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『普通』を着脱したい


幼少期、私は大変に尖っていた。
特に小学生の頃なんて、人生で最大に尖っていたと思う。

人と違うことをするのが大好きで、
家庭科で作るナップサックのデザインをクラスで誰も選ばないペンギン柄を選んだりした。
その頃の女子はお揃いに魅力を感じる筈のお年頃で、
唯一無二を好む者など他に1人もいなかった。

小学4年生の時だったろうか。
クラスで音楽会をやる時、男子はカエルの王子様役、女子はお姫様役と分かれていた。
私はその時クラスで1人だけ「カエル役をやりたい」と言って、男子に混じって歌った。

卒業式。
みんなが可愛いワンピースやスーツを着ている中、私はクラスで1人袴を着て参加した。
真似されたくなくて、当日まで内緒にしていたような気さえする。

変な奴だった。
あの頃の私は常識や決まり事を破りたくて仕方なくて、その上目立ちたがりだった。
みんながそんな私を許容してくれて、クラスに馴染めていたのは奇跡である。
しかし、何故あの頃の私は莫大な承認欲求を抱えていたのか。
それもこれも、今となっては全部黒歴史だ。


私は変わったのだ。
皆と同じレールを歩むと決めたのだ。
(ドラマでいうと、空に飛行機が飛んでいるシーン転換のところ)


就職を機に引っ越して、心機一転。
数々の黒歴史を抱えながら、誰も私を知らない地へ降り立った。

一人暮らしでまあまあ自立して、
社会人になって服装も大人しくなって、
私とは生きる世界の違うキラキラした同期に馴染めるように、
あまり好きじゃない飲み会に参加したりもした。(今はご時世的に無いけど)
いつぞやには男の人がご飯を奢ってくれるらしいと誘われた飲み会にも、「私だけ参加しないのも…」と思い白目を剥きながら参加したこともある。(合コンでもなく、今考えても謎の飲み会)

会社の同期なんて、私のことを真面目で普通の子だと思っているに違いない。
それが良かった。
新しく作る知り合いには、普通と思われるのが望ましい。

そう思い込んでいたら、先日同期に突然
「木ノ実ちゃんって、変わってるよね」と言われた。

ビックリしすぎて、腰が抜けるかと思った。
幼少期の頃なら誇らしく思ったが今は違う。
その瞬間に、装っていた普通がパラパラと脱げた音がした。
みんなに馴染めていると思っていた私には、隙間からしっかりとマイノリティが滲み出ていたのだ。

「いや、変わってないよう」

私は精一杯否定をしたが、否定をすることで更に喜んでいる奴に見えるんじゃないかと思って焦っていた。
この手の発言は、受け身を取るのも難しい。
突然言われた私は、なんとなく言葉を引っ掛けたまま、話をおざなりにしてしまった。


「好きな音楽が」変わってるよね。
「好きな俳優が」ちょっとずれてるよね。
「小説を書く」趣味って、変わってるね。

趣味趣向の部分で言われることはあったけれど、それは自分にとって僅か一部分のもので、深く気になることは少ない。
しかし、どうやら同期は『私が』本質的に変わっていると思っているようなのだ。
(趣味が創作だと言いにくいのも、本質に関わる部分だからかもしれない)

自分の『変』を認識しているか、していないかには大きな差がある。
じゃあ私はずっと普通側の人間になれないのだろうか。
そもそも『変』ってなんだ??

モヤモヤしていた私に対して友達が
「変と言われた部分は寧ろ個性にするべき。どこが変なのか、私なら聞く!」
と教えてくれて、妙に腑に落ちた。

これが許容だ。
自分を受け入れるということだ。
本当は普通の自分と変わっている自分、どちらもコントロール出来ればいいのだけれど。

環境の違い、価値観の違い、違い、違い。
人によって考えることが違うという点は充分に理解しているつもりだが、
私の周りに「変じゃない子」は存在している。
それはつまらない人間だとかマイナスな意味は一切なくて、
(私だってつまらない人間とは思われたくない)まともな価値観を持った害のない人間だ。
その子を嫌いな子はいないだろうなと思う。
そんな普通に憧れている。

普通を装える人が、心底羨ましい。
普通がこんなに難しいなんて、大人になって初めて知った。




ps.
余談ですが先日星野源さんのANNに大好きな若林さんが出ていて、
まさに「自分では普通だと思っていること」の話をしていました。
私がまさに聞きたかった話!!

私にとっては大変共感出来る話で、凄く興味深い話をされていたので是非聞いてみてください!
(URL貼ろうと思ったけど、住む場所によって放送局が違うかと思ったのでradikoで検索してね!)


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