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私の好きな人はみんな大切な人

※軽く命に触れた内容です、大丈夫な方は読み進めてください!

昔から、あまり誰かに熱を上げることが少ない。
その代わりと言ってはなんだが、1度好きになった人への熱も冷めにくい。
熱しにくく冷めにくいという分類である。

それは恋人然り、芸能人然りであるが、
最近は歳のせいか、それ故に好きになった芸能人の命まですら心配してしまう。
「え、命まで?」と思う人もいるだろうが(或いは共感してくれる人はいるだろうか?)
いつかやってくる、その人の居なくなる世界が怖い。

こんなにも好きなのに、いつかは命尽きてしまうのかと。

昔から芸能人の訃報を見ると、そこまで注目していなかった人ですら心がザワザワした。
その夜その人の特集なんかを見ると「嗚呼あの人が…」なんて思い、その空気感に影響されてかズルズルと心を引きずったりもする程だった。
リアルタイムで好きな人たちが居なくなった時、私は耐えられるのだろうか。


好きな人たちの殆どが、私よりひと回り年上なのもあるかもしれない。
順番的に、私はどうしても置いていかれる側である。

そういうわけで私は最近、
軽はずみに芸能人を好きになれないでいる。

多分、自分の命のことだけで一生懸命だった一時期から離脱して、周りのことを考える余裕が出来たのも原因かもしれない。

これはもう、重いとか軽いとかそういう問題では無いのだ。
私が好きな人は、私にとってみんな大切な人。
それが会話できる相手だろうと見守るだけの人だろうと、人である限り代わりがないのである!

例えばオードリーなんかは私が中学3年生の頃から好きなので、かれこれ10年程のファン歴がある。
向こうから考えれば知ったこっちゃ無いのだろうが、こんなに長い間追いかけていると、
「ネタが面白い」以外の情が溢れてくるのは当たり前なのだ。

春日さん、彼女いるな?とか若林氏の交際発覚の時も感情が揺さぶられたし、
結婚、お子さん誕生まで見守ってきている感覚、まさに心情は親戚である。
ラジオというリアルな会話を通して人生の岐路に直面するのを見て、非常に動揺した。(この話もいつか詳しくしたい)

「あー、あんなに若かったのに立派になって」
お煎餅とか食べながら、テレビに向かって呟いてしまいそうな気分だ。


私は最近、テレビの中で好きになりそうな人が現れると気持ちを抑制し、あんまり見過ぎないように心掛けている。
好きな人が増えれば増えるほど、
私の心労は尽きなくなってしまうからである。


しかしまあ芸能人なら一方的にバランスを取る方法は幾らでもあるのだが、身近な存在になるとそういう訳にはいかなくて、
健康を意識する余りついつい口うるさくなってしまったり、過度に心配してしまったり、夜中にふと遠い未来のことを考えて、勝手に悲しくなってしまったりする。
心配ごとがあると、良い情報を拾い集めて安心するまで寝れなかったりする。

なんだかこれが、人の為なのか自分の為なのかもよく分からなくなっている。
それでも私は今日も、好きな人たちを好きなままである…。


素敵な人たちよ、みんな私より長生きしてください。
私も長生きしたいので、120くらいまで生きてください。
それが今の私の望みです。


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