見出し画像

高校時代ゴルフ部だった話

今から25年前の話である
晴れて都内の大学付属高校に合格した私は
周りの級友がどの部活に入ろうかなど
心踊らせて相談しあったり
見学したり説明会を聞いたりしている中
迷わずゴルフ部に入部した

私は当時15校ほどしかなかった
ゴルフ部のある都内の学校を選択して
受験したと言っても過言ではない

25年前というと
バブルなぞとうの昔に弾けていて
石川遼くんや宮里藍ちゃんといった
スターもおらず
ゴルフ暗黒時代であり
我が校ではハンドボール部と並ぶ
謎部活だった
そのくらい若者にとったら
マイナースポーツだったのだ

しかも私が通ったその高校は
私の入学時に男子校から共学となった学校で
共学一期生の私たちは
400人中100人しか女子がおらず
上級生は800人男子であった
1100対100の男女比だ
なので「女子」と名のつく部活は
全て初めての学年ということであり
上級生も下級生もない

学生でゴルフ部なんて選択してくるのは
ジュニアからやっている生徒や
プロゴルファーを目指している生徒など
ほぼ経験者の中
私は未経験で入部した

理由はひとつ
父親の職業がプロゴルファーだったからだ
未だに
「うちの父親プロゴルファーなんだよね」
「えー!うちもー!」
なんて会話が成り立ったことはない

ゴルフをしたことはなかったが
ゴルフが身近な環境ではあったのは間違いない
高校合格のお祝いにと入学する前に
父親の選び抜いた渾身のゴルフセット一式が
自宅に届いた時
私はゴルフ部に入部する覚悟を持った

いざ入部すると
想像を絶する地獄部だった

「女子ゴルフ部」は私を含め4人だけで
部活動は男子ゴルフ部と合同になる
授業のチャイムも鳴らせないような
都内の住宅街に佇む学校で
ゴルフの練習なんてできる場所などなく
屋上にネットが張ってあり
その2ヤードの鳥かごの中で
先輩たちが打ちっ放しする程度のものだ

毎日の部活のメニューはほぼ筋トレ
新宿までのランニング往復14キロ
学校周囲400メートルダッシュ
これは決められた時間内に走りきれないと
もう1周!!なので
どんどんキツくなるあのシステムだ

ゴルフ部の練習を横目に見ていた
ラグビー部の面々に
「うわー、ゴルフ部かわいそう」
と同情されるレベルだった

週に1度、水曜日には近所のゴルフ練習場を借り
クラブを握ってボールを打てた
今でも当時のゴルフ部の先輩と
語り合うぐらい地獄の練習だった

夏合宿では一般のゴルフ場に泊まり込み
一般客の回る前にラウンドするため
起床時間は2時で集合時間は3時だった

あああ、ここまでツラツラ書いていて
辛い思い出しか出てこない
大人の優雅なゴルフなどとは程遠く
(学生ゴルフはキャディーもいないし
時間内に回らないと失格になる)
学生ゴルフの辛さしか知らなかった私は
ゴルフの楽しさを知る前に
ゴルフをめちゃくちゃ嫌いになってしまった

その後、銀座でホステスになっても
ゴルフはずっと封印していたが
「高校の時、ゴルフ部でした」と
口を滑らしたが最後
引っ張りだこで無理やりゴルフに連れ出された
当時、上手い下手は関係なく
ゴルフ道具を持ち
ルールを知っていたら御の字だ!ぐらい
ゴルフをやるホステスがいなかったのだ

おかげさまでママにもなれたので
若い時代のこの苦い経験も
のちに生きることになったわけだ
「何事も人生無駄な事はひとつもない」
という哲学を
体現できたのはとても良かった

余談だが
30歳頃にお世話になった
とある銀座のクラブで
お客様と一緒に
あの岡本綾子プロが来店されたことがあった
女子プロゴルフ界のレジェンドである
私は岡本プロの横につかせてもらい
緊張しながら
岡本プロのペースの速い
ウィスキーロックにお酒を注ぎながら
現役時代のマル秘話を聞かせて頂いていた

しばらくしてそのお店のオーナーママが
お客様のお席に挨拶にくると
いきなり岡本プロに向かって
「フィリピンの方?」と言ったのだ
ゴルフを知らないママは
岡本綾子プロを知らなかったのだ
確かに日に焼けた肌
金髪に近い茶髪
なまりの強い広島弁。。。。。。。。

まだスキルのない5流ホステスだった私は
なんのフォローもできずに瞬間冷凍された
その時、凍った空気を壊したのは
岡本プロの豪快な笑い声だった
さすが、頂点を極めた人は器が違う

今は子供にも人気スポーツとなったゴルフ
ウェアもオシャレで選手も綺麗で羨ましい

何の話だ???

なんにせよ
父には感謝している
今はティーチングプロとして
スクールをしています↓











この記事が参加している募集

いただいたサポートは毎月の書籍代に使わせていただいています!(たまにコーヒー)本当にありがとうございます!