ。

だから成果がわからないと「何もしてない!何かしなきゃ!」と焦る。数字に見える「成果」がほしい。わたしにとって「行動」とは「夢に向かった努力をして、成果を出していること」みたいだ。ちなみに成果とはわかりやすく「お金」とか可視的なもの。

そりゃ、いまはまだ成果が出ていなくて当然だわ!

そう思ったら「行動しなきゃ」とあせる気持ちはどこかへ消えて行った。

夢が叶ったときにはじめて「わたしは行動しました」と自分で思うことができる。その手前だって、それぞれ「行動」と呼べることはわかっている。それらに対して「やったー!」と思えたら、ハッピーなのかもしれない。

でもわたしは、そうは思えない。

そう思ってしまうことは、悲しいことではない。ただ、「行動」という言葉に行動だけじゃなくて、成果も含んでしまっているだけ。それは、自分に厳しいと言われるのかもしれない。「自己肯定感至上主義」みたいな現代に合わないのかもしれないけれど、別にわたしは自己肯定感が低いとは思ってない。

それで「成果が出ていないわたしダメだ」って思っちゃったらきついけれど、「わたしはそこで満足できないタイプなのか」と思っているのなら、なんの問題もないのではないか。

いいじゃない。行き先に近づいているかもわからないのに、行動してるだけで、「行動できてる!」って満足しちゃうよりいいじゃない。きっと、理想が高いのね。


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得意分野は、デンマーク・ワーホリ・フォルケホイスコーレ・ひとのつよみあたりです。

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