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ちょいと剣道のことを

仕事が終わって帰宅し、
すぐに着替えて公園ラン。
もう疲れまくって目の下にクマができている状態なのに走りに行く。
なんで、こんな思いをしてまで走るのか。
来月、剣道の試合があるからです。
4年ぶりの公式試合。
何とか勝ちたい。
もうそろそろ若い頃のようには動けなくなってきたのは
事実ですが、剣道は理合です。
心の勝負です。
60代と20代で稽古していても
20代が参りました、と
負けを認めることもあります。

父が自分を町道場に連れていったのが
小学4年。
ほぼ強制でした・・・。
そこから大学4年まで
ひたすら剣道部でした。
稽古事は頑張れば頑張った分、身になって
帰ってきます。
何とか試合でも勝てるようになってくると
稽古は厳しくても楽しいものだと思えてきました。
自分が通っていた町道場の先生は、
国士館大学を卒業した教士7段の
大先生でした。
小学生にも容赦ない片手面を打ってきて、
目から火花出そうなくらい痛かったです。
頑張って試合で優勝すると、そこの町道場を
経営していたママさんが、宴会を開いてくれるのです。
あれが楽しかったなあ。

中学、高校ではキャプテンを
任せられました。
高校3年の頃、剣道本来の楽しさを見失い、
人間関係に疲れ果て「もう剣道辞める」と
父に言ったら、ポロポロと涙を流しながら
「俺のせいで剣道が嫌いになったのなら
 おれはいつでも剣道やめるから」と言われました。
父は剣道の縁で警察官になり、特錬に所属。
ひたすら稽古を重ね、県代表として
全日本剣道選手権大会ベスト16まで
のぼりつめました。
剣道をやめられるわけないのです。
仕事だから。
父にそこまで言わせてしまったか、と
申し訳なく思い
何とか踏みとどまることができました。

就職を機に東京へ来てからは剣道から遠のきます。

今の仕事に就いてからは借家で約2年過ごし、長女が生まれ、長男を宿したころに
都営住宅の抽選に当たり、引っ越した先でのこと。
玄関前の共用廊下で、背伸びをしていたら目の前の小学校の体育館からなにやら聞き覚えのある音が。
剣道の気合の声と打ち合う竹刀の音でした。
仕事と家の往復だけの日々に嫌気がさしていた頃で何か趣味でもないかな、と思っていた頃でした。
お、燃えるもの発見、と実家に連絡し、剣道着と剣道具、竹刀を郵送してくれと頼みました。

届いた剣道具を見てみると、キレイに手入れが施されており、胴もピカピカに磨き上げていました。
父が全部やってくれたそうです。

早速、ネットで調べて室長に連絡し、
稽古に参加。
私、調子に乗っておりました。
約13年ぶりの剣道はこんなにも動けないかと。
20代の頃はフットサルにドはまりしていたので、足腰には自信があったのですが、稽古して数分で息が上がり、チアノーゼを起こしそうでした。

ブランクはありましたが、今は学生の頃と違う目線で剣道に向き合えています。
復活剣道やったおかげで色んな人と知り合いになれました。
飲み会も増えて、交流も増えました。
子供たちとも話すし、
若い女性とも話す機会が増え、
気持ちが若くなったでしょうか

この年で燃えるものが見つかって良かった

そう、思っています。

そうなるとかつてのプライドがのそりのそりと盛り上がってくるのです。
負けたくないのです。
だから、土砂降りの日でも、炎天下でも、
走りに行きます。













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