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キャッシュレスの時代で良かった

キャッシュレスの時代で良かった。
こんな場面で心からそう思うことがあるとは、
微塵も思っていなかった。

『他人を信用してはいけはい』

文字面は冷たいが、私はこの言葉を胸に刻んで生きることにしている。
うっかり信用してしまうと、私は絶対に高い羽毛布団を買わされる側の人間だからだ。
気を緩めない為のモットーである。

故にこの場合の「他人」とは見ず知らずの人間であり、
一方的にやって来る人物のことである。
このモットーをうっかり忘れてしまわないように、私は日々気合を入れて街中を歩いている。

どうも私とは害の無い顔をしているせいで、
本当によく話しかけられるのだ。
たまに電車に乗ると駅構内で絶対話しかけられるし、イヤホンをしていようが下を向いていようが変わらない。
ある時は50代くらいのおばちゃんが近づいて来て、
「駅中の百貨店って何時までやってるの?」と聞かれた。


知らねぇ!
何故こんなに人がいるのに、代表して私に聞いてきた??

という気持ちを百倍ろ過して、綺麗な言葉で返答をしてあげたら
「ここで○○を買いたかったのだけど、ダメかしらねぇ」なんて会話を広げられた。
害が無いからだ。
私にペラペラとお喋りをしても怒られることは無いと、初対面のおばちゃんにまで知れ渡っているのだ。

それはある時は若い男性だったり、お年寄りだったり外国人だったり。

決して「可愛いから」声をかけているわけではない。
害が無いからである。
日常茶飯事なので、斜め後ろから近付いて来られると
「来るよ来るよ来るよ、声掛けてくるよ、ほら来た!!」
と、万引きGメンのような面持ちで緊迫感ある実況をしてしまうことも少なくない。

実際私はヘンテコな勧誘だったとしても宗教関連だったとしても、無視することも強気な返答で断ることも無い。
唯一持っている武器は「急いでいるんで」の一択である。
この言葉はオールマイティなので、とても便利だ。

しかしまあタチの悪いことに、こういうとき頭の中には「本当に困っていたらどうしよう」なんて、善意のカケラが私の強気を邪魔したりする。
それで、聞いてみたらやっぱり美容のアンケートだったり、勧誘だったりする。
とても不毛だ。
善意の無駄遣いだ。
急に声を掛けられるとビクッとするし、会話をするというメンタルの疲弊もある。
私はなるべく用件を聞かぬよう心に決めた。

こうして私の生活に、平穏は訪れた。
よくよく考えてみれば、そう易々と『本当に困っている人』が居てたまるものか。
たまに道案内を求められた時だって、方向音痴な私は100点の返答を出来たことなど一度もない。
一度難波で外国人に道を尋ねられた時、
「ココヲマッスグイッテ、フタツメノカドデ、ミギー!!」
というのが精一杯だったでは無いか。
他の人に尋ねた方が余程効率的だったし、その人の為である。

私は安堵していた。
私が他人に出来ることなど少ないのだ。
全責任を負う必要など、全くない。

メンタルが疲弊していたあの頃を忘れかけていた頃、駅を歩いていると1人の老人に声を掛けられた。
あろうことか早々に喉元過ぎていた私は、断る勇気なく立ち止まってしまった。
なんなら少し急いでいた。
何故いつもの常套文句を使わなかったのだろうか。
老人は私に話を続けた。

「年金を受け取る日を1日間違えてしまって、帰るお金が無いんだけどお金をくれませんか?」と。

手にした通帳の残高は、100円だった。


困っている人がいた。
しかも害の無い私に相談してきた。

なんとまあ、記事の一文字目から熱く語ってきたモットーを華麗に覆されたわけである。

いや、計画性よ。
逆にギリギリプラスなのが凄いわ。
そんなんでお金貰えるなら私が欲しいわ。

「急いでいるんで」
とは言えなかった。
私は頭の中をフル回転して、
「今現金持ってないんですよ」と言った。

キャッシュレスの時代で良かった。
またもや私は、こんな不毛なことに知能を消費する羽目になったのである。

本当に困っている人は、どうか警察に行って欲しい。
もっと言えば警察が、軽々しく相談出来る相手になって欲しい。

一庶民の私が解決出来る問題など、
この世に一握りしか無いのである。

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