見出し画像

『プールの授業、義務から権利にしませんか?』


私は大人になった今でも水が怖い。

それは幼少期のトラウマが
起因している訳ではなく、
物心ついた時からずっと怖かった。

(軽い方かもしれないが)所謂『水恐怖症』と
カテゴライズして貰っても構わない。

しかし、である。
昨今ネット社会が著しく進化している割には
大人になってからも
水が怖いという情報がかなり少ない。

どうやら、殆どの人は
幼少期に水への恐怖心を克服してしまうらしい。

今日は少し真面目な話。
水嫌いを克服出来なかった私の話である。


今振り返ってみると、
プールの授業は私の人生の大半を苦しめた。

はっきり覚えているボーダーラインは
幼稚園の年長で、
「水を鼻までつけてみましょう」
というのがもう駄目だった。

そんな私が14年間、
プールの授業という拷問に
耐えてきたわけである。

長い。長すぎる。

夏のプールが憂鬱で仕方が無かったことは、
今でもはっきりと覚えている。

どれくらい憂鬱か、
読者の皆様が分かるように例えるとすれば、

「両親が1000万円の借金をして逃げたので
貴方が返してください」

って急に言われるくらいの憂鬱さを、
毎日抱えていた。
(人生で同等の経験が無いくらい憂鬱でした。ごめんなさい)

私は高校受験の時、
50mプールが嫌で志望校を変えた女である。
それくらい私の人生は、
プールに左右されていた。


もう一度大学受験をするか
プールの授業をするかと聞かれたら
私は悩むことなく受験を選ぶ。

就活かプールかと聞かれたら、就活を選ぶ。

だって受験も就活も地上で息が出来るもの。

私は生粋の運動音痴だけれど、
長距離マラソンやバレーボールなら
プールとは比にならないくらい我慢できる。

だって息が出来るもの。


こんなに嫌なのに、
子どもは逃げる術を知らない。

小学生の時、母親は
「嫌だったらサボれば良い」と私に言った。

だけど、泳げない私がサボると
「あ、こいつサボってるな」
というのが一発でバレる。

中学校も然り、
私はたまにサボりながらも
歯を食いしばりながら
プールに入った。

自分より周りの目が気になる年頃だからである。

子どもの頃は確かに泳げなかった仲間たちも、
気付けば私以外みんな泳げるようになっていた。

授業のレベルが上がっていくから
私だけついていけなくて、
いつの間にか全員プールから上がっていたのに
私はまだゴール出来ていないということもあった。

私のレベルは幼稚園の
「頑張って顔に水をつける」
で止まっているのに、
みんな背泳まで進んでいるのだから
当たり前のことだ。

だって私は泳げないの前に、
「水が怖い」が付いている。

高校に入って、私は耳を悪くした。

それを理由に診断書を書いて貰って
最後の2年間プールを休んだ。

本当は多分、頑張れば入れた。

だけど、これ以上は頑張れなくて
その代わりに課題で出されたレポートを
一生懸命書いた。

高校というコミュニティに入って、
ようやく逃げるという選択肢を作れたのだ。

周りの目より、自分を大切にする気持ちは
この頃になってやっと芽生える。


プールの授業は、
義務から権利に変えるべきである。

最悪、中学からでも良い。

今プールを嫌いな子どもは
きっと沢山いると思う。

だけど大人たちはそれが克服できるものなのか、
そうではないのか見極めてあげて欲しい。

「プールの授業は命の授業。
溺れた時どうするんだ」

こういう意見も耳にするが、
私みたいなタイプは溺れるところに行かないから大丈夫である。

例えば、授業で決められた
泳ぎ方をするのではなく
家族や友達とプールに行った方が
水への恐怖心が減ったかもしれない。

義務が権利になれば、
私のように水への恐怖心が
消えない人も苦しまず、
この嫌な思い出が有意義な時間へと
変わったかもしれない。

幸い私の周りは理解してくれる人が多いので、
理由を言えば嫌な顔されずに
プールの誘いも断れるし、
沖縄に行った時だってくるぶし以上
海には入らなかった。

この文章を読んで、
甘えだと思われても仕方がないと思う。
だけど私は実際プールの授業で
長く深く苦しんできたし、
共感する人が少ないのなら
余計に書くべきだと思って書いた。
同じ気持ちの若者が
1人でも救われたら良いなという気持ちである。


「水が怖い」が少数派らしい今の世の中へ。

大人が尊重すべき子どもの心は、
まだこんなところにも隠れている。

よろしければサポートをお願い致します!頂いたサポートに関しましては活動を続ける為の熱意と向上心に使わせて頂きます!