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まえがきが最高にわくわく/ポール・オースター編『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』


こんにちは!
此島このもです。

今日は私の愛する『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』について書きます。

これは1999年に作家のポール・オースターがラジオで一般の人々から募集した物語をまとめた本です。

私はこの本が猛烈に好きなんです。それは「私としてはこんなことをするつもりはなかった」からはじまる編者まえがきを読んだだけでもう、ものすごくわくわくするくらいに!

この本を好きな理由はいくつかあって、そのうちの一つはオースターが物語を募集した年が1999年であることが重要になっています。

その年に何かがあった、というわけではありません。
単に私は市井の人々の生活に興味を持っているだけです。

1999年の有名人でも権力者でもない一般人が、珍しい出来事やどうしても他人に伝えたいことに直面したときにどうしたらよかったのかを考えると、オースターのこの試みがすごく重要なものに思えてくるのです。

現代では、世の中に発信するハードルは当時と比べてかなり下がっています。スマホやPCを立ち上げてSNSや個人ブログに書き込んだり動画にすればいいのですから。

当時はスマホも個人ブログも存在はしていたようですが一般的ではなく、Twitterや Instagram、YouTubeなどは始まってもいません。

私自身ももしかすると携帯電話やインターネットの存在すら知らなかったかもしれません。当時は田舎の子供だったので。

オースターがラジオで物語を募集したことは、他人に伝えたいことを持つ一般の人の受け皿になったようです。

ラジオには一年で四千を超える物語が集まり、オースターはたくさんの投稿者にお礼を伝えられたそうです。「庶民の声をみんなに聞いてもらう」機会を作ってくれてありがとう、と。

私は、有名人でも権力者でもない、一般の人の声(感じていることや伝えたいこと)にすごく価値を感じるんです。だって社会を構成しているのは一般人ひとりひとりですから。

当事者でない人がその人たちの声を想像することは簡単です。でも当事者でなければわからない気持ちがあります。私はそれを知りたい。

この本は私にとって、生きた時代も土地も異なる人の苦悩や喜びを知ることのできる大変興味深い本なんです。


本には180もの話がおさめられています。その中で私が特に感想を書きたいと思った話を取り上げて書くことにします。


編者まえがき

未だかつて、私はこんなにわくわくさせられるまえがきを読んだことがありません。だから最初にオースターのまえがきを紹介します。

まえがきは「私としてはこんなことをするつもりはなかった」という一文から始まります。オースターはラジオ局に依頼を受けた時点では一般の人々から物語を募集することを考えていなかった。物語募集は妻のアイディアだったそうです。

人々が応募した物語を発表する、と番組の形を決めたオースターはリスナーに呼びかけました。

物語は事実でなければならず、短くないといけませんが、内容やスタイルに関しては何ら制限はありません。(中略)とにかく紙に書きつけたいという気になるほど大切に思えた体験なら何でもいいのです。(中略)みなさんに協力していただいて、事実のアーカイブを、アメリカの現実の博物館を作れたらと思っているのです。

10〜11頁

わくわくしますね。1999年のアメリカの人たちが紙に書きつけたいと思うほど大切な物語とはどのようなものなのか。それは現代の日本でnoteやTwitterで何万もの人からスキやいいねを集める物語たちと同じようなものなのか、それとも全く違うのか……。本編を読みたい気持ちが膨らみます。


物語募集を発表した後、リスナーからは四千を超える投稿が集まったそうです。オースターは投稿が多かった時期の物語を読む作業を「リビングルームには何人もの見知らぬ隣人がキャンプを張り、ありとあらゆる方向から無数の声が私めがけて飛んできた」「アメリカの全人口がわが家に上がり込んできた気分」と表現しています。そんなときは「コテンパンに叩きのめされたような、精力もとことん吸い取られた気分」になったそうです。このキャンプのあたりの表現が好きです。

編者はただ文字を追うのではなく、その文章が表現するものを読み取り、世界観に身をひたす必要があるわけです。調子や雰囲気がバラバラの物語を何通も読むので頭が混乱するのは当然だと思います。その混乱を見知らぬ隣人のキャンプに例えているのですね。

私がここから読み取ったことは、①投稿の内容は秩序だっていないこと②けれどもそれはまぎれもなくアメリカの今(当時)を生きる人々の声であること、です。私はこれを読んで大いに期待しました。


オースターによると、いわゆる文章術に欠ける投稿が多くとも、「ほとんどすべての物語に忘れがたい力がみなぎっている」そうです。これらの投稿は文学とは違う何かであり、「もっと生な、もっと骨に近いところにある何か」なのだそうです。

これもわくわくする表現ですね。文章術などでコーティングしていない、個人個人が毎日を生き抜く戦いの中で生まれた声たち。技巧を抜きにしてとにかく語りたい伝えたい、人間のそんな欲求に満ちた物語たちがこの本には詰まっているのです。

とにかく語りたい伝えたい魂の叫びとも呼べそうな物語に私が惹かれるのは、私自身にもそのような物語があったからかもしれません。

上司に圧力をかけられながら働いた日々、そして自らに病が見つかり死の恐怖と向き合ったとき、抱えているものをどこかに吐き出したくてたまらなかったです。あの追い詰められた日々は、まるで棺桶に仰向けになり小窓の何も見えない暗闇をじっとり見つめるような息苦しいものでした。

もし現代の日本で同じ試みを行ったら、ブラック企業で苦しむ人の投稿が多くなるかもしれませんね。そして度重なる災害やコロナのこと。

1999年のアメリカで投稿された物語は、年配の人が若いころを振り返った大恐慌や第二次大戦の思い出、そして二十世紀なかばに生まれた人の投稿するベトナム戦争の話がありました。人種差別や、エイズ、アルコール依存症、ドラッグ中毒、銃に触れた話もあったそうです。

物語の一つひとつが、アメリカという国がどんな国なのかを表現するパズルのピースになったのですね。例えば日本で同じ試みを行なってもベトナム戦争や銃の話はほとんど無いと思います。もしかするとその代わりにバブル時代の話なんかがあるかもしれません。

それはオースターが意図して行ったことではなく、人々の心に食い込んだ物語はその国の歴史と不可分なものであるということですね。人々の生活の積み重ねが国を形作り、結果として歴史になるのです。だから人々の生活からにじみ出た物語は自然と国や歴史をあらわすものになるのでしょう。


結局私はこのまえがきについて「わくわくする!」としか言っていないのですが、そんなふうに一般の人から募集した物語が国を形作るとわかったときの感想も「わくわくする!」です。

まえがきを読むあいだもずっと胸を高鳴らせまくっています。自分でも気づかないうちに期待のあまり昇天して先を読みたい執念で生き返っていたとしても驚きません(すいません言い過ぎました驚きますしそれを日本版ナショナルストーリープロジェクトに投稿しなくてはと思います)。


というわけで、これからオースターの聞いたアメリカが語る物語たちを何回かにわけて紹介していきますのでよろしくお願いします🕺



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