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【1999年7月、地球が滅亡すると思っていました】

1979年2月生まれの私は
かの有名なノストラダムスの大予言を
心の底から信じていました
まだまだ小学生には娯楽の少ない昭和最後の時代
テレビは年に数回もの「ノストラダムス特集」やら「地球滅亡の日」やらを組んでは
純粋な子供の心を不安でいっぱいにしたのです

小学生なので意味も理屈もわかりませんでしたが
「1999年7月に地球は滅亡する」という言葉だけが私の心の中でサブリミナル効果のように
少しずつ根を張り蠢いていきました
怖くて怖くて仕方がありませんでした

それは中学生になっても続きました
サンタクロースと同じように
ませた同級生が「そんなの嘘だよ」といっても
気休めにもならないどころか
嫌なことが多かった私の中学時代には
むしろこの予言が心の支えとなる時もありました

「20歳まで頑張れば地球がなくなる」

学校と家庭しか居場所がなかった中学生には
相対的に自分を俯瞰する事も出来ず
勝手に逃げ場が無いと思い込み
辛い時期として仕上げていました

そんな中、唯一の希望となったのが
「1999年に地球がなくなる」というあの予言です
逆説的でまさに厨二病のような状態でした

「ちょうど20歳で死ぬ」

なんとなく、それがカッコ良いとも思ってました

高校生になりました
環境が変わり
少しずつ自我も出てきました
生きるという事に楽しさが加わってきました
しかし、ここでもあの「ノストラダムスの予言」は時に顔を覗かせ、私に囁きます
「どうせあと数年で亡くなるんだから」
私は将来を想像する事ができませんでした
自分が何者かになるより
地球がどのような形でなくなるのかで
頭がいっぱいでした

「赤信号みんなで渡れば怖くない」
みんなで一緒に亡くなるんだから
怖いことなど全くないと思ってました

生きることもイマイチわかっていませんから
死ぬことなんて正しく捉えられませんでした

将来どうなりたいかを考えるより
今やりたいことを思い切りやるしかない
このようなマインドで過ごしていました

大学生になると急に「あと2年しかない!」
と命の短さに気づきました
「学ぶ」ことを放棄し
「遊ぶ」ことにシフトしました
後悔しないようにやりたい事をする!
おかげさまで大学1回生で取れた単位は
8単位でした

そしていよいよ1999年がやってきました

大学も2回生になり7月に向かう中で
今度は何もやる気が起きなくなりました
大学生ができる全てなんてたかが知れていました
世界遺産を観に行く事も
オーロラを見に行く事も
選択肢にすら入っていませんでした

そして「どうせもうすぐ滅亡するんだから、もう何もしたくない」と思うようになりました

とうとう親に
「大学を辞めたい」と言いました

「馬鹿じゃないの?」

冷静な母の一言で
大学中退という最後の夢は叶いませんでした
この時の私は本当に大学なんかに行ってる場合じゃないと思っていました


1999年の7月になりました

何も起こりませんでした

1999年の8月になりました

何も起こりませんでした

想像してなかったミレニアムがやってきました

突然に未来が与えられました
それは希望より絶望とは大袈裟ですが
安堵より困惑でした

将来を考えなくてはならなくなりました
まず、大学を卒業しなくてはなりません

さぼった2年分の大学の講義がありすぎました
会社説明会や就職活動などに時間は割けず
さらに世の中の就職事情は氷河期な上
試験の結果はほぼ教授の同情評価のみでした

早々に就職を諦めた私は
クラリネットで生きて行く事を決めました
今思うと積極的選択ではなく
完全にそれしかありませんでした

こうして私はクラリネット吹きになりました
そして、水商売の世界に入り
銀座のクラブでママになるという
数奇な人生となりました
振り返ると「ノストラダムスの大予言」が
良くも悪くもこんなにも大きく影響していました


テレビの情報が世界の全てだった時代の話です


そんな私から最後にひとつだけ言わせてください




ノストラダムスって誰やねん!!!!!



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