しらふで生きるのがはじめてつらいと思った|2020年01月21日の日記
ホテルのテレビは、8つのうち2つがアダルトビデオのチャンネルで、冷蔵庫には「出張お疲れさまプラン」のビールが入っていた。アダルトビデオに、飲めないビール。すこしもわたしのためじゃない部屋に、わたしだけのぬいぐるみを置く。
きのう出張の準備をしながら、出張が急に嫌になって、涙が止まらなくなった時、スーツケースに入れた犬のぬいぐるみ。
わたしは、わたしと付き合って27年なので、元気が出ない時にどうしたらいいのかすこしだけ知っている。(できるだけわたしのままでいられるようにするといいのだ)
東京でのいつもの仕事を終えて、会社を出る。
スーツケースを何度も足にぶつけながら、忘れものをしないように乗り遅れないように、選択肢の多い時間を何も間違えないようにこなして、東京駅を走った。
やっと新幹線のシートに寄りかかった時、体にかかる重力が心地よかった。
しばらくは何も選ばずに、身体を預けていい。
暗い窓にうつる、スーツを着た女の人。「出張に行くOLのコスプレ」をしている人みたいだなと思う。わたしは、本物の出張に行くOLなのに。
いくつめかの駅で降りる。
知らない街に降り立つと、光が目の奥まで入って、呼吸が肺の奥まで届く感じがする。
きっと知らない場所にきたから、どんな場所なのか確かめようとして、目も肺もがんばっているんだね。体はいつもけなげだ。
街灯のない道をスーツケースを引きずって歩く。やっとついた405号室は、迫るように壁が立つ小さな部屋。
テレビを見たり、冷蔵庫にあるビールを飲んだりするのが、出張で泊まる人の正解なんだろう。
それができないなら、明日のための準備をするほかないように思えて、勝手に逃げ場のない気持ちになる。
明日は早起きして、8時から18時まで10時間、トイレに行く時以外ずっと誰かといっしょで気を遣わなければいけないんだ。考えただけで気が重い。逃げたい。時間と空間が迫ってくる。逃げたい。お酒が飲めたらいいのに。酔っ払ってしまえたらいいのに。
しらふで生きるしかないわたしは、仕方なくコートを羽織って、犬のぬいぐるみをポッケに入れて外に出る。さっきホテルにくるまでのGoogle mapで見たんだ、近くに川があるって。
外は誰もいない22時、横断歩道を渡って、イヤホンからスピッツが流れて、夜の川辺に着いた時に思った。なんでこんな中学生みたいなことしてるんだろう。
夜の川は真っ黒で、ひとつの生きものみたいで、このまま真っ黒な塊がわたしの足首をつかんで攫っていっても、誰も気づかない。誰にも気づいてもらえないままいなくなるのがこわくて、結局すぐに引き返した。
なんで、なんでこんなに子どもみたいなのに、一丁前に出張になんかきてるんだろう。信じられない。明日わたしはがんばれるのかな。そのまえに、こうやって自分の機嫌をなんとかとって、明日までつないであげなきゃいけないんだ。自分のことが面倒で投げ出したくなる。川に攫われるのはこわいくせに。
普段ならこんな時は、わたしのことが好きな男の人と一緒にいた。どんな種類の好きでもかまわない。一緒にいる間は、わたしはわたしのことなんて考えなくてよくて、相手の目に映るわたしを見ていればよかった。見るだけで時が過ぎるんだ。必要な時間まで一緒にいてもらえばいい。
もしもお酒を飲み、酔っぱらうことが、「自分はこうじゃなきゃいけない」から一定時間解放されることなら、飲めて酔える身体がめちゃくちゃうらやましい。
何でも大げさに受け取って身構える心と身体に「まあそこまで生真面目に受けなくてもいいよ」って信号を出してくれるなら。見たくないものまで見てしまう目のピントを、すこしの間だけ雰囲気のいいようにぼかしてくれるなら。
恋人は、電話に出てくれなかった。
ユニットバスにお湯をためて、肩まであったまって、身体をふいたら、白いシーツとシーツのあいだにはさまる。
今晩わたしが眠るホテルの場所を、誰も知らない。
明日は誰にも等しく保証のない未来だ。
(だから本当は、どんな時もその人がその人らしくいられる生活をしているのがいいんだ、でもそうできない時もあって、そんななかでも自分を保とうとして苦しいんだね)