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僕の心と君の言葉


口が1つしかないのは
心が1つしか無いからだと、
僕は痛い程に思い知った。


小さな市民体育館が空っぽになって、
主催者の男が茶封筒を渡して来た。

「いやはや、想像以上に大盛況でしたよ。
大人も子どもも喜んでくれて」

小太りでスーツを着た男は、
満足げに笑っている。

カメラを持った女性が小走りで近付いてきて、
名刺を僕に手渡した。
肩書きには
『南市役所広報担当』と記されている。

シンプルでつまらない名刺だ。

「お写真良いですかー?
今度の市民だよりに載せたくて」

僕は快く承諾して、カバンから相方を出した。

僕はとびきりの笑顔で、
相方はむすっとした表情のまま。

パシャっという大袈裟な音と共に
相方はわざと目を瞑った。


「ありがとうございました!」

自分の惹き出せる1番爽やかな声と表情で、
市民会館を後にした。

来年も呼んでもらえるように、
日々の営業スマイルは忘れない。

入り口には、今日のイベントのタイトルが
大きな模造紙に書かれて貼り出してある。

【ワクワクイベント 腹話術師 
わたると甘栗姫】

太いゴシック体と共に
僕の宣材写真が貼られている。

始めたばかりの僕は、
今よりも幾らか恰幅が良い。

甘栗姫は、入念に手入れをしているつもりだが
やっぱり少し色が変わってしまっている。

甘栗姫は笑わない。

口を閉じるとむすっとしているし、
口を開けば毒舌や悪口ばかり。

僕は彼女のことを制したり、
否定する役に回る。

これがなかなかウケるのだ。


僕はファミレスに入って
ペペロンチーノを頼むと、
イベントや営業のアポを取る為
数件のメールを送った。

甘栗姫は、大きなカバンの中にしまってある。

潰れないように、
四角くて硬いカバンに入れる決まりだ。

「厳しいな」

溜息まじりに、誰にも聞こえない声量で呟いた。

腹話術はどうしてもマイナーな職業なので、
自分から積極的に仕事を探さなければ
なかなか舞い降りてこない。

大道芸のように路上で唐突に集めるには
少々地味過ぎて集客が難しい。

やっぱり老人ホームや地域イベントが
1番ウケの良い仕事なのだ。


営業メールを送って、
最後に綾子へメールを送った。

『今ライブ終わった!』

メールはすぐに返って来る。

『お疲れ様です!
この前のカフェで会わない?』

僕は絵文字付きで承諾をして、
甘栗姫の入ったカバンを持ち上げた。


綾子は所謂『良い感じの関係』だ。

前所属していた劇団が同じで、
僕が辞めた後もこまめに連絡をくれた。

演劇を辞めて芸人になると言った時も、
腹話術を始めると言った時も、
1度も苦い顔することなく
「良いね!」と言ってくれた。

僕は間違いなく綾子のことが好きだった。
綾子は多分、僕のことが好きである。

そして僕の相方に名前を付けたのも、
紛れもなく綾子であった。

甘栗姫の入ったカバンをさすって、
待ち合わせのカフェへと急いだ。


『甘栗姫』。

彼女は茶色の髪が肩辺りまで掛かっていて、
赤の着物を着ている童である。

綾子は初めてこの人形を見た時、
「甘栗みたい」と笑った。

甘栗姫はむすっとしていた。


僕は甘栗姫を悪役に仕向けた。

観客に向かって容姿や格好の悪態をついたり
政治や文化の悪口を言う。

ありきたりな芸風だけど、
大人は特に喜んだ。

何を言っているのか理解できない子どもたちは
人形を可愛いと言って、
これもまたウケた。

僕は爽やかな笑顔で
良い奴を演じる。

自動的に僕の印象はどんどん上がっていく。

心のある人間同士では上手くいかない
特殊なパワーバランスである。


カフェは大通りに面していた。

全面が透明なガラスになっているので、
綾子が来ているかどうかはすぐに分かった。

綾子は窓際の2名掛けテーブルで
既にティーカップに入った何かを飲んでいた。

僕は扉を押して、
店員が声を掛けると同時に
彼女と合流することを伝えた。

綾子は小さく手を振って僕を招いた。

僕も軽く手を挙げて、
彼女の向かいに座った。

「最近仕事の調子良いみたいね」

綾子が飲んでいるのは
カフェオレだった。

「今だけだよ。この時期はイベントが多いから」

僕もカフェオレを頼んだ。

「劇団の方はどうなの?最近」

僕の質問に綾子は一拍開けて、
浮かない顔で返事をした。


「辞めようと思うんだよね、役者」

綾子はカフェオレを飲み干した。


「なんで?」


綾子はメンバーの中でも
かなり演技が上手い方だ。
座長にも評価されていたし、
綾子自身も演技をしている時が
とても楽しそうだった。

だから、劇団を辞めるという
選択肢があることに驚きだった。

「実家に帰ろうと思って」

綾子の実家はパン屋をしていると
聞いたことがある。
理由になる心当たりといえば、それだった。

「パン屋になるのか?」

僕の焦燥感は綾子が帰ること
そのものでは無かった。

綾子が、この土地を離れることに
全く未練を感じていないところだった。

「うん、パン屋になるよ」

綾子は笑った。


綾子は僕のことを好きじゃ無かったのか。

聞きたかったが、聞けなかった。

こんな時甘栗姫なら、
平気で聞いてしまうのだろう。

「劇団で何かあったのか?」

綾子の目が少し泳いだ。

「それなら劇団を変えて演技するとか、
手段はまだあるじゃん。
なんで役者諦めるんだよ」

「わたるくんは、綺麗事しか言わないけど」
綾子の唇が震えている。

「家庭の事情とか、年齢のこととか、
いろいろあるのよ。
結婚のことだって
そろそろ考えなくちゃいけないし、
それに、いつまでも夢ばかり見てられない…」

これが綾子の本音だ。

綾子は僕のことを、言ったのだろうか。

いつまでも夢を見ていると。

それも、喉にまで出かかったが
聞くのを辞めた。

そんな嫌味は僕の言う台詞じゃない。

甘栗姫の台詞だ。

僕は「そっか」と呟いた。

「いつ行くの?」
僕は聞いた。

「まだ劇団にも伝えてないから、
再来月に帰ろうかなと思ってる」
綾子は答えた。

それから僕はカフェオレを、
綾子は水を、黙って飲んでいた。


帰り道、僕は綾子を最寄りの駅まで送った。

右手には甘栗姫の入ったカバンを持っている。
駅に着く前、
綾子はカバンを指差して立ち止まった。

「最後にもう一度甘栗姫が見たいな」

僕は少し悩んで「分かった」と言った。


最寄り駅の近くにある公園のベンチに腰掛けて、
カバンから甘栗姫を出した。

「相変わらず綺麗に手入れされてるわね」

綾子は人形の髪を撫でた。

「そりゃあ大事な相方だからな」

綾子は気を使って
甘栗姫を抱き抱えたりはしない。
それくらい大事な物だと分かってくれている。

「甘栗姫、私は田舎に帰ることにしました。
どうかお元気で」

甘栗姫はずっと口を紡いでいた。
その、ムスッとし続けていた口を
綾子の言葉で待っていたかのように開いた。

「お前にパン屋なんて似合わないんだよ!」

綾子は驚いた顔で甘栗姫の顔を見つめていた。

「お前はいつまでも
夢を見てるのが丁度良いんだよ!
情けないこと言って役者から
逃げてんじゃないのか!?」

僕が思っていたことを、
甘栗姫は意図も簡単に口にする。

だけど僕が言いたかったのは、そこじゃない。

「それが本音なの?…わたるくんの」

今度は僕の方を見つめてきた。
綾子の顔は少し悲しそうだった。

「違う、僕じゃない。甘栗姫が喋ってただろ?」

僕はわざと戯けて見せたが、
綾子の顔は変わらなかった。

「わたるくんは、甘栗姫と仕事を始めてから
私に本心でぶつかって来なくなったよね」

僕と甘栗姫は、
心は1つ。口が2つ。

僕の本音は、甘栗姫の本音。

それなのに僕は、甘栗姫が居ないと
本音が言えなくなってしまった。

だって、都合の悪いことを言ってくれるのは
いつも甘栗姫だから。


「そうじゃなくて、僕が言いたいのは」

僕は、甘栗姫の口を塞いで
自分自身の口を開いた。

「本当にパン屋になりたいなら応援する。
役者の方がしたいなら、
パン屋になる必要は無いと思う。
どちらを選んでも、僕が側に居たい。
これが僕の本音だ」

甘栗姫の口角が少し上がった。

今まで僕がさせなかった表情。

甘栗姫は、いつも怒っていたのではない。
泣くのを我慢していたのだ。
僕は今、ようやく気が付いた。

「私は、これからも役者がしたい…」
綾子の本音が、口から飛び出した。

「それから、わたるくんと離れたくない。
これが、私の言えなかった本音」

本音を言うのはとても難しい。

それは、僕でも綾子でも同じなのだ。

僕と綾子が真面目な顔で見つめ合っている時、
甘栗姫は微笑んでいた。


心が1つだと思っていたのも、
僕だけかもしれない。


挿絵提供:みゃーむょん
https://instagram.com/wimwim_1616?igshid=w13hdzxj0jm1

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