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揺らしてみる


感受性豊か、という文字は褒め言葉だと思う。
芸術性に溢れていそうで、なんだか格好良い。
だけど豊かすぎると疲れてしまう。
人間とは不思議な物で、豊かなことに疲れることだってあるのだ。

ただ、私は感動する瞬間を好んでいる。
幾つもの疲弊の中で、確かな感動を見つけた時、
繊細に心を動かす大切さに気付かされる。
感動を見つけることには、疲れをものとしない喜びがある。

ところでみなさん、最近感動しているかい?


心が動いた瞬間、私たちはそれを記憶しておく必要がある。
大人になっても、心を動かすというのは忘れてはいけない。

生きていると、時たま唐突に『感動』と出会うことがある。
それは本当に些細な場所にあって、
映画館や舞台のように受動的である必要は無い。
多分、大人になっても心が動く瞬間はあるのだけれど、
それを拾って記憶することが億劫になっているのだと思う。

例えば、創作のネタになることもある。
【流しそうめん器】
このアイテムを小説に出したのも、
唐突に出会った感動がきっかけである。

先日、大好きなヴィレッジヴァンガードに行った時、
その代物はデカデカと飾ってあった。
私はその時知り合いの誕生日プレゼントを買いに行っていた訳だが、
その大きくて素敵な無駄アイテムに、
すっかり心を奪われたのである。
ヴィレッジヴァンガードにはことごとく魅了されるアイテムが沢山ある。
私は無駄が好きである。
それは遠回りして、とても有意義な物に変身するような
隠れた財産なのだ。

流しそうめん器は残念ながら私の予算からオーバーしていた。
だけど、そのアイテムを眺めている時、
1人の男性が隣に来て、一緒に流しそうめん器を眺めたのである。
びっくりした。
この瞬間、私は確実に心が動いた。

最も、その男性がイケメンだったとか、
それでいて声を掛けてきたとか、少女漫画のような展開は無い。
寧ろ真隣に立ちすくんでいたので顔すら見ていない。
ただ、『流しそうめん』という、複数人で興じるイベントを
「1人」の女が眺めていて、そこに男がやって来る。
これだけで物語は出来上がりつつあって、
私の心は一瞬にして揺れ動いたのである。

私はこの瞬間が、とてつもなく好きだ。
見つけた自分にも心の中で、拍手喝采している。

偶然のワードが繋がる瞬間。
単語が物語を作る瞬間。

小さな塊や、些細な関係が繋がって1つの物語になることは、
創作の喜びである。

忙しすぎると、ついつい心に耳を傾けるのを忘れてしまう。
だから残しておきたい瞬間を見つけられず、
創作意欲が削げられていくのだろうと思う。

受動的な感動は勿論楽しいけれど、
大人だって能動的に心を揺れ動かしている。

もっともっと繊細に、
生活の微振動にアンテナを張って、
心を動かし続けたいと思うのだ。



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